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戦士の国。
そう呼ばれている国がある。現代の話ではない。
どこか別の場所。別の時代。
そこには、機械の文明はない。
電気などというものは、まだ利用されていない。
火薬などというものも、知られていない。
普通の人々は日の出とともに起き、日の入りとともに眠る。
周辺諸国とは、戦争が絶えない。
戦士たちは剣を持ち、鎧に身を包み、盾を構えて戦う。
国は王族が支配しており、彼らにだけ、魔法と呼ばれる技が受け継がれている。
その魔法を利用して、王の一族は国を支配してきた。
この国に生まれた男子は皆、戦士になる。
王立の闘技場があり、15歳になると、戦いに明け暮れる。
一方で、この国の女子は、皆、奴隷になる。
戦士に仕え、子供を産むための奴隷になる。
闘技場では、今日も男たちの戦いが繰り広げられている。
不思議なことには、戦士たちの誰も、本当の戦場に行ったことがない。
彼らが知っているのは、円形の闘技場の中のみ。
そこで命のやり取りをする。
王立の闘技場では、今まさに戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。
これから始まるのは、本日の最終試合である。
試合はほぼ毎日ある。
1日に10試合行われるというのが標準であった。
試合順が後に行くほど、格が上の戦士が出てくる。
その形式は様々で、1対1で戦うものから、2対2や3対3といった少人数のグループ戦、10対10といった団体戦、あるいは20人以上の人間が入り乱れて戦うものまであった。
すり鉢状に作られた闘技場は、真ん中に直径30メートル程度の、戦士たちが戦うフィールドがある。地面は土だ。その周りを高い塀で取り囲み、階段状に観客席が作られている。客席は5000人を収容でき、正面に区切られた席は王族専用の観覧席となっているが、残りの席を埋め尽くすのは、奴隷となった女たちと、まだ戦士になる前の年端もいかない子供たちだ。皆一様に興奮した表情で、今から始まる試合を待ち構えていた。
王族席の中央には王が陣取っていて、その隣に王妃が座り、王子王女たちが周りを固める。
その少し離れたところに、黒い髪を短く刈り込んだ、がっしりとした体格の、見る者に無骨な印象を与える、色の浅黒い男が座っていた。座っているからわからないが、立ち上がれば身長2メートルはある、筋骨隆々の男である。
男の視線は鋭く、これから始まる戦いに投げかけられている。
この男も王族の一員で、闘技場で戦う戦士たちを束ねる最高責任者の立場にある。戦士たちを鍛え上げ、戦い方を教え込んだ。
戦士たちの一挙手一投足に歓声を上げる大勢の観客たちの中において、この男は身じろぎもせずに、第1試合からこれまでじっと男たちの戦いを見つめている。
この男の表向きの職業は、王立闘技場のトレーナー。
15歳で闘技場に入れられたこの国の男子たちを、通常5年間、徹底的に鍛え上げ、その後に観客の前で戦わせる。
その鍛え方は想像を絶しており、ときには死者も出るほどだという。彼らの肉体を鋼に変え、どんな戦闘にも対応できるような戦闘術を教え込む。
だが、それだけだろうか?この男も王族の一員であるからには、魔法を使う者でもある。男の暗い眼差しは、何か人には言えない秘密の存在を感じさせる。
戦場においては、負けは死を意味する。それはこの闘技場においても同じである。
グループ戦であれば、誰か1人が負けた時点で試合が決する。
これまでの9試合において、9人の死者が出ていた。
死者たちは一旦、死体置場に放り込まれ、この男が後の処理を担当する。
死んだ者たちの妻だった女奴隷は、生き残った者に当てがわれ、また、子供を産む。
今日はあと1人死者が出る予定だ。
試合開始を告げるラッパが鳴り渡り、観客たちの興奮が最高潮に達する。
東西の入場口より戦士が出てきて、闘技場の中央へと進む。
最終試合に登場するのは、未だかつて負けを知らない、最強の戦士たち。
もっとも、負けは死を意味するのだから当然だ。華と実力を兼ね備えた、選ばれし男たちだ。
一際大きな歓声が東の入場口から出てきた戦士に送られる。
この男は最強試合を任されるようになって久しい。身長は190センチ足らずだが、全身が盛り上がった筋肉で包まれている。その鋼の肉体には、一切の余分な脂肪がついていないが、体重は150キロを超える。
人というより、まるで小山であるかと錯覚すら起こさせるような、密度の高い、筋肉の詰まった男である。
大量の髭で覆われたその容貌は、野生の熊を思わせる。全身から、野生の凶暴さを思わせる殺気を発散させていた。
人呼んで、チャンピオン。もう2年ばかり、そういう呼名がついている。
この男は、この国に生まれた男子ではない。5年ばかり前に、フラッとこの国に現れ、自ら志願して戦士になった。元より、戦うことしか知らぬ男だ。
