赤い薔薇の君

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 しばらく沈黙が続く。もうこれが限界かな、と思った時、話し出したのは透也だった。 「気取った奴だと思ったっていうのは、その、俺が薔薇の匂いを嗅いだりしてたからか?」  予想外の言葉に驚いて顔を上げると、透也の顔がうっすらと赤くなっている。  俺はその時はじめて、透也がどうして俺にあんな態度をとっていたのかわかった。 「恥ずかしがらなくてもいいんじゃない? 中々様になってたよ」  透也の顔がますます赤くなる。 「いつもあんなことしてるわけじゃない。あの時はたまたま、ちょっと疲れてて、」 「いいよいいよ、そんな取り繕わなくても」  透也が俺を睨む。 「あの日の事は今すぐ忘れろ」 「いやあ、ちょっとあれは忘れられないなあ」  透也はまた黙り込んで横を向いてしまった。調子に乗りすぎたらしい。 「まあいいじゃん、俺の方も変質者みたいなことしちゃったわけだし」  首を傾げて、横目で俺を見る。 「俺、透也に二回目に会った時、下手したら通報とかされるんじゃないかって心配したよ」 「そんな大袈裟な」  今度は本当に呆れている声だった。 「でも、ストーカーみたいじゃなかった?」 「考えたこともない」 「それはそれで問題かもね」  透也は意味が分からないというようにもう一度首を傾げた。 「ま、つまりは互いにやばいとこ見られた仲って事だな」  俺が笑うと、透也も笑った。  それから二人で他愛ない話を続けた。バイト先に来る愉快な客の話、大学のレポートの愚痴、会社員時代の失敗談。そんなくだらない事が、今この瞬間だけは、きらきらと輝いているような気がした。  だけどそんな楽しい時間には終わりがつきものだ。どこか気の抜けた電子音が部屋に響いて、俺と透也は二人揃ってスマホを見た。いつの間にか八時半を過ぎていた。 「今の音何、炊飯器?」  透也がうなずく。さすがに今が帰り時だろう。 「ごめん、長居しすぎた」 「いいよ。俺が引き留めたみたいなもんだし」  立ち上がりながらスマホをポケットに入れようとして、大事なことを忘れているのに気付いた。 「そうだ、連絡先、交換しよう」  透也も今気付いたというように顔を上げる。 「ケイって、こういう字なんだ」  メッセージアプリに表示された俺の名前を見て、透也はそう呟いた。 「名前負けだよね」 「え?」 「だってその漢字って、なんか賢いみたいな意味でしょ。でも俺馬鹿だし」 「そんなこと、ないと思うけど」  本当に頭の良い人間にそう言われるのは、嬉しいような、恥ずかしいような、不思議な気持ちだ。 「そう言えばさ、俺の今の着信音面白いんだよね。一回掛けて」  みて、と言いかけた時、俺の手の中でスマホが震えた。あまりに驚いて、思わずスマホを床に叩きつけるところだった。  発信者も見ず、慌てて電話に出る。透也の冷たい視線が痛い。 「はい、南雲です」  電話の向こうから聞こえてきたのは、アパートの大家の声だった。
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