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クレーム
ありったけのイヤミを滲ませて男は叫んだ。
「おい! 店長を呼べよ!」
店内BGMすら萎縮するほどの怒声に、他の客たちの会話もピタリと止まり、店に気まずい空気が流れる。
現代はストレス社会。何の不満もなく生きている人間などいないだろう。男もそのうちのひとり。今日も口うるさい部長からの説教。憂さを晴らすために、部下たちを連れて店にやってきた。そりゃクレームも刺々しくなる。
「いつまで待たせるんだよ! こっちは腹をすかせて店に来てるっていうのに――注文してから何分待ってると思ってるんだ!」
男の対面に座るふたりの部下は、上司の剣幕に萎縮しっぱなし。
小太りの店員が慌てて男のテーブルに駆けつけた。
「このブタ野郎! 遅ぇんだよ!」
待ってましたとばかり、店員を怒鳴りつける男。
「す、すみません。お待たせしました――」
男は呆れた様子で鼻をならすと、注文した品が乗った皿を店員の手から奪い取った。
「なぁ、店長呼んでこいよ」
「て、店長ですか?」
「当たり前だろ! お前なんかじゃ話にならん。店長呼んでこい!」
「まぁまぁ……」部下のひとりがなだめる。
「お前らは黙ってろ。俺のオゴりで連れてきてやってるんだから口を挟むな。こっちは気分を害されたんだ。謝罪にきてもらわねぇとな」
モジモジして突っ立っている店員に、男は再び怒号を浴びせた。
「だから、早く店長呼んでこいって言ってんだろ! ブタ野郎!」
店員は涙目になりながら、厨房へとすっ飛んで行った。
「注文した品も遅けりゃ、店長の謝罪も遅いじゃねぇか。まったく腹が立つ!」
貧乏ゆすりしながら苛立つ男。部下たちは気まずい雰囲気に飲まれ、声をかけることすらできない。
「あっ、あれ、店長じゃないですか?」
部下が通路の先を指差す。
「来やがったか?」
部下の視線の先に目をやると、そこにはドシッとした貫禄ある店長の姿。まるで這うようにして男のテーブルへと向かってくる。小太りの店員を隣に従えて。
「おいおい。マジかよ。客がキレてるんだから走ってこいよ。何をのそのそ歩いてきてるんだよ。これじゃまるで、牛歩じゃねぇか」
テーブルを拳で小突きながら、店長の到着を待つ男。苛立ちは募るばかり。
ようやく店長がテーブルへとやってきた。通路の先で見たときよりも、はるかにデカい図体。しかし、男に怯む気配はなかった。
「お前んとこの店はどうなってんだ! 注文してから食いモンが出てくるのが遅すぎるんだよ!」
「――」店長は黙ったまま頭を下げる。
「せっかく食いにきてやってんだ! どうなってるのかって聞いてんだよ!」
「――」
「バカヤロウ! 何黙ってんだ!」
「――」店長は再び頭を下げた。
「お前、ナメてんのか?」
店長は無言のまま首を横に振る。
「謝罪のひとつもできねぇのか?」
「――」
今にも殴り出しそうな勢いで睨みつける男。それでも店長は黙ったまま。
侮辱ともとれる店長の態度に、我慢は限界に達した。頭を掻きむしったあと、男は手のひらでテーブルを叩きつけた。グラスや皿が激しく音をたてる。
「なぁ、そこのブタ! お前の店の店長は、客に謝罪もできねぇのか?」
「いえ、そういうわけでは……」
「見りゃわかるだろ? さっきからずっと黙ったままで、俺に謝る気がねぇんだよ!」
「で、ですから、その……」
店員の豚はテーブル中央のコンロを指差す。そして、店長の口元へと指先を移動させた。
示し合わせたように、店長の牛は、口をパカッと開いてみせた。
「ご覧の通り、料理として提供してしまいましたので、店長は舌を失ってしまいました。そのため、しゃべることができないのでございます……謝罪の言葉も勘弁いただけたらと」
男たちが囲むコンロの網の上には、モクモクと煙をあげながら、食欲を損なうほどに焦げた牛タンが並んでいた。
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