いずれは

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いずれは

「葵、バイト決まったの?」  リビングでアルバイト情報誌を見ている私に向かって母が不安げに言う。御局様から開放されたとはいえ、お金がなければ生活もできない。  というのも、今の季節は秋。あの歯科医院を退職してからもうすぐ1年が経とうとしている。  私は歯科医院で働いて貯めた80万を、1年弱で空にしてしまったのだ。何に使ったかといえば、大学を休学していて暇を持て余している友人との遊びだ。  アルバイト情報誌を読むようにはなったが、御局様いじめがトラウマで正社員での雇用が怖くなったのかもしれない、と屁理屈を並べる。 「ん?」  ――髪色自由、ネイルピアス、OK?  母の問などそっちのけで読んでいた記事に、目を引くものがあった。  身だしなみに縛りがなく、時給は1100円。パチンコ屋のスタッフだった。それも、自動車免許を持っていない私からしたら高待遇の、徒歩3分のところにあるパチンコ店だった。  ――そういえば。 「お母さん」 「なに?」 「あそこのパチ屋の清掃行ってたよね?」  禁煙室ではないリビングで、テレビを見ながらたばこを吸い、母は適当に返事を返す。  店が閉まってからの雑務、と言ってもほぼホールの掃除と聞いているが、母はその清掃の仕事に何度か行っていた。夜中にその日の分の給料をもらっては、コンビニで全部使ってしまうのも知っている。 「バイトの人達怖そう?」 「そんなことないかなあ、仲良さそうだよ。イケメンもいるし」 「イケメンねー」  翌日、思い切ってその店に面接のお願いをするために電話をすることにした。  アルバイト自体は高校の時にしていたし、割と要領も良い方だと自負していたため、特に何か気負うこともなく、私は頃合いを見て電話を入れた。 「もしもし……」 「お電話ありがとうございます。パチンコミツイです」  低くて芯のある柔らかい声の男性だった。 「アルバイト情報誌を見たんですけど……」 「ごめんなさい、もう決まっちゃって」  男性はこれっぽちも申し訳ないと思ってなさそうな声色でそう言った。  私はせっかくの良い条件のアルバイトを逃したことがショックで項垂れた。  やはり待遇がいいと仕方がないか、と諦めるしかない。  それにしても。 「愛想のない電話番だなあ!」  釣った魚に餌はやらない、とは違うが、必要ないものにはもちろん餌を与えない、そんな感じだった。  そう思いながら次の週、新しくなったアルバイト誌を見ているときだった。  ――あれ?  またしても例のパチンコ屋が求人を出しているではないか。決まった、と言っていたのに。  人数が足りないのか、飛んだのか、そもそもあの時点で決まっていなかったのか。真相はわからないが、何かのセンサーでも働いたかのように、私はすぐに電話をかけた。 「お電話ありがとうございます。パチンコミツイです」  その声は聞き覚えのある愛想の悪い店員。  声だけで心情を掴むのは難しい。 「面接をお願いしたいのですが」 「はい、では2日後に履歴書を持って店まで来てください」  軽く挨拶をして、面接の日取りが決まった。  やはり誰か辞めたみたいだ。  入れ替わりが激しいということはあまり良くないところなのだろうか。考えても無駄なのだが、もうやるしかない。  面接当日、午後3時からの面接だったため、私は昼頃から準備を開始した。  シャツを着て、グレーのカーディガン、アルバイトだしある程度ラフでもいいか、と、パンツは黒のスキニーを履いた。  胸元まである毛先だけ癖のある髪をひとつに束ね、ナチュラルにメイクを施す。 「よしっ」  私は時間を見て家を出た。  店に着くと、扉1枚を潜るだけで耳を劈くような、金属と金属がぶつかり合う音が響いていた。お客さんは当然、スタッフもこれが日常、といったすまし顔だ。  ――うるさい……。 「面接に来たんですけど」  私はカウンターにいた1番優しそうなお姉さんに案内してもらい、事務所に通された。  白い服に紺のネクタイ、短いスポーツ刈りにメガネの男性。彼が「どうも」と言うと、あの電話の人だ、というのがすぐにわかった。  見た目は若い、いや、中年。  歳に見えるけど実は若いタイプ、でなければ若いけれど老けて見えるタイプ。  とにかく、見た目から年齢が想定できないような男性だった。 「とりあえずこんな感じだけど」 「はい」  面接は滞りなく終わり、いくつか質問をされて終わった。あとは社長へ連絡をして正式に決まれば働けるとのことで、しばらくまた連絡を待つ形となった。  面接をしてくれたのは篠江、という主任の位置にいる人らしかった。  私はパチンコなどのギャンブルはやらないし、普通のパチンコ店がどのようなものなのか知らないけれど、5列ほどあるパチンコ台が並ぶ道の1列ほどしか客がいなかった。  片田舎のパチンコ店だから、老人たちの集まりになっているようだったが、それでよく人件費までまわるものだな、と少し不安になる。  11月の風は寒くて、冷たくて、もうすぐにでも冬になる。冬はあまり好きではない。パチンコ店から家までの短い距離を、冷たい風の中歩く。  後日、また篠江主任から電話があり、無事にミツイに合格した。
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