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「既読スルーでいいの?」
「だって今の状態では返事もできませんから。このひと、3月中に処理しておかないといけない経費精算、やり忘れていたんですって。だから、なんとかこっそり作業してほしいとか言われたんだけれど、無理なものは無理です」
「3月中? でも今は」
「はい、もう4月です。うちの会社は3月末が期末なので。年度が変わって決算も終わってしまった以上、下っ端の私だけではどうにもなりません。しかも今日は金曜日ですから。だから月曜日の朝イチで、それぞれの上長をCCに入れて、社内メールで返信しておくことにします」
「CCに入れてあげるなんて優しいね。俺なら、BCCで返して自爆させるけど」
「別に嫌がらせじゃなくって、単に一般的な事務としての対応ですから」
「相手が勝手に自爆しても?」
「ええ、相手が勝手に自爆しても」
くすくすと笑いながら、私は残りのアイリッシュコーヒーを飲みほした。
「あ、これって情報漏洩になるんですかね? 最近、コンプライアンスとか厳しいっていうじゃないですか」
「今の会話は、よく聞く話だし、大丈夫じゃないかな。むしろ俺的には、業務時間外に個人的なお願いを単なる後輩にお願いしているのは良くないんじゃないかって思うよ」
「まあ、ただのお願いベースですから」
「でも、彼氏のお願いだったら聞いたんじゃない?」
「いや、だから断りましたし! だいたい、私の彼氏はさっき決まったでしょう!」
「でもやっぱり心配なものは心配だし? 一花ちゃん、こういうのはすぐに社内の窓口に相談していいからね。社内規定該当ゆるゆるなところもあるけれど、うちは違うから。セクハラ、パワハラは御法度だし、社会規範を乱す行いにも厳しいからね!」
社内規範ってことは、不倫とかかなあ。まあ、社内不倫が横行する会社よりは、厳しいほうがいいのかも?
「もう夜も遅いし送ろうか」
「……そうですね」
急展開は無理だけれど、もうちょっとだけ一緒にいたい。そう思っていると、ぎゅっと抱きしめられた。
「それともうちにくる?」
「え?」
「夜明けのコーヒーにはまだ早そうだけれど」
「はい」
「我慢できなかったらごめんね」
陽斗さんのウインクは、流れ星みたいな弧を描いて私の胸に飛び込んできた。
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