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 朱莉は親のいない孤児だった。朱莉を初めて見たのは今いるConnected House(C.H)に連れてこられた時だった。新しい自治区に所属するのは初めての経験だった。自治区の境界と言っても物々しいフェンスや警備員がいるわけでもなく、古びた四輪発動機にわずかな荷物と共に乗せられて、自治区の名前が記された小さな看板の前を通過しただけだった。自治区の境界を越えた時、新しい何かになれそうな気がした。無口な小さな老人が操作する四輪発動機の荷台には私だけが乗っており、対岸が見えない湖のような川に沿って進んでいた。自治区間を移動するのは一部の富裕層だけであり、それもこのような四輪発動機を使うことなどなく、小型の飛行艇での移動が主であったため、道路状況はひどく悪い。すべての衝撃を小さな尻に受け続けあぜ道を進んでいたが、やっと目的地に着いたようである。四輪発動機はスピードを落とし、厳重な高い門に囲まれたC.Hの前に到着した。川沿いの道も大概だったが、C.Hに到着すると益々朝靄は深くなり、ちょっと先も見えないくらいだった。高い門の一部が開いており、その前に老人は四輪発動機を止めると、私に降りて中に入るように無言で促した。大地の際先に日が登り始め、朝靄が晴れてきた。靄の先に小さな少女の姿が見えた。肩辺りまで伸びた黒髪の美しい少女は私の前までくると、ここが私達のC.Hだよといい、ついて来て、と私を案内した。それが朱莉に会った初めての日だった。四輪発動機と老人の姿はいつのまにか音もなく見えなくなっていた。              *  初めて会った日からもう五年も経っている。黒髪の美しい少女も私も十七才になった。あの日、私を迎えに来てくれた朱莉はいまでも変わらずに、私の行動指針である。出会ってからは長い時間を共に過ごした。私達は異なる自治区で保護され、それぞれ適正検査を受けた。それは保護された児童に課せられた義務でもあり、権利でもある。この十年で適正検査を受けた児童というのは年間出生人数の八十%を占めていると言われている。一部の富裕層のみが、自治区という共生組織に依存せずに、自由に暮らしている。自治区というのは枷でもあり、保護膜でもある。自分達で作った保護膜の中で暮らすことは幸せだが、窮屈でもある。朱莉は八歳の時に、別の自治区で適正判断を受け、予備訓練生の育成施設のあるこのC.Hの自治区に所属することになった。私は十二歳の時に同じように適正検査を受け、この自治区に連れてこられた。朱莉と私には多くの共通点があった。私達は旧来、孤児であり、適正検査の結果、この楽団の予備訓練生としてこのC.Hに送られてきた。ふたりで違うのは入団の日、第一提琴、第二提琴の違いで、私達の境遇はとてもよく似ているように皆からみられていた。ただ、朱莉には似てもにつかわない。私は朱莉のようになりたいだけだった。幼い頃の記憶はあまりない。十二歳でここに来てからの記憶はよく覚えているが、その前の記憶はぼんやりとしている。あの四輪発動機に載せられてきた道のりのこと。道中の何もない平原と海のような川が広がる景色。そこに沈む夕日と騒がしい発動機の音と焦げたような化石燃料のにおい。覚えているのはそれくらい。私も保護された人間だった。ただ何の攻撃から保護されて北にかは覚えていない、ここに来てもう五年になるが、その間に朱莉とは長い時間を過ごした。共に訓練を受けて、鍛練に励んだ。休みの日には限られた予算で買い物にも行った。ただ、朱莉からこのC.Hに来る前のことを聞いたことは無かったし、私も話したことはなかった。記憶もぼんやりしているのだから、それはなおさらのことだった。なぜ私は朱莉が孤児であることを知っていたのだろう、 私は十二歳の時、楽団の予備訓練生として、楽団がある今のCHに連れてこられた。それからずっと一級提琴奏者から指導を受け、今年で四年目となる。朱莉と私はC.H内の学舎に共にくらし、昼夜、提琴の訓練をした。それが私の仕事であり、自治区で暮らすための「すべ」だったのである。成人するタイミングで計画通りの状態となっていれば、私達のような予備訓練生は駐屯地へ派遣される。予備訓練生は三十人程、所属していた。木管楽器、金管楽器、打楽器奏者と私達のような弦楽器奏者がいた。弦楽器奏者は合計二十人。構成は第一提琴が五人 、第二提琴が五人、中提琴が五人、大提琴が五人の構成となっている。           * 朱莉は八才の頃から、このCHで暮らし、予備訓練生として訓練を受けていたと朱莉から直接聞いた。私よりも五年はやく訓練を開始したことになる。