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「あいつ、なんだ大声でっ」
悠多はかっとして外へ出ていこうとしたが、光希に右手首を掴まれる。優男だと思っていたが、意外に力が強い。
「悠ちゃん、喧嘩はだめだよっ」
光希は子供のころから、喧嘩っ早い悠多をいつも引き留めていた。それがうまくいくときもあったし、すがる自分を振りほどき喧嘩相手へ突進してしまうこともちょくちょくあった。変わらないな、悠ちゃんは……。光希は密かに思う。
外からは男女の会話が続いている。「この辺か?」「もうちょい左」「奥さんが言うなら、そうするか、俺何でも言う事聞いちゃう、ガハハ」「もお~、じゃあ、買ってもらおっかなぁ」「おお、こわっ、高いものはだめだぞ」「きゃはは、ご安心を。ハーゲンダッツのアイス」などと仲睦まじい。
舌打ちをする悠多。光希は掴んでいた手をそろりと離すのだった。
「おーい、悠多。オープン前で忙しいんだろーけど、ちょっと出てこいよぉ」
悠多ではなく光希が返事をして、開け放したままの両扉から外へ出る。しかたなく、悠多も続く。
出てすぐ右側、劇場の外壁手前に開店祝いの花のスタンドが置かれているのが目に入る。季節の花をふんだんに使いとても豪華である。
スタンドの右と左に、花屋の跡取り息子、柾と若い女がいる。店から花のスタンドを運んできたのだろう。傍らに台車が2台置いてある。
「柾、お前帰って来なくてよかったのにな」
「感じ悪いなぁ、悠多は。そりゃあ、俺らも帰りたくなかったよなぁ、美和」
柾と美和は新婚旅行から帰ったばかりなのだ。
柾の言葉に、そうそうと笑顔で相鎚をうつ美和は若く、シンプルなTシャツをおしゃれに着こなしている。
腕組みをして顔をしかめる悠多。
よっぽどおもしろくないのだ。傍からみると悠多の態度はそう見えるに違いない。しかし、悠多の本心は違う。本当は、幼馴染みの柾と8歳下の妻になったばかりの美和の幸せそうな様子がまぶしくてしかたがないのだ。
幼なじみの結婚を喜ぶ友達。と言う設定の役なら演じることができる。悠多はそう思い、今自分が台本を手にしていないことをもどかしく思うほどだった。台本にはこの場にふさわしい台詞が書かれているに違いないから……。
悠多は、自分のリアルでは一体どういう顔をして、どういうことを言えばいいのかわからない。
悠多がいた演劇の世界、といってもその片隅ではあるが……。
研究所時代から、その後の、同期で旗揚げした劇団の役者だった時も、レッスンや稽古、劇団運営に必要な制作の仕事、また金を稼ぐためのバイトに追われ、とにかく多忙だった。
それは仲間も同じで、他の場での人との交流は少なく、役者同士のカップル率が非常に高かった。また、都内での家賃を節約するため同棲する者も多く、悠多も同じ劇団の役者と自然の流れでそうなった。
「どっちかが先に売れると、嫉妬に狂って、ひどい別れ方をするよ」
冗談めかして言ってくる先輩の言葉に、彼女である役者と2人して笑った。
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