リセット

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「リセット・・・。ですか」  うすうすそうではないかと思ってはいたけど。  割り切っていたつもりが、いざ実際となると難しい感情がわいてくる。 「でもまだ、60レベルぐらいは残っているでしょう。それだけレベルを上げるうちに、なんとかならないでしょうか」  世界の管理者の男は、悲しそうに首を横に振った。 「君もわかっていることと思う。レベルというのは放っておいても勝手に上がるものだ。そうだね?」  と、世界の管理者の男は言った。  聞き分けの悪い子供を言い含めるようではなく、常識的にわかっていることを確認するような調子だ。 「途中で死なない限りは」  とぼくは補足した。 「そう。途中で死なない限りは。しかし、その可能性はゼロに等しい」  人類の科学を究極まで発展させたこの世界では、天寿をまっとうせずに死ぬ可能性は限りなくゼロに近い。 「しかし、君はレベルの低いうちでないと習得できない特技を習得しそびれてしまった。この先、君は発展する見込みはないのだ」 「決してサボっていたわけではありません。習得しようと努力をしました。でも、レベルが上がるほうが早かったのです」  ぼくは一縷の望みをかけて反論を試みた。そんなことをしても、無駄だとわかっていたが。 「君は努力家だ。われわれ世界の管理者は皆そのことを知っている。なぜならわたしたちは晴れの日も雨の日も、君のことを観察してきたのだから」  そう。彼らはずっとぼくのことを見ていた。ぼくが恥ずかしくてベッドの下に隠しておいたようなことも、彼らは知っている。  彼らに隠し事はできない。彼らはまるで神だ。この世界の神。科学の、神。 「われわれは君のことを誇りに思うよ。努力できることは君の大いなる美点の一つだ。しかし、あえて君に問いかけよう。われわれはどうして努力家の君に対して、リセットボタンを押すようなことをしようとしているのか、と」  理由は明白だった。アイスクリームは溶けかけが一番うまいということぐらいに、明白で明らかなことだった。 「資質。ですか。持って生まれた」  世界の管理者は、大きくうなずいた。 「君がこの人生で努力したことは一つも無駄にはならない。転生すれば、生まれつき持っている資質は、この人生で努力したぶんに応じてアップする。この先、進歩のない人生を送るよりもずっとよくないかね?」  もっともな話だった。 「ですが」  とぼくは食い下がった。少しでも可能性があるのなら、それに賭けたい。 「ぼくはこの人生に愛着があるのです」  世界の管理者はハアッと大きなため息をついて見せた。  人前であからさまな失望をあらわすことが失礼になるという考えはこの人にはないらしい。  それとも、ぼくは人だとみなされていないのか。 「君は人生をはじめたばかりの人のようなことを言っているね。君もご存知のとおり、君は今までに34万7291回の転生をしている。今の肉体と人格を失っても、君の魂は継続される。肉体と人格とは、着ている服のようなもので、君の本体は魂だ。言ってみれば、服を着替えるようなもので、それだけのことなんだ。君ぐらい転生を繰り返している人なら、肉体を失うときの恐怖心など、とっくに克服しているはずだ。それに、われわれは苦痛を伴う方法でリセットしたりはしない。君もわずか23年前に経験したはずだ」  時は30世紀。  地球人類は究極まで科学を発展させた。科学がそのすいを極めたとき、出会ったものは宗教だった。  目に見える世界の探索を終えた科学は、目に見えない世界があることを発見したのだった。  それまで肉体が滅びたら終わりと信じられていた世界は、肉体の死後も魂は輪廻転生を繰り返して永遠に生き続けるということが科学的に証明されたのであった。  人生は一回限りではなく、今世で得た経験は来世の糧として持ち越すことができる。  人間は輪廻転生を繰り返し、永遠に進歩する存在であるということがわかった。  そのため、新生児として生まれるとすぐに、科学的な方法によって前世の記憶を呼び覚ます措置がとられるようになった。  直前の前世だけでなく、人間として魂が創られてからの記憶のすべてだ。  その結果、人間はもはや一から学びなおす必要はなくなり、生後3ヶ月もすれば、21世紀のパリのグランゼコールを首席で卒業したものぐらいの知識が備わるようになった。  同時に肉体を操作する方法も学習し、5歳児ともなれば、100メートルを9秒台で走ることができる。  そこに30世紀の進んだ科学を学ぶものだから、転生するたびに前世の記憶を失っていた21世紀当時の人たちとは、ハサミムシと木星の違いくらいの差がある。  