座敷

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座敷

 蘇芳の導きにより辿り着いた店の座敷で、私と蘇芳は、大きな一枚板の分厚いテーブルの角を挟んで90度に座る。蘇芳はコーデュロイの足を窮屈そうに机の下に押し込む。私の好きな、黒板に何やらいっぱい書いてある店だ。蘇芳は書かれている順番に、ほぼ忠実に注文した。  私はくるりと巻かれた控えめに銀に輝くサヨリの背のラインを見つめながら訴えた。 「選り好みしなければあるんだろうけど」 ビールから日本酒に切り替えていた。こんな一日中雲が低く垂れ込めていた日の晩には、ぬる目に燗した日本酒がぴったりだと思った。 「いいのに出会えないんだね」 「出会えてもお断りされる」 「焦ってる?」 「そりゃあね。未経験で正社員になるなんて、新卒の今しかチャンスがないのに」 社会人となってちょうど二年経た蘇芳は言った。 「仕事なんて、つまるところすることはどこでも一緒だと思うんだ。とりあえずどこかに就職しさえ出来れば、後の道はどうとでもなる」 「その最初のとりあえずが取り合ってもらえない」 幾度となく繰り返された会話を繰り返していた。ここのところ二人の間に上る話題は私の就活のことで占められていた。 「何がやりたいの?」 それには答えずに私は聞いた。 「何が向いてると思う?」 蘇芳はお猪口の中身をこくと飲み干してから真顔で言った。 「事務」 忙しくはまぐりの殻に残った貝柱と格闘していた箸が思わず固まったが、悟られまいと顔を上げ、素早く 「でしょう、お茶くみでもコピー取りでも何でもするよ、一般事務でいいのに、それすらも採用されない」 と同意してみせた。 「スオーさんは、手に職があっていいなあ」 理系の彼はSEとして働いていた。蘇芳にも漠然とした解答、事務、と断言されてしまう程、私にはこれといった特技がないことは自覚していた。得意なこともなければ、やりたいこともない。ありとあらゆる業種、職種の雇用の門を叩いてきたが、門前払いで先に進めた試しがなかった。もはや一体何が向いているのか、何がやってみたいのか、私にはわからなくなっていた。  蘇芳は鯛のかぶと煮の目玉を箸で器用にくり抜くと、 「はい、萌黄、DHA摂りなよ」 と言って皿の隅に置く。私は蘇芳の手元にあった皿を引き寄せると、目玉を口に放り込んだ後、鯛の頭をひっくり返し、身をほじくり始める。DHAのお礼に頬の身を蘇芳に譲った。時に箸でつつかれ、こそげられながら鯛の頭は解体される。私は終始無言だった。同じく黙って、私が作業を終えるのをおとなしく待っていた蘇芳は、積まれてゆく骨のガラの山を見て 「猫もまたぐね!」 と、驚いてみせた。今日の私にとって猫、が厭忌ワードであることも知らずに。 「本当に器用。萌黄なら、どんな仕事も完璧にやりこなすのにね!」 本気で励ましてくれている蘇芳に返した私の苦笑いは、謙遜からではなく、落胆から出たものだった。
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