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 ゆっくりと瞼を開く。  そこには金色の海が広がっていた。  菜の花が、見下ろす斜面いっぱいに咲き乱れている。陽の光がそれを金に染め上げる。花は少し盛りを過ぎたらしく、時折吹く強い風に、ざぁっと音を立てながら、花弁が紙吹雪のように舞った。  輝くばかりの景色を前に、炉火は黙ったまま目を輝かせていた。それから深く息を吸い込み、菜の花の匂いを楽しんでいる。 「〈いちめんのなのはな〉だ。」  彼は少し興奮しているようだった。いつものあの冷徹な表情がない。炉火は空を見上げた。 「月はどこだ、」 「月?」 「〈やめるはひるのつき〉の意味を考えるんだろ。」 「それなら……今日はたぶん、こっちの方だ。……あった、」  俺は南の空を指した。霞んだ空の中で、半分に欠けた月が淡く滲んでいた。 「よく位置がわかったな。」 「別に、普通に中学の時に習ったろ。地球と太陽と月の関係。」  炉火は怪訝そうな顔でこちらを見た。 「覚えてないのか。月が昇る時間は、月の公転の関係で周期的に変わるんだ。月齢を覚えていれば、その日その時間、どこに月があるのか、だいたい予想がつくんだよ。ただ、太陽の明るさ、雲、それに空のかすみ具合によって見えたり見えなかったりして、それから……、」  彼はぽかんとしている。 「何、」 「お前、そんなに喋るんだな」 「……月、好きだから。」  彼とはそういう話をしたことがなかった。したら馬鹿にされると思ったからだ。彼はいつも、俺を馬鹿にしては楽しんでいる。 「……変か、」  天体が好きだ、ということが。 「別に。何が好きだって変ってことはないだろ。それより今の説明は長すぎだ。もっと簡単に言えよ、」  俺はほんの一瞬だけ言葉を失った。意外だった。気を取り直して、手短に説明してやる。やや気持ちが浮ついている。 「……つまり、月は昼でもちゃんと出ていて、条件が揃えば見つけられるってことだ。ただ、目立たないだけで」 「へぇ。じゃ、俺は気づいてなかっただけってことか。昼の月なんて、たまにしか見えないと思ってた、」  彼は感慨深げにその月を眺めた。 「夜よりずっと淡いな。同じ月なのに、昼ってだけでなんでこんなに分かりづらいんだろうな」 「太陽のせいだ。でも、場所が分かればすぐ見つけられるだろ、」  どうだか、と言いながら、炉火はそのまま西日の方を向き、鞄を置いて菜の花畑に足を踏み入れた。  腰ほどまでに伸びた花を掻き分けながら、炉火は好きにその中を泳いでいく。無造作に歩いているように見えたが、その足は慎重に、つま先で菜の花の根を避けていた。俺も炉火の足跡をなぞるようにしてその後ろについて行った。体に花が触れるたび、蜂蜜のような匂いがふわりと漂う。炉火は振り返らずに言った。 「白川と付き合うことになった」
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