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 二つの提琴のための協奏曲はすべての予備提琴奏者達がこの難題を解かずには一級提琴奏者になることはできないというような、提琴奏者としての腕前を示す一定の指標となる曲だった。朱莉は六年前にこの曲を初めて弾ききっていた。あの曲は難しかったと私に話したことがある。私は今回が初めて弾くが、初めての曲に取り組む時、初めに楽譜を手渡される。渡された楽譜の譜読みをする前に、私はいつもC.H.のかび臭く埃っぽい古い書庫でその楽譜の作曲者の生い立ちや、その曲が作曲された時の作曲家の状況を調べる。それは誰から指示されたことではないし、他にそんなことをしている人を私は知らない。ただ、符読みの遅い私は、どうにも一音ずつ楽譜から音を拾っていくのが苦手であり、リズムも音程もその楽譜にしか記されていないので、符読みをするしか正しい音程とリズムを知ることはできないのだが、私はいつも曲の成り立ちを知ることから始める。今回もその例にもれず、私は二つの提琴のための協奏曲の作曲者およびその時代背景の調査に取り掛かった。 現在まで残っている器楽曲は、そのほとんどが500年以上昔の楽譜であり、すべてが大戦を経たものである。大戦で大半の資料は失われてしまっており、課題曲について書かれた解説書が残されていないことも多い。そんな時は諦めて苦手な譜読みから始めるが、今回は幸いなことにこの曲の資料が残っていたので、私はそれを興味深く読み漁った。それにより譜読みを始めるのが遅くなり、合同訓練のぎりぎりまで自主訓練をするはめになってしまった。第二提琴の組長である種山にはいつも早く譜読みを始めるように指導されていたが、今回は特に遅れてしまった。種山はいつもちまちまと指摘をしてくるのだが、ありがたいことである。           * 久しぶりに入った閲覧室は変わらずに薄暗かった。閲覧室は小さな図書館のような場所であり、独立している建物ではなくC.H内の一角にあった。閲覧室の入り口は暗く、奥の方が見えないが、その位置関係を私は把握しており、いつものように書棚に囲まれた細い通路を進んでいくと右側に柔らかい光が見えた。それは大きな掃出しの通し窓であり、それがこの閲覧室の唯一の光源だった。電力消費を抑えるため、電気使用は極力抑制されている。そこには一つの長テーブルと2脚のパイプ椅子が置いてある。私は小さな手提げ袋をその長テーブルに置いて、書棚に向かった。十数分程探すとバッハの棚に「ふたつの提琴のための協奏曲」に書かれた文献が見つかった。私は窓際の机に戻りパイプ椅子に座った。本にはこう書いてあった。 二つの提琴のための協奏曲は1730年頃にバッハという作曲家によって作られた提琴のための協奏曲である。バッハはドイツ連邦共和国と呼ばれるかつての国家で生まれた作曲家であり、オルガン奏者でもあった。この曲はドイツケーテンでレオポルト候にケーテン宮廷楽長として仕えていた時に作曲されたもので、ケーテン宮廷が教会音楽を重んじないカルバン派に属していたためケーテン時代のバッハの曲は教会音楽から離れた自由で世俗的な曲を作っており、この曲もその一つである。この協奏曲は第一楽章Vivace、第二楽章 Rargo ma non tannto、第三楽章Allegroから構成されている。この曲は第一と第二が交互に旋律を生み出す対位法を用いて作られた初めての曲であった。境界音楽から離れたバッハの世俗的で自由な音楽というフレーズに私は心を躍らせた。規律を守るばかりの生活は窮屈である。上長から渡された譜面を見てみると音楽が自動的に流れ込んでくるような人もいるらしいが私の頭の中には譜面からは音楽はなかなか流れ込んでこなかった。ただ、バッハの歴史の中でこの曲が持つ意味を私は宮廷音楽長という立場から解放され自由に作られたものであった。その作曲背景を私は気に入っていた。それはC.Hに暮らす私達にも共通する閉塞感があったから。それは物資が滞り、情報が滞ったこの場所で共に生きていくということと似ていた。 