一章

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一章

 いつになったら終わるんだ。  早く“ウ”から始まる名字を呼べ!  と、俺はつい、念じてしまった。なぜなら、今日は新しい高校生活を迎えた入学式。その式が終わって教室での出席確認でいつになっても俺の名前が呼ばれないからである。  勘違いしてほしくないのは、別に早く呼ばれたいわけじゃない。ただ、宇野(うの)という五十音順でいけば比較的早く呼ばれるはずの俺がさっきから全く呼ばれないのが気味が悪いのである。 「伊藤さくら」 「はい」 「井中ただし」 「はい」 「井野たかひろ」 「はい」 「井上わにこ」 「はい」  次々と“イ”から始まる名字が呼ばれていく。その恐怖の前には「わにこ」という癖の強い名前の井上さんすら霞んだ。  もう記憶は曖昧だが、伊藤の前も伊坂やら池田やら池山やら、とにかく池から始まる名字だけで十人くらいいた気がするが、とにかくいつになっても“ウ”の順番が回ってこない。  かと言って、全員がイの生徒というわけではなく、一番左前の席の男子は「安倍」と言われていた。彼だけがアの生徒だったのだ。  安倍くんは今、ずっと窓の外を見ている。何を思っているのだろう。今までの人生では考えなかった「差別問題」について考えているのだろう。その、背中からは茫然自失という感情が読み取れる。  大丈夫だ、安倍くん。君には僕がいる。イを持たない宇野がいる。 「今田せりな」 「はい」 「今西ぬまお」 「はい」 「今村のりと」 「はい」  いつの間にか“今”のターンがやってきていた。そしてさらに恐ろしいことに気付いてしまった。  こんなにイから始まる名字が続いてるのに誰一人「名字被り」がない……!  普通は何人か被るはずだ。  小、中のころ、生徒の名字が被ってしまったとき先生は仕方なく、その生徒たちだけフルネームで呼んでることが多々あった。  名字被りの生徒の名字だけ呼んだとき、二人共がこっちを振り向くという伝統芸能はいつの時代もあった。  だが、このクラスはイだけを揃えてるから、その確率はむしろ上がるはずなのに、全く被りがない。つまり、誰かが意識的にそれを避けてクラスを振り分けたということではないか。  宇野が他のことに意識をもっていかれている間に、いつしか廊下側の一番うしろに座っている彼の列に順番が回ってきた。 「岩崎みか」 「はい」  あと四人…… 「岩田ゆうみ」 「はい」  あと三人…… 「岩永りゅうた」 「さい」  あと二人……返事が噛んだことも気にならない。 「岩本ひろてる」 「はい」  次だ。いよいよ俺の番だ。 「はい、とまぁ総勢四十人でこの一年一組は今年一年いきます。クラス一丸となって頑張りましょう」  俺は?  バカな……俺が存在していない?  今、先生はクラスが四十人と言っていた。この教室には横が八人、縦が五人の生徒がいる。だから俺も含めて四十人いるはずなのだ。そもそも俺は廊下側の一番後ろの席にいる時点で、察するべきだったのだ。俺が一番出席番号が後ろだということに。  いや、もはやそれすら怪しい。俺には今番号さえも与えられていないのではないか。たしかに、俺を入れて四十人のはずだが、あの先生が言った「四十人でクラス一丸となって」という人数の一人に自分を入れていたとしたら?   冷静に見えて実は熱い先生だったとしたら?  俺が意識的に省かれていることになる。  なぜだ?  答えは簡単だ。俺がイの冠を持っていないからだ。  いや、それでは安倍くんの存在が説明できない。イの冠を宿していないものがクラスの一員と認められないのだとしたら、今校庭の日差を浴びながらもぼんやりと入院三ヶ月目のような表情で外を見つめる安倍くんの存在が説明できない。  安倍くんは、名字ではなく名前のほうにイが入っていたのかと一瞬思ったが、たしか安倍くんのフルネームは「安倍かんぞう」だった。政治家の名前っぽかったので覚えている。だから、このクラスは名字か名前にイが入っているという条件で集められたわけではない。  じゃあ、俺はなぜ省かれたんだ? 「あっ、すまん。一人忘れてた。宇野うみとくん」 「あっ、はい」  あっけなく、呼ばれた。それにしても、なぜ一人だけ忘れるんだ。  一人だけ次のページにまたがっていたとか言い訳を独り言のように述べているが、納得いかない。  だが、担任への不信感を抱いているとチャイムが鳴った。
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