エビピラフの夏

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 渋谷駅近くの喫茶店で僕は海老ピラフを食べていた。  店は入り口だけ地上に出した、地下にある店だった。  白っぽくて素気のないテーブルが幾何学的に並び、壁に複製の絵画が掛けてある。  天井には暗いオレンジの照明がつき、店のスピーカーは、何の脈絡もなく選ばれた流行歌を絶え間なく垂れ流している。  いかにも海老ピラフを食べてくださいという感じの店だ。  僕はメニュー表を見ずに海老ピラフとアイスコーヒーを頼んだ。たいていこういう店には海老ピラフがあるし、そもそもメニュー表を見なくともどんなメニューがあるかは分かる。  こういうところにはトーストとサンドウィッチとカレーとスパゲッティ、それにピラフしかないのだ。だいたいそうでなければ、わざわざ入り口だけ地上に出して地下で営業したりはしない。地上には7回建てだか8階建てだかの商業ビルが立っていて、まともな店のオーナーは進んで地下のスペースを選んだりはしない。その時点でこの店は積極的に商売をしていこうという競争に負けているか、始めから競争するつもりなどないのだ。  ピラフのメニューはたいてい2種類あり、普通のピラフと海老ピラフだ。世の中には海老がアレルギーだという人がいるし、普通のピラフを海老ピラフにするには、フライパンの中に冷凍の海老を足すだけでいい。  僕は海老が駄目だという人はわざわざ海老が入っている危険性のあるピラフを選ばずに、カレーかスパゲッティを選べばいいと思うのだが、世の中には僕には理解に苦しむところのものであるのだが、喫茶店でピラフを食べたいという人がいるらしい。  至極端的に言えば、僕はピラフが好きではない。  それなのにどうして海老ピラフを食べているかというと、単純に他のものが食べられないからなのだ。とはいっても、僕がカレーやスパゲッティに対して何らかのアレルギーを持っているわけではない。僕はカレーもスパゲッティも大好きだ。特にスパゲッティミートソースが好きだ。  原因は僕の口が小さいことにある。僕の口の横幅は、平均的な日本人男性のそれに比べて(日本人女性と比べてもだが)随分とサイズが小さい。そのために、大好物のカレーやスパゲッティミートソースを食べると、口の周りにソースがベタベタとこびりついてしまうのだ。  だから僕は必然的に喫茶店ではピラフを食べることになる。僕がピラフを食べる理由はそれだけのことであり、嗜好的傾向というよりも論理的必然的にピラフを食べるのだ。実に辻褄が合っている。  そのときの僕はふと、デジャブというか、そんなに大袈裟ではないけれど、以前にもこんなことがあったような気持ちになっていた。僕は喫茶店で海老ピラフを食べることがよくあるので、それは不思議ではないと言えばそうなのだが、僕の頭の中にあったのは、のどかで爽やかな夏の空気がたゆたう、何処かの田舎の風景だった。  こんな都会の地下に閉じ込められた空間でどうしてそんな気持ちになるのだろうと思った僕は、店内を見渡して壁に掛けられた絵をチェックしてみた。田園風景が描かれた絵があるんじゃないかと思ったのだ。でもそれはなかった。店内にあるのは何処から何処までが絵なのかまるで見当もつかないくだらない抽象画と、静物の絵だけだった。  僕は原因が耳にあるのだと思った。脈絡もなく流行歌を流す店内のスピーカーからは、福山雅治の『桜坂』が掛かっていた。僕は全ての福山雅治の歌を聴くときと同じように、表面的な気持ち良さに浸りながら聞くともなしに聞いていた。およそ上辺だけのチャラチャラした小綺麗なだけの歌を歌うのに、福山雅治ほどのうってつけの人物はいない。そして全ての歌は、社会への反抗や産まれたことへの感謝や二人が結ばれないことの切なさなどを歌うのではなく、表面的に甘ったるく表面的に気持ち良くなるために歌われなくてはいけない。どんなに深刻な内容の歌詞でも、スフレのように軽くて安っぽくて甘くしてしまえる福山雅治は当代最高の歌い手と言っても過言ではない。逆に最悪なのはミスターチルドレンだ。いったい彼らはどれだけ他人と苦悩を共有すれば気が済むのだろう?その点では山崎まさよしもいい線を行っている。  そうだ、と思い当たった。あのときも僕は海老ピラフを食べて『桜坂』を聞いていたのだ。時は2000年、夏。僕は大学の夏休みを利用して電車で関東地方の田舎を旅していた。  僕は初めて聞く名前の駅で降りることにした。その路線に乗ったのは初めてだったし、そもそも、その地方に行ったことも初めてだった。  何もかもが初めて尽くしの中なのに、僕がその駅で降りようと思った理由は実に在り来たりなものだった。トイレに行きたくなったのだ。  