加えて、その異形の体躯である。一般の人々に混じれば、否が応でも目立つ。
男たちの血と汗に彩られたこの闘技場こそは、この男にとっての居場所なのだ。
戦士になり、名声と広い家、幾ばくかの富と20人の女を手に入れた。
この熊のような大男にとっては、他に望むべくもないような僥倖であろう。
自ら修羅の門をくぐったようにも見えるが、この男がこれだけのものを手にするには、闘技場で戦う以外にはない。
この男にとっては、戦士であることはまさに天職と言える。
男は所々肌の見える簡素な鎧を着て、左手に丸い大楯、右手に刃渡り180センチはあろうかという大剣を持っている。
全長にしたら2メートルを超えるこの大剣は、通常は両手で扱われるものだが、この男は、軽々と片手で振るう。
熊のような頭には、これまた簡素な鉄製の顔の部分が開いている兜を被っている。
この男の戦い方は単純かつ野蛮だ。
一般に他の戦士たちは、15歳で闘技場に入れられ、トレーナーから体系だったシステムにより剣術や格闘術を学ぶが、この男は、膂力に任せて剣を振るうだけである。
それでも、持って生まれた野生の勘で敵の攻撃を避け、人間離れした怪力で相手を鎧ごと叩き潰していた。
一方、西の入場口から出てきた男は、15歳で闘技場に入れられ、トレーナーより徹底的に戦闘術を叩き込まれた、この国出身の男だ。
非常に長身で、身長は優に2メートルを超える。
その肉体には全身にしっかりとした筋肉が付いているが、涼やかな顔立ちをしている。
柔らかな金髪が、風になびいて頬に絡みついていた。
若く自信に満ちた傲慢な視線が、対戦相手の野蛮な大男を見下ろしていた。
この男にも、一際大きな歓声が送られるが、今度のそれは嬌声と言ってもいいであろう。
男には女たちの羨望の眼差しがいくつも注がれていた。
この若い男は、今日初めて最終試合を戦う。無骨な印象のチャンピオンと、若く見目麗しい挑戦者のわかりやすい構図は、観客席に陣取るこの国の女たちに、どちらを贔屓すればいいか、明確な答えを与えていた。
男は闘技場で5年間修行し、去年デビューした。
よく鍛えられた確かな剣さばきで、瞬く間に頭角を現し、地位を固めてきた。既に5人の女を手に入れている。この試合に勝てば、チャンピオンの20人の女が伴侶を失う。
その女たちは、他の戦士たちに割り振られるが、勝った者には、その中で一番美しい女を選ぶ権利がある。
そのことも、この若い挑戦者の闘争心をかき立てる要因にもなっていた。
この男の装備も、鎧兜と盾は対戦相手と同じである。
だが、右手に手にしている獲物は、刃渡り120センチばかりの片手持ちの直刀であった。
これまで男はこの細身の直刀で、正確に相手の急所を貫いてきた。盾をかいくぐり、鎧に覆われていない部分の肌を狙って、避けようのない一撃を繰り出す。
大柄だが、その足さばきは軽やかで、まさに蝶のように舞い、蜂のように刺す戦い方で敵を葬り去ってきていた。
今日の対戦相手は、男にとっては気が楽な相手だと言えた。相手がこの国の出身でないからだ。
15歳で闘技場に入ってからは、目の前の対戦相手は、自分の命を奪いに来る死神と思えと教えられる。
生き残るためには、殺られる前に殺るしかない。人間の心を捨て去るようにと教えられる。
だが、当然のことながら、闘技場に入る前は、共に育った友人たちであることもある。
実際に、デビュー戦の相手は、そういう人間同士で組まれることが多い。
この男の場合も、初めての試合で幼い頃からの親友を殺めたのであった。
彼がその試合の後に手にしたものは、初めての女と幾ばくかの手当てと、すっかり変わり果てた自分の心であった。
二度目のラッパが鳴り響き、試合の火蓋が切って落とされた。
長身の挑戦者が華麗なステップを踏み、グルグルとチャンピオンの周りを回りながら、間合いを伺う。
筋肉の塊のチャンピオンはその表情を一切変えることなく、相手の動きに合わせて時々体の向きを変えるが、主には目で追うだけだ。
観客は息を飲み、2人の間にある束の間の安全地帯を見つめている。
挑戦者が大剣の射程に入った瞬間、力任せに全てを叩き潰す無慈悲な一撃が飛んでくるのを分かっているのだ。
挑戦者はチャンピオンの死角に当たる角度から、二度三度踏み込もうとしていたが、これはフェイントである。チャンピオンは誘いに乗ってこない。
突如、挑戦者が速度を変えて、チャンピオンのふところに一歩入り込む。
チャンピオンが左に体を向け終わった瞬間、逆方向に反転して雷迅の如く移動し、踏み込んで下から薙ぎ払うように剣を走らせる。
狙うはチャンピオンの大剣を持つその手首である。
剣を持つ手を、手首ごと切り落とそうという一撃である。
神速で振り出された挑戦者の剣が唸りを上げ、チャンピオンの手首を切り落としたかに見えた。
だが、血は流れなかった。
彼の剣が通過したのは、一瞬前までチャンピオンの右手があった空間に残った残像であった。
