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第4章
上り始めた月は、いつの間にか頭上近くで輝いている。彼は思いを巡らせていた。
「少し性急すぎただろうか」姉から話を聞いたアレンは冷静さを取り戻していた。
姉はリディアが過ごした十年を話してくれた。離郷のこと。父親の死。一人きりの生活。再会してからの様子。アレンはその時々の彼女に思いを馳せた。
いったいどれほどの苦しみを味わってきたのだろうか。彼女のか細い肩を思い出す。その心の内を想像すると、アレンは胸が張り裂けそうになった。
「生きていてくれてよかった」彼は心底思った。そうでなければこの奇跡は起こらなかったのだから。
それなのに自分は彼女の気持ちも考えず、一方的に想いをぶつけようとしていた。その軽率さに自分自身を呵責した。
「今夜は来てくれないだろう」彼女の動揺した顔が頭を過った。アレンは頭上の月に吐息を零した。その時だった。
青草の匂いが俄かにその鼻を掠めた。
振り返るとそこには、リディアの姿があった。真っ白に輝く月の光りを瞳に落として。アレンは美しさのあまり言葉を失った。
「あの」
自分を見つめたまま、アレンが何も言わないのでリディアは躊躇いがちに話しかけた。
「ああ、ごめん。思わず」
見惚れてしまったと、口に出しそうになった。慌てて言葉を切る。短く咳払いをした。
「ありがとう。来てくれて」
アレンはふわりと笑った。リディアはどきりとして咄嗟に目をそむけた。顔が熱くて赤面しているのが分かった。いたたまれなくなってさっと後ろを向いた。その背中を葛藤の抱えた目が捉えた。
「あっ」
「ごめん、どうしてもこうしたい」
後ろから伸びてきた腕が彼女の身体を包み込んだ。そのぬくもりがリディアをこの場に縫い留める。呼吸の仕方を忘れてしまったみたいに息ができない。追い打ちをかけるようにして掠れた声が耳朶に響く。
「君は俺にとって唯一の存在なんだ。何よりも一番大切な。十年たっても色褪せない。想いをずっと捨てきれずにいた。けど、そうしなかった自分に感謝してる。思いがけず君に会えて、この想いを続けられる」
リディアの凍えた身体を彼の熱がじんわりと温めていく。これまで自分を縛っていたものが少しずつ解けていく。彼女は思わず口を開いた。
「私まだ、あなたに…」
「待つよ。ゆっくり待つ。君の心が解けるのを」
自分の心の状態をアレンはわかってくれている。リディアはその顔を振り仰いだ。二人の視線が交わった。その瞳に滲んだ月の光が、彼を動かした。アレンは彼女に唇を重ねた。
「君が背負ったものを、俺にも半分預けて欲しい。悲しみも、苦しみも、すべて。もう君は一人じゃない」
視界が俄かにぼやける。リディアの唇が戦慄いて、嗚咽が漏れ出す。アレンは胸に彼女の頭を寄せてきつく抱いた。青い風が吹いて二人を包み込んだ。
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