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水面がひらひらと木漏れ日をはじく川沿いを上り、腐食して踏むたびにたわむ木の橋を渡る。
大きな楠を右に曲がり、狐の石像が祀られた古い祠を横切って、和やかな表情を浮かべた三体のお地蔵様が手を合わせる細い道を抜けると、ぽっかりと開けた場所に出た。
苔に覆われ、枯れ枝や葉が覆う三角屋根。
随分古い建物なのか、木で出来たその家は、全体的に焦げ茶色と苔の緑で、お世辞にも綺麗とは言えない。
さっきまでオフィス街に居て、びしっとしたスーツを着た人たちの中にいた僕には、侍が闊歩する時代にでもタイムスリップした気分だ。
外壁にびっしりと蔦植物が這う納屋の前には、薪が二メートルほどの高さまで積み上げられていて、使い込まれた一輪の手押し車が置いてある。
誰か住んでるのか?
家に近付くと、玄関横のレンガで囲われた花壇から一斉に白い小鳥が三羽飛び立ち、尻餅をついた僕の心臓は、小動物相手に鼓動が早まる。
その時、家の裏手から女性が出て来た。
ゆるいウェーブが掛かった長い黒髪をひとつで束ねた女性は、驚いたように薄茶色の瞳で僕を見つめて固まっている。
「え、あ、すみません。勝手に敷地に入ってしまって……」
「あぁ、いえいえ。あらぁ、怪我してるじゃないですか。大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です。すみません」
女性は、ふっと笑顔を見せると、こちらに歩いてきて僕の前にしゃがみこんだ。
動作に合わせて仄かに甘く爽やかな香りが漂い、逃れるように顔を逸らしてしまった。
女性の腕は、大事そうにキュウリやトマトを抱えている。
「良かったら、お風呂に入って行きませんか?随分と汚れてしまっているようですし、お怪我もされているようですから手当もしないと」
「いえ、そんな。本当、大丈夫です。すみません」
また謝る自分に嫌気がさして顔が歪む。
いつもこうだ。
会社での癖が抜けない僕は、プライベートでもいつもこうして怯えてばかり。
すぐに謝って、そうして逃げだす。
いま僕がここに居るのだって、逃げ出してきたからだ。
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