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10年後の確認
「担当者を呼んでください!」
心の中では永遠と感じる時間、じたばたと考えたあげくようやく決心して、極めて冷静を装ったつもりだったが、大きな声になってしまった。
その数時間前、久しぶりに故郷に帰ってきた。新幹線の駅を降りると10年前からほとんど変わらない風景が広がっていた。
駅から徒歩圏内の高層ビルに向かおうとして改札を抜けた。
(東京駅から早い時間の新幹線に乗ったから、今は10時少し前くらいか。)
「先輩、お早うございます。」
後輩が待っていた。
「かなり早い時間の新幹線に乗ったんだね。」
「はい、初めての調査ですので興奮して早く起きてしまいました。」
「じゃあ行こう。」
今日の調査対象は、この県でも1、2を争う大企業の○○技研だった。会社の受付で国税庁のものだと告げると、総務部の職員とおぼしき数人が極めて迅速に待合室に出て来た。
「お早うございます。では、書類等を準備させていただいている会議室までご案内します。」
何か問題点があって行う調査ではなく、大企業を対象に定期的に行うものだったので極めて順調に進んでいた。
ところが、ある書類を、その作成者の記名欄を見た瞬間から、心の中の戦いが始まった。
それは自分のこれまでの人生において、最も良く知っている名前だった。
C大の学生だった頃、同郷の彼女ができた。自分とぴったりな明るくて優しい性格で、いっしょにいるととても楽しかった。20歳前後だったが、早くも確実と思えるような未来予想図を描いていた。
最後の最後にあんなことがなければ………。
4年生も後半になった日曜日の朝、新宿で深夜勤務のアルバイトが終わり、自分の下宿がある駅まで帰ろうと小田急線に乗った。疲れ切った体で座席に深く腰掛けた。
眠気を必死にこらえていたが、笹塚駅のそばの踏切を列車がゆっくりとすぎようとした時、はっとして眠気が一気に吹き飛んだ。
(尚子さんと田中が。なんで。)
彼女と親友が踏み切りに立っているのが見えた。
月曜日の朝までいろいろなことを考えたけれど結論がでず、もやもやしながら大学の講義に出なければいけなかった。
彼女がいつものように話しかけてきた。
「スタバでもいかない。」
話せなかった。
「何、どうかしたの。」
話せなかった。
その後、最寄りの駅まで並んで歩き、さらに京王線に乗って隣に座った。
話せなかった。
「あ、ようやくわかった。日曜日新宿でアルバイトしてるよね。」
話せなかった。
「見たな。田中君とは何もありません。同じ国家試験を受けるので、朝早く笹塚駅で待ち合わせて、試験会場まで一緒に行っただけよ。」
話せなかった。彼女は怒った。
列車が止まった瞬間、全く関係ない駅に降りて行った。
追いかける冷静さと勇気がなかった。
「担当者が参りました。」
顔を上げて10年ぶりに彼女を見た。にっこりと微笑んで自分を見ていた。
(ああ、なんて大切なものを失ってしまったのだろう。)
彼女が言った。
「御不審の書類はこれでしょうか。」
彼女が机の上にのせたのは、あの日の国家試験の古ぼけたパンフレットと合否の結果通知だった。
「しっかりと確認してください。」
「………」
「話して。」
「しっかりと確認しました。」
「もう一つ、確認したいことがあります。もう御結婚されていますか、私はまだですが。」
彼女は自分をじっと見て、なかなか返事をしてくれなかった。
首を横に振った。
大切なものを失っていなかった。
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