僕は電車を降り、ホームの便所で用を足した。予想通りの汚いトイレだったが、僕は汚いトイレについては些かのエキスパートであるため、驚きはしなかった。  スッキリしてホームに戻ると、そのまま次の電車を待っていようかと思った。  でも、そこはひどく寂れたローカル線で、次の電車が来る間隔よりも、次の尿意が来る間隔の方が短そうだったため、僕はそこで降りることにした。  時刻は昼時で、ちょうど降りるのに適した時間でもあった。  僕はほとんど朝ご飯を食べていなかったため、ひどくお腹が空いていたが、季節は真夏で、そんなに食べたいとも思わなかった。  小さな駅舎を出て、駅の目の前の地図を見たら、少し歩いたところに喫茶店があるのを見つけたので、そこに行くことにした。  他に、その地方の名物らしきものを食べさせてくれるお店もあるようだったが、僕は興味が持てなかった。  田舎を旅して分かったことは、自分は田舎が嫌いだということだった。  なんとなしに田舎暮らしというものに漠然とした憧れを抱いていたのだが、実際に田舎に来てみると、どうしようもない寂しさを感じた。  一応、あと一週間ほどの宿の予約をしていたため、それまでは田舎にいることになるが、帰ったらよほどの用がない限り、好き好んで来ることはないだろうと思った。  駅から喫茶店までは10分ほどの道のりだったが、特に何も印象がない。  きっと、遠くに山が見え、寂れた街並みであり、時折、道路を車が走っていたという、そんなところで大方間違いはないだろう。  やがて白い外観の喫茶店が見えてきた。  錆びかけた看板に、剥げかけたペンキで店の名前が書いてあるが、全く思い出せない。  おそらく、喫茶ポエムとかひまわりとかそういう、日本中どこにでもあるような標準的な喫茶店の名前だったのだろう。  それについては、僕は好ましく思う。  およそ喫茶店の名前というのは、すべからく匿名性を獲得するべきなのだ。  もし喫茶ファイアーバードだとか、喫茶ダイアモンドクラッシュだとかいう名前の喫茶店があったとしたら、僕は決してそこに入りたくはない。  喫茶店の扉を開けると、電気で冷やされたエアコンの冷気が襲ってきた。地球環境のことなどまったく考えない無慈悲な冷気が非常にありがたい。客はこれを求めて喫茶店に入っていくのであり、行政のお題目などに耳を貸して設定温度を守ったりはしないのだ。  僕はなるべく人気のなさそうな小さな2人用の席に着こうとしたが、広い4人がけのテーブルを促されたので、そちらに座ることにした。要するに客が少ないのだ。この店の前には1車線の細い道路が走っている。いや、この場合は歩いていると言った方がいいのかもしれない。今し方、僕が駅から歩いてきた道だが、それぐらい交通量が少なかった。それでも僕は、この道がこの辺りのメインロードだろうと見当をつけた。今が昼どきであるということを考えたら、もう少し客がいそうなものだが、僕のほかには2、3組の客しかいなかった。こういう喫茶店によくいるような、いつもカウンターに座っていそうな客もいなかった。  店のスピーカーからはポピュラー音楽が流れていた。  僕は出されたお水を一息で飲み干すと、水のおかわりとエビピラフを注文した。お店の人は30歳くらいの女性だった。ほっそりとしていて、色が白かった。柔らかそうな髪が肩まで伸びて、眉毛辺りまでの前髪を緩やかに分けていた。特に特徴のない、あまり印象に残らない顔立ちだったが、美人と言ってよかった。世の中には、こういう印象に残らないタイプの美人というものがいる。  ほかに店員はいなかった。たまたま今いないのか、それともそもそも彼女1人でこの店を切り盛りしているのか不明だったが、僕は後者であると断定した。どう見ても彼女は幸が薄そうなタイプに見えたし、喫茶店をやるようなタイプに見えなかった。この店が繁盛していないのはそのせいに違いなかった。  しかし、彼女はなかなかの美人だったし、田舎には彼女目当てで店に通ってくる客がいそうなものである。駅からここまで歩いた限りでは、この街に娯楽と呼べるものはありそうにない。きっと車で少し行ったところにパチンコ屋の大型店舗があるのだろうけど、みんなそちらに行ってしまうのだろうか?  あるいは、彼女には人に言えない過去があるのだ。それは決して自分から言いふらすようなことはないけれど、こんな小さな田舎町である。人の秘密などあってないがごとしである。きっとこの街の人間は、彼女が高校時代にどんな恋をしただとか全て知っているのだ。それを知っていて寄り付かないということは、彼女の恋愛は標準的な世間一般的な田舎町のそれとは大きく異なっていたのだろう。  おそらくこの街の女性は高校を卒業すると地元の会社で事務員として採用され、お茶汲みとコピー取りに8時間拘束される仕事に就くのだ。