カルクの当たり前と奇跡

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────それは黒い瞳……かのように見えた。星々が淡く散らばった夜空を閉じ込めたかのような、黒。 彼はどこか遠くを見つめ、焦点が合っていない。 髪も酷く暗色で、伝承の兄神セレネと見まごう尊い色を纏った美麗な少年。 もうこの世界の何処にも存在しない、僕らの尊いセレネ神と酷似した少年────。 纏う色は濃く力強いのに、彼の表情を見れば、それらは瞬きの合間に消えてしまいそうなほど脆く感じた。胸が苦しくなる。 眉を下げ、鉱石のように綺麗な瞳から、耐えるように音もなく雫を落とし続ける彼は何処までも儚かった。 そして────その少年が、自分に抱きついていたという事実に驚愕する。 彼は一般的な脂肪が乗っているほどに美しさとは異なり、余計な筋肉も脂肪もついていない華奢な体だが、間違いなく美しかった。系統違いと言うだけで、本来は後者の方が美しいとされている。 そして、それはこの世界の“神”がそうだったからに他ならない。 今尚この世界の管理を担っている裁きの神ヘリオスはもちろん、今は亡き癒しの神セレネは非常に華奢だったらしい。 この世界の管理者であり圧倒的な力を有した存在だからこそ、富を象徴する脂肪も、労働力である筋肉すら、高貴な彼らには不必要なものだったのだ。 ────この世で最も美しいのは華奢で筋肉も脂肪もつかない慎ましい体。そして顔の造形はヘリオスやセレネに近いほどに美しい。 ボロボロと涙をこぼす彼を見つめる。あまりの衝撃にどうする事も出来ない。 座り込み膝の上で固く握られた拳が、いつか壊れてしまいそうで────触れてしまった。 彼もそれに気付いたのか、ゆるりとこちらを見た少年と初めて目が会う。 ────本当に何処までも深い色をしていた。 いっそこの方こそが神様なんじゃ、なんて現実味もなく馬鹿馬鹿しい事を考えてしまう程に。 ……流石に嫌がられると思った。 握ってしまった後ではもう遅いが、彼にまで拒絶されるのを想像しただけで頭がおかしくなってしまいそうな不安が襲う。 けれど───彼は醜く穢れた存在の僕に握られた手元と、次いで彼より少しだけ高い位置にある僕の顔を視界に入れ、涙でぐちゃぐちゃな顔で無理矢理作ったように綻ばせ、また僕を抱きしめるのだ。 僕を包む小さな体が温かい。彼が身じろぐ度に仄かにいい香りがする。疲れた体が、心が、癒されていくようだった。 そんな中……僕は冷静に、自分の容姿を思い出していた。 ───富の象徴である脂肪のつかない体、(それ)を燃やす無駄な筋肉ばかりが着きやすい典型的な醜い体。 セレネ神が消滅する元凶となった浅ましい男達は醜さや穢れの象徴。そして僕はそれに近い顔……客観的に見ても、かなりの醜さだ。 ベースから凸凹していてバランスが悪いし、目は横に裂けたように長く、元々小ぶりな赤茶の瞳がより小さく見えて白目が異様に目立つ。ギョロギョロしていて気味が悪い。 兄や第二騎士団の男達も似たようなものだが、自分の顔ながら鏡を見る度に嫌悪感が押し寄せる。 自分だってそう思うのに初対面の、それもこんな美麗な少年が自分に躊躇いなく触れているだなんて……そんな奇跡のような事実に、泣きたくなるような現実味のない喜びが芽生えた。
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