かつて、自治区外の楽団員が私達の住むこのC.Hまで来て弦楽四重奏を披露してくれたことがあった。それはまさに私達が目指すものであり、今の私達の演奏とは異なる演奏だった。演奏はC.H.の大ホールで行われたが、朱莉と一緒にその演奏を聴きに行ったことがあった。そこにはC.H内で暮らすような私達のような予備提琴奏者や療養関係者達だけではなく、自治区に暮らす労働者達もいた。C.H内の生活だけが、すべてだと感じてしまうような閉じた世界であったが、そこにはこれまで接したことのないような人間も来ていた。私達や労働者達が座っている簡素なパイプ椅子の後方には少し高い位置に綺麗に整えられた、装飾された2脚の椅子が置いてあった。とても柔らかそうで、重厚なその椅子には、誰も近づかなかったが、開演時間の5分前になると、C.Hの職員がこぎれいな格好をした老夫婦を案内して、連れて来た。となりに座った朱莉に聞いてみると、あの老夫婦は自治区に所属しない人間で、資産家なのだと朱莉は言った。肌寒い季節だった。C.Hの職員が幾何学的なもようの刺繍が施された毛布を二枚、老夫婦に手渡していた。これまで見たことないような美しい刺繍だった。檀上には数人の演奏者がパイプ椅子に座り、音を出していたが、演奏が始まるにはまだ数分の時間がありそうだった。私は隣に座る朱莉に声をかけた。 「あの人たちはなんで、別のところに座っているの?」 「あの人たちは、ここの自治区の人間じゃないからじゃないの。そういえば、知らなかったね。自治区外から演奏を聴きにここまでくる人も時々いるんだよ。それはあの老夫婦達のような限られた富裕層の人間だけだけどね。あの人たちは今回みたいな一級奏者達の演奏会があるときは毎回くるんだ。」 そういって朱莉は私に教えてくれた。 彼らは自治区に所属しない人間であったが、演奏を聴きに来ることがあった。彼らは富裕層で自治区に束縛されずに独立して生きていけるだけの資産を持っていた。私達は各自治区に張り付いて、その場から離れることなく、その場での生産し、その場で消費することでしか生きていくことはできなかった。それは幸せなことなのだが、老夫婦のように十分な資産を持つこととは労働からの解放を意味していた。老夫婦は精神損傷を受けているわけではなかったが、それを娯楽として聴くことを許容されたリソースに余裕のある人間だった。六十代と思われる富裕層の老夫婦が派手すぎずただ上品で高価な品であろうと容易に想像できる佇まいをしていた。傍らには彼らの従順なしもべであろうとように痩せながらも隆々として大型犬が彼らの外套よろしく彼らの傍らに佇んでいた。 そろそろ演奏が始まりそうである。小さなホールには自治区の人々が集まっている。そこには私達のような予備楽団員もいれば、労働者もいれば、介護を必要とされる人間もいる。彼らは皆音楽での救済を求めている。老夫婦と違い、自治区の人間には不可欠なものなのだった。音楽が私達にとって不可欠であることは切実な事実なのである。老夫婦のような余裕は私達にないのだから。ただ老夫婦のような富裕層が自治区に対して支払う対価はまぎれもなくこの自治区にとっても大切な収入源であった。  演奏が始まった。静かな始まり。ヘンデルのバイオリンソナタである。何が演奏されるのか。事前に私達に公表されることはない。老夫婦には知らされているのかもしれないが。私達に選曲の良しあしに口を挟むことはありえないことなのだった。第一楽章は次第にテンポが速くなる。第三楽章にもなるとさらに軽やかに、提琴の弓は軽やかに飛び跳ねて、一級提琴奏者の美しい若い女性の白い柔布が軽やかに舞い、紅潮した頬はさらに生命を感じさせる。演奏者の一級提琴奏者の生い立ち、名前を私達は知らない。彼女の演奏はすばらしかった。ヘンデルのソナタは天にも昇るような音楽だった。途中にあそびを挟みながら、やはりそれは天上の音楽だった。そして、曲の最後はどこか天上界のどこかの道の途上に着いたかのようなところで曲は終わった。  演奏者達が立ち上がり、第一提琴のリーダーが演奏者達に目配せを送ったタイミングで、演奏者達は観客の方を向き、深々と一礼をすると、観客である私達は演奏を礼賛する惜しみない拍手を送った。