その差はなかなかに大きい。五年はやく訓練を開始した朱莉の提琴の腕前は常に私の一歩も二歩も先に進んでいた。四年たった今もその感覚は体に染みついている。それは私の体に染みついていた。C.H.内で、私達は一人で三畳ほどの小さな部屋を与えられており、そこに前のC.H.から持ってきたわずかばかりの私物を置き、寝起きしていた。毎日、午前中に三時間の組訓練があり、私は第二提琴の組で、同じ第二提琴のリーダーのもと、私を含めた五人が六畳ほどの小さな部屋で訓練に取り組んでいた。 C.H.はすべてかつて国家と言われた集団があったときに建築された施設を、自治区が所得し、管理したのが始まりである。そのため、電気設備、水道設備、ガス配管設備など、施設のインフラは極めて古く、新たな設備を生み出すための新しい技術はとうの昔に失われており、補修部品は失われて久しい。手作業による修繕だけが施設延命の方法だった。それゆえ、室内温度管理は原始的であり、暑い日は水を浴び、寒い日は薪を焚く。 昼休憩を挟み、午後には一級提琴奏者による三時間の上長指導があり、第二提琴は太田という七十歳近くの老女が担当であった。初めて会った時、厳しい顔を見せて予備訓練生達を指導していた太田のことを私は恐ろしく思っていた。ただ、実際に指導を受けてから私が太田に持つ印象は大きく変わった。太田の指導は予想通り厳しかったが、情熱的であり、楽しい人だった。どこから手に入れたのかわからないが酒をよく飲み、たばこを吸った。ただ豪放磊落な太田の性格は私の心を穏やかにしてくれた。祖母と孫程、年の離れた見知らぬ女性から提琴の訓練を受けているということ。一人で生まれて、みなで育てられるという現在の生活の縮図である。五人での合奏を指導されることもあれば、個人訓練を受けることもある。朱莉とは出自は全く異なるが、この場所に同じ時期に送られてきた。過去を詮索することは私から朱莉にすることはないし、朱莉が私に聞いてくることもない。ただ、二人とも生まれた時から孤児で、適正検査を受けてこの場所で提琴の予備訓練生として昼夜訓練している。私達は共に、提琴隊だが、他にも第提琴、中提琴の予備訓練生が一緒に訓練している。一学年で提琴隊は十人、大提琴隊、中提琴隊はそれぞれ五人ずつ、合計二十人から構成されている。私達が所属している提琴隊には二人の上長がおり、共に一級提琴奏者だった。一人は六十才を過ぎた老婆に提琴士太田。もう一人は数年前に新しく赴任した四十才過ぎの一級提琴士、吉田だった。太田は極めて厳格で私は太田から指導を受け、朱莉は四十の中年提琴士である吉田の指導を受けていた。太田は厳格な指導者だったが、豪放磊落な人間であった。六十を過ぎてなお、大酒を飲み、たばこもたしなむような老婆で、振り乱した髪をスカーフで覆っている。昔はさらに豪快な人間だったらしいと誰かに聞いたことがある。 夕飯後は個人練習の時間となり、それぞれ共同の訓練場で音を出したり、自室に戻って符読みをしたり、小さな部屋で音を出したりする。自治区内全体の人口密度は極めて薄く、訓練の音が問題になることはない。夕飯後の薄暗い室内で、一人で提琴を取り出し、いつものように調弦をする。大戦前には、自動で音程を判別する装置があったと聞いたことがあるが、すでにその技術は失われてしまい、金属製のU字型の音叉のみがあるだけである。U字型の音叉を太ももで軽くたたき、震える音叉に耳を近づける。長く震えるAの音に私は耳を澄ませて、解放弦を自由に響かせる。僅かにペグを締めると、弦の波長が金属製の音叉の固有振動数の一致し、気持ちのよい共鳴が肩当てを通じて私の顎の当たりの骨に伝わり、肩辺りまで震えはじめると、提琴の魂柱あたりからネックの先までが全体で震え始めてくる。こうなれば、Aの音は正しく調弦できたと言える。そうして私はやっと、D音を調弦し、G、Aと調弦を続ける。そこからは一番気持ちのよい和音に合わせていく。そうするとやっと、提琴の練習前のセッティングが終わるのである。調弦作業自体は、毎日の日課であり、夏の熱い日や冬の寒い日には午前と午後、さらには夕飯後に調弦をすることもある。それほど、弦や楽器は気温の影響を受け、膨張と収縮を繰り返している。次の日に訓練がない日、私は好んで深夜に音を出した。部屋の中で音を出すと、薄汚れて、かつては白かったであろう冷えた白壁に音が吸い込まれていく。            * 毎週水曜日には全体訓練があり、提琴から大提琴、中提琴、木管楽器、金管楽器などすべての組が集まり、合同訓練をする。四十人近くが集まり、音を出す。この緊張感は弦と同じで強く張れば張るほど張りつめ、高速で振動して、波長は短くなる。