そこで2、3年働いて、高校時代のボーイフレンドか会社の上司かのどちらかと結婚して退職をする。子供を2人産んだあと、40手前になって地元のスーパーでレジを打つ。その頃には日に焼けて傷んだ髪とたっぷりの脂肪をお尻とお腹につけている。そしてそれこそがスーパーのレジ打ちに求められる資格なのだ。  従って、この街では30歳そこそこの女性は外で働いたりしない。彼女は異質な存在なのだ。そういう人物のお決まりのパターンとして、彼女も高校を卒業したら東京の会社に就職した。仕事内容は1日8時間のお茶汲みとコピー取りで、地元の会社と変わらないのであるが、東京に暮らしているというだけでなんとなしに地元の友達と差が付いたような気になってくる。  しかし、彼女の実家は喫茶店をやっており、両親が切り盛りしていたが、高齢であることに加えて、ある原因のせいで店に出ることが出来なくなった。彼女の兄がいたのだが、地元の有力者の娘と出来てしまったのだ。町会議員を20年勤めたその有力者は、年をとってから授かったその娘を玉のようにかわいがって育て、県庁の部長の家に輿入れさせようと思っていたものだから、2人を別れさせようとしてありとあらゆる圧力をかけたのだ。  こういう小さな田舎町である。地元の有力者に睨まれたらひとたまりもない。あっという間に彼女の家は村八分の扱いになった。喫茶店に来るものはいなくなり、店は急速に寂れていった。思い詰めた彼女の兄は車の中でガスを吸って自ら命を絶ち、両親は長男を失ったショックで鬱状態になった。彼女は東京の仕事を辞めてこの喫茶店を継ぐことになった。  長男の自殺をきっかけに、遠巻きに見ていた街の人たちも少しずつ戻ってきたが、それでも地元の有力者には面と向かって逆らえない。かつての繁盛を取り戻すことは出来ないでいた。  あるいはこういうことかもしれない。彼女には兄などいない。両親は今でも健在だが、ちょうど昼休みをとっているのだ。今は昼どきで、どんなに暇な喫茶店でもこの時間帯だけは忙しくなるはずなのにそうならないのは、彼女の恋愛遍歴にあるのだ。  彼女は高校の担任とつきあっていた。その教師とは地元の有力者の一人息子だったが、彼女との交際がバレてしまった。彼女が妊娠したからである。子供は堕ろすことになったが、交際相手は教師を辞めることになった。相手の不幸はこれにとどまらなかった。ちょうどこの時期、町会議員選挙が行われた。それまで5期連続で当選していた彼の父親は、この事件によって評判を落として無所属の新人に負けてしまったのだ。  もちろん彼女の交際相手も、ゆくゆくは父親の地盤を継いで政治家になるつもりだったため、このことは彼の将来に決定的な暗い影を落とした。結局、将来を悲観した彼は車の中でガスを吸って自らの命を絶った。  息子の自殺を受けて、一時期はすっかり憔悴しきっていた地元の有力者は、次の選挙で返り咲くことになる。彼を選挙で破った無所属の新人に、重大なスキャンダルが発覚したからである。東京のホテルで妻以外の女性と会っていたことが発覚したのである。何を隠そう、それが彼女であった。彼女は高校の担任と別れたあと、あろうことか元彼の父親の政敵とつきあい始めたのであった。  そのときにはもう彼女は高校を卒業していたのであるが、彼女には魔性の女というレッテルが貼られるようになった。おまけに彼女の交際相手だった若い町会議員は、その後、妻と離婚し、車の中でガスを吸って変わり果てた姿でいるところを発見された。彼女は若くして2人の男性を死へと誘ったのである。  そうか、それだからこの街の人間は彼女に寄り付かなくなり、この店は繁盛していないんだなと、一人妙に納得していると、注文したエビピラフが運ばれてきた。汗はもうすっかり引いていた。 「おまちどおさまでした」  ぎこちないイントネーションとともに、彼女がやってきた。白い指が伸びてきて、僕の前にエビピラフの皿が置かれるが、その手は震えていた。  おまちどおさまでしたの後には、決まり切った「ご注意の品は以上でお済みですか」の一言もない。  素晴らしい。人間が生きている証拠だ。挨拶というもの、人から発せられる言葉というものは、全て一人一人違うべきなのだ。  ここにはチェーン店にあるようなマニュアルはない。  断っておくが、僕はチェーン店を批判しているわけではない。  それよりも、そういうマニュアル的な対応を期待する客の方を批判しているのだ。  マニュアル的な対応を求めるということは、どこを食べてもツルンとした味しかしないスーパーで買ったキュウリを好むのと一緒なのだ。  僕は九州の田舎の出身であるから、本当のキュウリがあんなものでないことを知っている。  本物のキュウリはまっすぐでもないし、味が均一でもない。