アオハルは上ったり下りたり

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私は、そんな玲音を見て、大きくかぶりを振った。 「玲音、それより明日! 卒業式の伴奏があるの」 そう、私が右手に激痛が走った瞬間に考えたのは、明日の伴奏のこと。 1ヶ月も先のコンクールのことじゃない。 「そんなの、他のやつにやらせとけばいいだろ。オーディションに落ちた奴らが喜んで弾くよ」 玲音は、どうでもいいと言わんばかりに答える。 「そうだけど、オーディションに落ちてろくに練習もしてないあの子たちの演奏がどんなものか、想像してみてよ。卒業式よ? 卒業生の保護者も来賓もいるのよ? 練習不足で、場慣れもしてない人が弾けるわけないじゃない」 合唱コンクールならまだしも、卒業式は、年に何度もコンクールや発表会を繰り返してる私だって、緊張する。 「でも、どうしようもないだろ。明日無理して、コンクールに出られなくなったらどうするんだよ。おばさんだってきっと反対するぜ?」 もちろん、それは分かってる。 「だからよ! 玲音、明日弾いて!」 私は、そのために玲音を呼んでもらったんだから。 「は!? 明日だぞ? 一夜漬けで弾けって?」 玲音の視線が突き刺さるように私を見つめる。 「あの子たちに任せるより、絶対、玲音の一夜漬けの方がいい音を出せる。それは、自分でも分かってるでしょ?」 ピアノのタッチが全然違うもの。 ピアノの鍵盤は押せば鳴るけど、押し方で全然違う音色になる。 それがあの子たちには分かってない。 ただ楽譜通りに鍵盤を押すことで精一杯の人には、任せたくない。 玲音はしばらく私を見つめた後で、諦めたように、ふぅぅっと大きく息を吐いた。 「しゃぁねぇなぁ。多少のミスタッチは許せよ?」 「玲音!」 やっぱり玲音は頼りになる。 「じゃあ、その鞄の中に楽譜が入ってるから」 私がそう言うと、アユが荷台に括り付けてあるゴムを外し、楽譜を取り出してくれた。 「まぁ、佳音の伴奏聴いてたから、音は入ってるけど、一応借りとく」 玲音は、受け取った楽譜をサブバッグに押し込んだ。 「それより、佳音、自転車で帰るのは無理だろ? おばさんを呼んで来てやるから、ここでアユと待ってろよ」 玲音がそう言うから、私はこくりとうなずいた。 「玲音、ありがとう」 玲音は照れくさそうに微笑むと、 「じゃ!」 と自転車に乗って去っていく。 私は、その後ろ姿をじっと見つめていた。
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