しかし、その結果として思わぬ障害があらわれた。  人類のステータスが高くなりすぎてしまったため、現世で成功するのが難しくなりすぎてしまったのだ。  例えば、21世紀で偏差値70の学校というと、国内トップクラスの進学校であるが、30世紀ではもっとも底辺にある学校でも偏差値300である。  肉体的にいっても、成人男性であれば100メートル走は最低5秒台で走らなければお話しにもならない。  オリンピックの出場選手ともなれば、2秒台のタイムが求められる。  おまけに彼らは、マラソンも水泳も、ボクシングにフェンシングも、あらゆる競技を一人でこなさなくてはいけない。そのくらいの超運動神経が求められるのだ。  健康法が究極まで発達し、肉体年齢というものは意味を失った。  そのため、年齢は歳であらわされるのではなく、レベルであらわされることになった。  ぼくは今レベル22だ。  生まれたときのステータスは低かった。転生が34万7291回なんて、その程度のものだ。  今ぼくの目の前にいる世界の管理者の男は、100万回以上転生しているはずだ。そのくらいでなければ、この世界を動かす人物にはなれない。  ぼくは生まれつきの能力は低かったが、努力してレベル18で東大に入った。  レベル12のときには、2試合だけだが、サッカー日本代表に選ばれて国際Aマッチに出場したこともある。  そのために、物心ついたときから血の滲むような努力をしてきたのだ。  合法な筋力増強剤を打ち、合法な成長促進剤を使った。脳の働きを良くするサプリメントを大量に取り続けたのだ。 「君はレベル18にしてようやく東大に入れた。しかし、この世界で活躍するためには、東大など遅くともレベル5で入らなくてはいけない。頭の柔らかい幼児期でなければ、時空転移航法理論や人工太陽建設理論、全方位超光速通信理論などを身につけることができないからだ。これらの理論は大人になってからいくら努力しても理解できるものではない。元よりそんな希望はないだろうが、まず科学者は無理だ」  世界の管理者の男は、理論的に説得する方法に出たようだ。 「言語レベルにおいても、君はせいぜい現代語が20カ国語程度話せるだけだ。それも主要言語に限られる。中央アフリカの一部民族が使用する土着語となるとお手上げだ。エジプト古王国の言葉はチンプンカンプンだし、上代日本語や古代中国語の習得にも失敗している。楔形文字の解読も2割程度しかできない。これではタイムマシンを使って時空管理局の職員になることもできない。身体能力の面でいっても、君はレベル12のときにサッカー日本代表で国際Aマッチに2試合出ただけだ。およそ肉体労働に従事しようと思うなら、レベル8でテニスのグランドスラム、レベル10でサッカーワールドカップ得点王、レベル15ともなれば片手で象を持ち上げるくらいでなくてはならない。それなら、芸能関係の仕事はどうだろう?だが、君の音楽の才能は過去の人物でいうとたかだかモーツァルト程度に過ぎない。絵画の才能はピカソ程度。彫刻の才能はロダン程度だ。これでは、とてもとても芸能の世界で生きていくことはできないだろう。歌唱力はマイケルジャクソン並みだし、演技力だってモーガンフリーマン程度でしかない。こんなに野暮ったくては小学校の学芸会にだって出られやしない。もっと早くリセットボタンを押すことだってできたんだ。でも、わたしは君の努力する才能を買っていた。他の世界の管理者たちはリセットすることを主張していた。レベルが上がっても成長しないといってね。それをとどめていたのは、このわたしだよ。なぜなら君には努力する才能があったからだ。科学者や肉体労働者や芸能関係者は無理でも、政治や経済の分野で活躍できると考えたんだ」  世界の管理者の男の口調が、小さくて無力なものを憐れむような口調に変わってきた。いや、これは憐れんでいるのではなく、あざけっているのか。 「わたしは君の大学4年間に期待したのだ。ところが、君がこの4年間に夢中になっていたものはなんだ。君の口から言いたまえ」  世界の管理者の男の口調は、ついには怒りを帯びてきた。  ぼくは重い口を開いた。もうこの男の顔も見たくない気分になっていたが、世界の管理者に隠し事はできない。 「文学です」  世界の管理者の男の不快指数が一気に跳ね上がったのがわかった。 「君は文学者としての作品を、何か一つでも発表したのかね」 「いいえ。でも、毎日少しずつノートに書き溜めている作品はあります」 「そんなことは言わなくてもわかっておる。わたしは君のことなら、なんでも知っているんだ。問題は、どうしてそれが出版されなかったのかということなんだ!」  