礼賛の拍手は一分以上続き、舞台裏に一度はけていた演奏者達は、笑顔で再び檀上にあらわれる。止むことのない拍手は、演奏者を再び壇上に聞き戻した。彼らは各自の席に着くと、各々目を合わせ、第一提琴のリーダーが一度深く頷き、首をもたげたそのタイミングで、全演奏者の指先が、口先が、手首が勢いよく動き出した。洪牙利舞曲の勢いのよい曲が怒涛の如く流れ始めた。それはいきなり始まり、低音から高音まで縦横無尽に駆け上がり、駆け下りる。老夫婦も後方の高い位置で聴いているのだろう。私達は、リズムに合わせて拍手を始めた。演奏者達も楽しそうに楽器を揺らしている。朱莉も手を叩き、リズムを取っている。体は上下に揺れて、手は小刻みに十六分音符を刻んでいる。私達のようにこの自治区域に住む人間達、労働者も被介護者もC.Hの維持者、そして私達のような訓練生も、皆音楽に、リズムに心と体をゆだねている。見たことのない海を漂う藻屑のように、川を流れる死者の亡骸のように。  十分弱の狂騒的な舞曲が終わると、私達は再び賛辞を体で表現した。演奏者全員が立ち上がり、観客である私達の方へ体を向けると拍手と足踏みの音は最高潮に達した。演奏者達は満面の笑みで、深く一礼すると、端の演奏者から下手の方へ、左右にはけていった。拍手は続いたが、もう彼らが檀上に現れることはなかった。ほどなくして、拍手は止まり、観客達も席を立ち始めた。後ろ上部にいた夫婦の姿はもう見えなかった。私達も席を立とうと、隣に座る朱莉に声をかけようとしたとき、朱莉はまだ壇上を眺めていた。そっと横顔を覗き込むと、目頭を押さえる朱莉の横顔が見えた。演奏に感動しているのだろうと私には思えた。感情を表に出す朱莉の姿を見たのは初めてのような気がした。それほど、これまで朱莉の感情が発露した姿を見たことはなかった。演奏に感動したのだろうが、これまでにこんな姿を見せることがなかったので、私は少し驚いた。今回の演奏が特別なものだったのだろうか。私にはその差はわからなかった。 私達を含め、この小さなホールに演奏を聴きに来る人々はここで高等演奏者達の音楽を聴き、前回聞いた時から精神や体内に沈積したものをそぎ落とし、精神を浄化され、体芯にこびりついた淀みのようなものをほぐし、再び明日からの重要な労働力としての働きに戻り、療養者は体力の回復に励む。それが音楽の必然性なのだった。  珍しい朱莉の態度を私が無神経に壊してしまうことは罪であるような気がして、席を立たずにいた。 ふと先日の合同訓練を思い出していた。あの時、これまで第二提琴の、メロディーラインの裏拍、もしくは伴奏のような音を奏でてきた私にとって、先日弾いたふたつの提琴のための協奏曲の合同訓練を思い出した。今日聞いた演奏も素晴らしかったが、あの時の震えるような感動には及ばない気がした。私のような予備提琴奏者の演奏が一級提琴奏者の演奏に、及ぶものではないことなど明らかなのだが、先日の合同練習は素晴らしかったのだ。あの曲は第二提琴としては、珍しくメロディーラインを弾くことができる曲で、高音の箇所が多く、普段よりも格段に難しかったのだが訓練時からすでにメロディーが脳内にリフレインしていた。それは一回目の全体合わせの時も、二十人近くのカルテットないで弾いていると1stと2ndの大きなは波長がうねり重なり、一つの音として大きな波を生み出していることが感じられたものだった。その時のことを今、この場で思い出していた。ぼーっと先日の様子が脳内でリフレインしていた。 「帰ろうか。」 朱莉が横から声をかけてきた。私も朱莉に負けず劣らずに、放心していたみたいだった。小さく頷くと、私達は席を立った。ホール内には観客はおらず、後片付けのスタッフだけが残っていた。 「今日の演奏はとても良かったな。なんか音としての塊を感じた気がする。」  朱莉がそういうと、私は首を縦に振った。内心、もっと素晴らしい演奏が先日行われていたのに、思いながら私は首を縦に振り続けた。横の朱莉は満足そうに笑っていた。
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