3.

3/3
前へ
/40ページ
次へ
 向かいから差し込む日の光は鋭く、風は柔らかかった。  炉火の足がピタリと止まる。振り返って、肩越しに俺を見る。 「拓海、なんか言えよ、」 「なんか、って、」 「おめでとうとか、好きにしろとか、なんか。」 「……じゃあ、『おめでとう』。」  そう口にした瞬間、胸の奥で引っかかるものを感じた。それは彼の名を初めて口にしたときのような、小さな違和感だった。なぜそんなことを感じるのか、そのときはまだ理由がわからなかった。  ただ、炉火はこのときすでに、俺の気持ちを知っていたのだと、あとから思う。 「そりゃどうも、」  彼は目を細めて笑った。見たことがないほど、悲しそうに。  痛い。  炉火のその表情が、体が、全てが、自分の心の奥底の、光が届かない部分に突き刺さるようだった。闇に沈んだその場所を、無理やり揺り動かすような、炎となって。  その痛みが、俺に、炉火の腕を握らせた。  行くな。瑞希のところに、行くな。  そう喉まで出かかった瞬間、彼は、俺の手を振りほどいた。  その時の彼の、真摯で、何か別れを惜しむようなその表情に、 ――やめるはひるのつき――  あの一文が重なった。  俺はその晩、原稿用紙に『〈ひるのつき〉は、他のものに隠された、秘められた思いの比喩である』という趣旨の文を、地学の蘊蓄(うんちく)と共に書いて提出した。あまりにも俺らしくない文章だった。だが、それ以外に言葉が思いつかなかった。  丸田先生はそれに文法上の添削をして返してきた。欄外にはコメントがついていた。 『春岡くんらしい独自の観点ですね。良いと思います』  その年の期末評価は、十段階中八だった。  その日から、炉火の作品を燃やすことは少しずつなくなっていった。
/40ページ

最初のコメントを投稿しよう!

26人が本棚に入れています
本棚に追加