私はこの張りつめた空気感が好きだった。合同訓練の指導は各組の上長が交代で全体指導をすることになっている。 「太田上長ってなんか怖そうだよね。大丈夫?あんたまたひどく叱られているんじゃないの?」  C.Hの食堂で隣に座った朱莉がそういって私を心配している。食堂で朝食を食べるのは、いつも朱莉と一緒だった。食堂が空いている時間は決まっていたが、食べる場所は決まっていない。五年前のあの日、一人で朝食を食べていた私の隣に座ったのは、朱莉だった。それ以来、朱莉と私の朝食の席は決まっていて、変わることはない。 「そんなことないよ。怖そうに見えるけれど結構親切だよ。提琴の腕前も素晴らしいし。私にはあんな音はでないな。同じ音程でも楽器からの響きは全然違うんだよね。」 「ふーん。そうなんだ。組が違うとわからないものだね。」 「そうだよ。そっちはどんなかんじ?何となくわかるけれど。吉田上長堅物そうだよね。蟷螂みたいなメガネかけてて、いつも背広でネクタイしているし。蟷螂人間みたいな感じ。」 「想像通りの堅物だね。四十過ぎて、どんどん頭が固くなっているんじゃないかな。あの蟷螂野郎。ただ提琴は上手だよ。さすがに一級提琴奏者というだけはあって。」 「そうだ。次の課題曲の進みはどうよ。私達のパートは音程が高くてさ。サードポジションの音程が定まらなくてさ。どこまで上がっていくんだかって話よ。」 「そっちは音程高いもんね。だけど今回の課題曲は第二提琴も結構難しいんだ。バッハのコンチェルト。」 「ああそうか。第二も今回は音程が高めなんだな。ところで今日の全体訓練の準備は大丈夫なの?」 「まあなんとかなるでしょう。部屋に戻ったらもう一回最初から通しで弾いとくかな。」 「あんた。自分のことも他人事みたいに話すから心配よ。」 「自主訓練しているから大丈夫だよ。組リーダーも教えてくれるしさ。」  朱莉はやっぱり心配そうにしながら、食堂を去っていった。私の皿にはまだ、いくつかの野菜が残っていたが、私も朱莉の後に続いて、食堂を後にした。  三十分後、私は訓練場のホールのパイプ椅子に座っていた。すでに四十脚のパイプ椅子が並べられているが、訓練場には私しかいない。今日も誰も来ないうちに私は一番でホールに来た。提琴ケースを開くと松脂の匂いがこもったこのケースにはお気に入りの小さなミミズクの人形が入っている。その日最初に出す音はいつもひどくかすれていて調子外れの音しか出ない。数分間ボーイングを続けていると、弦と弓の毛が馴染んできて、次第になめらかな音が出てくる。私はハードケースを開け、弓を取り出し、松脂を丁寧に塗りこむと、毛が僅かばかり白くなった弓を軽く指でこすった。特に意味のない行動だが、私の習慣である。私は満足して、提琴をケースから取り出し、肩当を付けると、顎と肩で挟む。定位置に収まった。開始まで一時間あるので、私は今日の合奏曲の第二提琴のパートを初めからさらった。二周目の終わりころから、予備訓練生が集まり始め、三周目を終え、一息ついていると朱莉の姿が入り口に見えた。ほぼ、予備訓練生は集まっていた。 二つの提琴のための協奏曲はバッハが三十代で作曲した数少ない提琴のコンチェルトである。メインの旋律を形作るのは提琴であり、第一提琴と第二提琴が交互に主旋律となるという構成で、大提琴や中提琴または洋琴(ピアノ)が伴奏としてリズムを刻む。太田上長からの個人訓練以外は、自主訓練と組内での集団訓練がメインとなっている。今日は三楽器全体での合同の音合わせだった。ホールの固い真四角の木箱のようない椅子に座って音を出していると後方から朱莉が声をかけてきた。 「出来上がっているんでしょうね?音程外れてない?」 「うん、訓練してきたから大丈夫。」 「それならいいけどさ。」  朱莉は満足そうに檀上のすぐ横の椅子に座った。朱莉は第一提琴 の組リーダーであり、この集団のトップであり、主役だった。次第に他の予備訓練生が集まってきて自分の音程が取りにくくなる。そういうものなのだ。だから私はいつも合同訓練の時は一番にホールに来て、一番に音を出す。それはすがすがしく開放的な気持ちになるのだから。ざわざわしたホールに、二十人が集まっていつの間にか吉田上長が檀上に立っていた。もう音を出す者はいない。カルテットの指揮は各上長の交代制となっていて、今日は吉田上長の担当番であった。シーンとした静かなホール内に吉田上長の細い声が響いた。 「おはよう。それでは二つの提琴のための協奏曲を始めよう。」 吉田上長の小さなアウフタクトが振り下ろすと私達は息を吹き返す。
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