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ホームセンターから透也の部屋までは、ほんの数分だ。
アパートの前の細い道に車を駐め、荷物を取り出す。今夜は昨日よりもさらに冷える。吐く息は白く、濡れた荷物はどれも凍り付いたように冷たい。
軋む階段を慎重に上がり、ドアの横に付いている小さなインターホンを押す。
ドアの向こうで足音と錠の開く音がして、ドアが開く。
「おかえり」
「ただいま」
その言葉が自然に出たことに驚いた。
足下に荷物を置いて、奥の部屋に入ってゆく透也の背中をぼんやりと眺める。口から漏れた息は、今はどこにも見えない。
のんびりしている時間はどこにもないのは分かっているが、もう一歩も動きたくなかった。ドアに背を預けて、ゆっくりと目を閉じた。
「荷物、それだけなの」
突然の声に、俺は慌てて目を開けた。すぐ目の前に、透也の顔がある。吸い込まれそうな瞳、というのはこういう目のことを言うのだろうか。
「え、あ、いや、まだ車に残ってる。っていうか、俺、もしかして寝てた? 」
「多分。まあ、せいぜい五分くらいだと思うけど」
念のため車に鍵をかけておいて良かった。
「荷物運ぶの手伝おうか?」
透也の申し出はありがたかったが、俺は首を横に振った。
「いや、いいよ。あと少しだから。でも、俺が上がってきた時、またドアを開けてくれると助かる」
透也がうなずいたのを見て、俺は再び外に出た。
小さな段ボール箱と、クローゼットの中から救出したスーツを取り出す。明日は昼前から面接があることを思い出して、憂鬱になった。
階段を上がると、ひとりでにドアが開いて、透也が顔を出す。
「ありがとう。これで終わりだから。車、返してくる」
「今から? 明日じゃ駄目なのか」
「駐めておくとこないだろ。前の道も狭いし」
透也は納得したようにうなずくと、じゃあちょっと待って、と言って部屋の奥に入ってゆき、三十秒もせずに出てきた。
「はい、これ」
透也はそう言って握った手を差し出した。俺は反射的にその下に手を伸ばす。手の平の中に、固いものが落ちる。
今朝俺が郵便受けに放り込んだ合い鍵だった。
「え、いいの」
間抜けな声が出る。
「鍵なしでどうやって住むんだよ」
呆れたような声だった。
「いや、まあ、そりゃそうだけど」
「細かい事は明日にでも決めよう。今日は大変だろうから」
そう言うと透也はさっさと部屋に戻ってしまった。
外に出て、今さっき渡されたばかりの鍵をドアに差す。カチャリという音が、今朝よりも柔らかく聞こえる。
更けてゆくばかりの夜は、気温も下がっているはずなのに、さっきよりも暖かく感じるのは、身体が温まったからというだけではきっとないだろう。
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