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そこで、日中誰かを彼に付けてみようという話になったのだが────
……何故か俺が適任だと指名されてしまった。
俺は1度、彼の声が出ないらしい喉を鑑定するために触れたことがあった。しかも酷く脅えた様子で拒絶されてしまったのだ……だから辞退しようとしたのに、騎士団の中でも出来るだけ信用出来る強い人間がいいそうで……
俺は多忙な団長や副団長のように役職を持たず、並の騎士よりは腕も経つ。更に彼は異常に魅力的で劣情を煽る為、最低限の理性があると判断され俺が選ばれたらしい。
そしてついに、彼と久しぶりに顔を合わせて────
俺は、かなりびっくりした。
前回の失敗を元に、できるだけ怖がらせないように沢山話しながらコミュニケーションをとった。
そして────聞いていた通り本当に警戒心が薄いと思った。
……そう思ったのは初対面で嫌なことをしてしまった俺に何故かすぐに懐いてくれたのも大きい。
だが困ったことにこれで彼の身元がさっぱり分からなくなった。
本当に記憶が抜け落ち、更に無意識下にするはずの警戒も無い……となると、これからの行動や仕草からある程度の身分を予測するのすら困難そうだ。
薬の副作用のせいか俺が何を言ってもふわふわとゆるく微笑むだけで、時々視線を寄越してくれるもののまたすぐに俯いたりキョロキョロしたり、窓の外を眺めたり。
──彼は本当に美しい。純黒の髪と瞳はセレネ神が描かれた絵画の生き写しのようだ。
特に外の空をぼんやりと見つめる彼の静かな瞳には目を奪われた。黒に青空を反射させる瞳は暗いのに鮮やかさも併せ持つラブラドライト原石のようで、初めて見た時は呼吸が止まるほど美しいと思った。
けどそれと同時に、何処かか空っぽのような彼の様子は時々…酷く心配になった。部屋を出る時に見た小さなあの背中なんかは、目を離した瞬間に消えてしまいそうで少し怖かった。
しかしそれは時折垣間見えるもので、通常時に寂しげな様子はなく、ただただ美しい容姿に目を奪われるばかりだった。
華奢な眉は憂いを帯びたように下がり、顔立ちもパーツが小ぶりで慎ましく儚い。黒色の瞳は大きく白目の見え辛い目元が愛らしく、それが細められる微笑は何度俺の思考を蕩けさせたかわからない。
それから暫く────。
彼は薬の副作用が抜けると途端に微笑みの威力が増した。以前よりも明確に笑い、目を合わせて穏やかに微笑む。
意識もはっきりとしてきたのかジェスチャーであれやこれやを必死に伝えようとする姿は高貴な容姿と裏腹にあどけなさを含むが、挙動が大人しいからか少し大人っぽい雰囲気もある。
ただ、ロイドが言っていた“怪我の後遺症で脳の機能が────”っていうのも納得で、俺が話したことの大半は理解出来ていないような顔をする。ロイドいわく理解力が落ちている可能性が高いらしい。
でも後遺症が残ってしまったとしても……俺はそれで良かったと思う。今までの空虚な雰囲気はなりを潜め、少し寂しそうな顔をする時もあるが最近は幸せそうに過ごしてくれている。 それが彼にとってもいい事だと思った。
喉の傷が治った御使い様に薬をすり潰し飲み込める形状にしたものを届け、その後様子を見て食事もとれるようになった彼に消化のいいものを届けた。
徐々に固形物を増やし、ロイドからパンもOKを貰っていた。
俺は御使い様にこんな質素な食事を……と申し訳なく思っていた。本来ならもっと豪華な食事が取れるような方のはずなのに、と。
でも御使い様はそんなの全く気にしておらず、むしろ嬉しそうに食べてくれる。
この生活に不満など感じているようには見えなかった。
────そんな彼が突然、宿舎から姿を消して心臓が仕事を辞めてしまうかと思った。
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