チャンピオンの太く発達した腕の筋肉が、両手持ちの大剣を持ったままであるのに関わらず、異常な速さで腕を動かしたのである。
チャンピオンの剣は、今、左手に持った盾のさらに左側に来ていた。
上腕三頭筋が人間の限界を超えた速さで収縮し、両手持ちの大剣が逆水平に薙ぎ払われる。
それを若い挑戦者は身を屈めて避けた。
しかし、彼の危機はまだ続いていた。
あれほど力いっぱいに振られた両手持ちの大剣は、振り切られる前に角度を変え、今まさに挑戦者の頭上に振りかぶられて、眼下の憐れな生物の上に振り下ろされるのを待っていた。
大剣の重量が生み出す慣性の力を完全に無視した、恐ろしい筋肉の力である。
逆水平に繰り出されるところまでは予想していた挑戦者であったが、まさかこの刹那に自らの頭上に大剣があるとは思ってもみなかった。
彼は瞬時に、左手に持つ盾を自らの頭上に掲げるよりも早く、チャンピオンの大剣が自分の頭を砕くであろうということを悟った。
頭の鉄兜など、チャンピオンの剛力の前には紙のように切り裂かれてしまうであろう。
そして大剣は彼の体をも鎧ごと切り裂き、そのまま地面に到達するのだ。
しかし、彼はまだ諦めてはいなかった。この場に存在する唯一の安全地帯に向けて、渾身の力で全身を移動させる。
そこにはチャンピオンの熊のような肉体があったが、両足の裏側の筋肉を酷使して、力を絞り出し、重い体を薙ぎ倒す。
若い挑戦者の捨て身の体当たりを受けて、どう、とチャンピオンが後ろに倒れる。
その上に覆い被さるようにして、挑戦者も共に倒れた。
倒れながら、若い挑戦者は、右手の肘を折り曲げ、最大限の旋回距離を利用して剣の持ち手の先をチャンピオンの喉元に叩き付ける。
だが、渾身の力を込めたその一撃も、チャンピオンの異常に発達した首の筋肉に阻まれた。
チャンピオンは仰向けに倒れながらも、大剣から右手を離し、その手で自分の上に乗っている男の喉元を掴み上げる。
軽く林檎を潰すその怪力で、グイグイと若い男の喉を締め上げた。
5本の太い指が喉にめり込み、挑戦者の顔色が見る見るうちに真っ赤に染まっていく。
やがてその色が赤から紫へと変わり始める。
下になっているチャンピオンの顔も真っ赤に染まっている。
ところが、その顔が紫に変わり始め、挑戦者の喉を締め上げる指の力が緩くなっていった。
若い挑戦者はそれを振り解くことが出来た。
上半身を持ち上げ、剣を逆手に握り変える。
そのまま剣先を、自分の下になったままのチャンピオンの無防備な喉に叩き込んだ。
勝負はあっけなくついた。新たなチャンピオンの誕生に、女たちの嬌声が渦を巻き、空間を切り裂いた。
若いチャンピオンが観客席に向かって手を振り、それに答えると、地鳴りのような悲鳴が長いこと鳴り止まなかった。
ここで視点をあの男に戻そう。戦士たちのトレーナーである、暗く無骨な印象を与えるあの男である。
男は勝負の行方を見届けると、静かに席を立ち、今しがた屍になったものたちが一時的に安置されている部屋へと向かった。
その途中、観客席にいる一人の美しい女に一瞥をくれる。
今となっては元チャンピオン、最終試合に負けた男の20人いる妻のうちの一人だ。
元チャンピオンの一番のお気に入りで、これから新しいチャンピオンの妻になる女である。
夫の食事に、遅効性の毒を混ぜた張本人だ。
この女はトレーナーの男から、夫に毒を盛るよう依頼され、それを実行したのである。
試合は仕組まれたものであった。では、なぜトレーナーの男はそのようなことをしたのであろう?それは、今から始まるこの男の本当の仕事に関係する。
男は死体置場に入ると、扉に鍵をかけ、誰もいないのを確かめてから、何やら呪文のようなものを呟いた。
すると、今日の試合で死んだ10人のものたちの死体が、再び動き始めたでないか!
死体たちは自分で歩き、男の後をついて、街の外へと続く秘密の通路を通っていった。
試合で首を落とされた者は首を持ち、手を落とされた者は手を持ち、それぞれ歩いていった。
前述したように、この国は、周りの国々との戦争が絶えない。そのため、優秀な戦士を確保する必要がある。
この国にある闘技場とは、戦士を輩出するためのシステムである。
生きているうちに戦闘術を叩き込み、実戦を積ませる。
そして試合で命を落とすと、男の魔法で蘇らせ、決して死ぬことのない戦士として、本物の戦争に送り込む。
これが、この国の王族のみが持つ魔法の正体である。
トレーナーの男が意図的にチャンピオンを殺したのは、今、行っている戦争の様子が思わしくないからであった。
この国は今、強い戦士を必要としていたのだ。
一仕事を終えて、男はホッと一息ついた。無敵のチャンピオンだったこの男なら、本物の戦場でも活躍してくれるだろう。それで、この国も安泰である。
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