ところどころ強烈に甘く、ところどころ強烈に苦い。  キュウリに限らず、それが本物の野菜というものだ。  また、料理というものは同じレシピであっても、作る人が違えば味が違ってしかるべきである。だから僕の世の中には吉野家の牛丼の味というものも、マクドナルドのハンバーガーの味というものも存在していない。一人一人の料理人の味だけが存在しているのだ。僕は吉野家A店と吉野家B店の味の違いを感じ分けてみせる。  それにしても、彼女の動作はぎこちない。まだこの仕事に慣れていないという証拠だ。ということは、最近この店を継いだのだろうか?  作ったばかりのエビピラフは温かく、無邪気にバターの匂いを発散させていて、皿の端には、濃い色のパセリが乗っていた。  僕は以前、ピラフという名のチャーハンを食べさせられたことがある。  バターの香りがするということは、まずこれがピラフの第一条件をクリアしていることを示している。SASUKEで言えば第一ステージをクリアしたのと同じだ。  僕はピラフをガッツかない。口の周りに塗った日焼け止めクリームが取れてしまわないように、スプーンの先半分だけ使ってチマチマと食べる。店のスピーカーは福山雅治の『桜坂』を流していた。  エビピラフを食べる手を止め、彼女の顔を見上げる。憂いを帯びた、柔らかな笑顔がそこにあった。 「ええ。大丈夫です。暑い中を歩いてきましたから」  とっさに、そういう言葉が口をついて出た。あまり気の利いた言葉ではなかったけれど、そのときの僕にはそれが精一杯の言葉だったと思う。  彼女の顔は白い。  そしてそのときようやく気付いたことには、彼女は黒い薄手のセーターを着ていた。袖の先から見える両手も、雪のように白かった。  店にいる客は僕一人になっていた。入ってきたときに2、3組いた他の客は、いつの間にか帰ってしまったらしい。  僕は少し寒いと言うべきだったのだろうか?きっと彼女はエアコンの設定温度を上げたかったのだ。僕はこういうことにはいつもタイミングを外してしまう。いらぬ妄想などしていないで、もっと店の中を観察しておくべきだったと後悔した。  結局、僕に出来ることは、なるべく早くエビピラフを食べ終わることだけだった。幸い僕はまだ若く、一皿のエビピラフを猛烈なスピードで食べたとしても怪しまれるようなことはない。僕は急いでエビピラフを胃の中に収めた。  そのせいで少し口の周りにエビピラフがついてしまったが、エビピラフはカレーやスパゲッティミートソースのように色がついて目立つことはない。口の周りがバターでベタベタしていたが、それを知るのは僕だけである。  彼女はそれ以上話しかけてはこなかった。こういう非社交的なところも、この店が繁盛しない原因だろうと思ったが、僕だからこそ話しかけてこなかったのかもしれない。それは十分にありうることだと思った。  僕は最後に、皿の端のパセリを口の中に放り込むと、伝票を持ってレジにいった。急いで食べたせいで、エビピラフがどんな味だったのか全く覚えていないが、それはそれ以降、どんなエビピラフを食べても同じである。  エビピラフはいつでもどんな味もしないのだ。  彼女は僕がレジに立ってから、ほんの一瞬遅れて僕がレジにいることに気付いた。完璧なタイミングだった。  僕は千円札を一枚出してお金を払うと、お釣りを受け取って外に出た。  きっとエビピラフは850円とかそれくらいだったであろう。もしかすると800円だったか900円だったかしたかもしれないが、大きな違いではない。僕はエビピラフが1300円もするような店では、どんなエビピラフも食べたくはない。 「ありがとうございました」  と、彼女が言ったような気がする。  そこはエビピラフの味と同じように思い出せないのだ。  それでも僕は、彼女の透き通るような白い肌と、憂いを帯びた表情を思い出すことができる。  彼女は確かに美しい人だった。おそらく、いや、一週間が7日であるのと同じくらい確実に、世の中には彼女よりも美しい人はいる。しかし、それ以来、彼女は僕の中で美しさの基準となった。  彼女はいつも僕の中に存在していて、忘れた頃に意識の上に上ってくる。  僕は夏の太陽の下を駅へと向かった。  僕はこの街に来るべきではなかったのだろうか?  福山雅治は、今も相変わらずお洒落なだけの歌を歌っている。  だけどあれ以来、僕は福山雅治の『桜坂』を聞くと、ほんの少しだけ苦い気持ちになる。  ほんの少しだけ。ほんの少しだけだ。  もし、それがとても苦く感じられるようになったら僕はどうしていただろう。  もうよそう。  福山雅治の歌に意味なんてない。  エビピラフにも味なんてなくてもいいのだ。
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