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 あたたかな日差しを浴びて一斉に芽吹いた草花が辺り一面に咲き誇る。そこに風が舞い込んで彼らをやさしく揺らしていく。鳥たちは歌い、この春の訪れを祝福していた。  その煌めく景色とは裏腹に、彼の周囲には混沌とした霞が立ち、視界はおぼろげだ。 国王の催した園遊会にて彼は訪れた人々を歓待していた。  「殿下」  「ご機嫌麗しゅう」  「こちらは娘の」  数多の世辞が彼の身体を覆いつくさんばかりに押し寄せる。王太子アレンは、平然としてそれらを受けては返し流していく。しかしそれは、繕われたものだ。  自身の身に縋り付こうとする人々。  アレンにはその人々が透けて見えた。その中身の薄き人間の濁った欲が、いつか自身を汚すのではないかと想像して恐れた。自身の持つ力の扱い方を会得するに至ってはいなかったのだ。この王太子はまだ幼かった。けれどもその鬱屈を忘れさせてくれる存在が彼にはあった。  人垣の向こうに唯一の人を探した。  喧騒の立つ庭園から少し離れた東屋に、彼女の姿を見つけ、ほっと息をついた。  ときおり吹く風に僅かになびく帽子。その度に彼女の片手が伸びてきては抑えるを繰り返す。煩わしそうな気持ちがその背中に透けて見えた。アレンは立ち止まってほほ笑むと、しばらく眺めた。  腰まで垂らした髪が風のそよぎに踊る。それは陽の光に照らされて虹色に艶めく黒髪。アレンは触れてみたくて思わず手を伸ばした。だが思いとどまってその手を引っ込めた。今はまだ、その時ではないと思った。  彼女は手元の本に夢中になっている。傍らに座ったアレンには気づく気配もない。彼は気にも留めず、ポケットから小ぶりの蜜柑を数個取り出した。ひとつを手に取って皮をむき始める。爽やかな香りが辺りに弾け飛んだ。風が味方してそれを彼女に届けた。鼻をすんと動かすと彼女が隣を見た。  「あら、いつの間に」  「君こそだよ」  アレンが片眉を上げて横目で見る。彼女はいつもあっという間にどこかへ消えてしまう。「君を探す身にもなってみろ」と不満に思うが実際に口に出したことはない。結局は彼女のおかげで雑踏から抜け出せるし、こうして探し出すのも彼の楽しみになっていた。  「はい」  彼は剥き終えた蜜柑のひと房を彼女の口元へ近づけた。  「ん」  リディアがいつものように口を開けると、アレンがぽいと中に放り込む。  嚙んだ瞬間に甘酸っぱさが口いっぱいに広がった。  「んー!」  リディアが嬉しそうに声を漏らす。蜜柑は彼女の大好物だ。  「あなたが剝いてくれると格別ね!」  「調子がいいんだから」  二人は顔を見合わせて吹き出して笑った。風が吹いて彼らの周りをリズムよく踊り出す。  「そうだ!この本、面白かったわ」  上機嫌な彼女が本をパタンと閉じて表紙を見せた。それはアレンが彼女の誕生日にプレゼントしたものだった。  「物語の世界に飛び込むのが好きなの」と言って、彼女が目を輝かせる。アレンはその純真無垢な瞳が大好きだった。その輝きは彼が背負った穢れを照らし、浄化した。アレンは、このうつしい人を守るために強くなろうと密かに誓った。  彼女の瞳に映った自分の姿を見た。それは今日の空と同じ青色をして、嬉しそうに笑った彼を包み込む。アレンは眩しそうにして目を細めた。彼女がふわりと微笑む。それはまるで一輪の花が咲いたように。  この先もずっと、この花を愛でて生きていく。彼はこの時、それを信じて疑わなかった。
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