もはや世界の管理者の男は野獣のような凶暴性をあらわにした。 「われわれは世界の管理者だ。君のことはなんでも知っている。もし君が書いた小説が面白いものだったら、即座に出版の運びに入っている!」  それはその通りなのだが、ぼくにだって言い分はある。はたして文学というものが彼らに理解できるものなのか。人間を数値でしか見ていない人に理解できるものなのかどうか。 「君はそれだけじゃない。他にもあるだろう。君が夢中になっていたものが」  言わなくてはいけないのか。どうせわかっているくせに。  ぼくはある感情を感じながら、短い言葉を発した。 「女性です」  世界の管理者の男は、まったくこいつは手のつけられない大馬鹿野郎だ、とでも言うかのように、この世のありったけのやりきれなさをこめて手を振った。  そのジェスチャーに意味があるのなら、そういう意味になる。  ぼくは、恋をしていたのだ。女の人に。  報われない恋。最初からその道は袋小路ではじまり、どこまでいっても袋小路のままだった。  まるで行き先を確かめて特急列車に乗ったのに、シャツとネクタイが合っていないという理由で次の駅で降ろされてしまった乗客のような恋だった。  叶わぬ恋に身を焦がした思いを、ぼくは文学にぶつけたのだった。 「わたしは君はもうちょっと賢いと思っていたがね」  と、イライラした調子で世界の管理者の男は言った。 「最初からダメだとわかっていたのだ。もちろん自由恋愛は認められている。われわれはそのことを非難するものではない。君は東大に在籍した4年間の間に、ちゃんと48個の卵子を提供してくれた。女性に生まれた君が女性を好きになったとしても、それは誰かにとがめられるようなことではない。もはやこの世界には、母親の胎内から生まれてくるものはいないのだから。そんなことをすれば、ほぼ一年近くを肉体に不自由させたまま過ごすことになる。これは女性の発達にとっては大いなるロスだ。われわれは女性にも社会で活躍してほしいと思っているし、一年も能力を制限されたまま過ごせば、競争に負けてしまうことは明白だ。そんなことをすれば、まるで21世紀の地球に逆戻りだ。30世紀の地球は、完全に男女平等な社会なのだから、女性に出産という負担を負わせるわけにはいかない。しかし、相手の女性を考えてみてくれたまえ。彼女はまだ23万2089回しか転生していない。34万7291回転生した君とは10万回以上の差がある」  ぼくはイライラしてきた。そうだ。ぼくだってイライラすることもあるのだ。それを反逆と呼ぶ人は、そう呼んだらいい。 「それがなんだって言うんです?転生が10万回以上差があるということが。人間は恋をしてはいけないっていうんですか⁉︎」  人間は恋をする権利がある。女性が女性に恋をする権利だってある。たとえそれがレベル8の少女だったとしても。報われない恋だとしても。  世界の管理者の男は、心底失望したといった調子で左右に頭を振った。 「わたしが君の元となった精子と卵子を試験管の中で掛け合わせたとき、どんな魂がここに宿るのかと楽しみにしていた。どれだけ科学が進歩しても、転生する魂の選択は人類にはできないからね。そればっかりは神の領域だ。転生が30万回以上の魂が宿ったときはうれしかったよ。そのくらいの魂が一番教育のしがいがあるんだ。君を成長させようと思って、いろんな課題を与えた。君はよく努力をする子だったから、わたしも君の成長を見るのがうれしかった。ただし、それも君がレベル6になるときまでの話だった。君がレベル7になるころには、他の子たちと差がつきはじめた。レベル10のころには、その差は決定的なまでに開いた。他の世界の管理者たちから笑われたよ。どうしてあんなに出来の悪い女の子を育てているのかってね」  男は喋り続けた。まるで世界にぼくなどいないかのように。 「先ほども言ったが、わたしは君の努力を買っていたのだ。レベル18にもなって東大にしか入れなかったが、きっと君の努力は実を結ぶとね。それなのに君は転生たった23万2089回のほんの少女に恋をして、本来の道を外れてしまった。転生たった23万2089回の女など、卵子の提供者ぐらいにしかなれないのに」  ぼくは自分の胸の中でさっきから感じはじめた感情をじっと見つめた。  その感情は抑えられないほどに膨らんできた。  もっと膨らめ、と命じた。  次に転生したときに、すぐにその感情に気づけるように。  今世の記憶は来世に受け継がれる。  もっと膨らめ。もっと膨らめ。来世のぼくがその感情を一番重要だと気づけるように。  男の指がリセットボタンに伸びた。
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