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 進路指導の面談で、担任の(さかえ)先生は「このまま行けば第一志望は固いでしょう」と言ってくれた。シワのいっぱい入った顔が、笑顔でさらにシワシワになる。  この数ヶ月、必死になって勉強した甲斐があった。  あと一ヶ月でセンター試験だ。それまで気を抜かないように、と先生に釘を差されながら、面談を終えた。狭く薄暗い面談室には、冬の西日が差し込んでいる。部屋を出る前、「あとで丸田先生のところに行ってきなさい」と言われた。俺は首をかしげた。現代文の丸田先生に、今の時点で提出すべき書類や特別な要件があるとは思えなかったからだ。  俺は言われたとおりに職員室で丸田先生を呼ぶと、国語準備室で待っているように、とのことだった。準備室の少し向こうには美術室があった。入り口に筆文字で「美術室」とかかれた札が焼け焦げたまま残っていた。  準備室に遅れて入ってきた丸田先生は、寒いわね、と言って暖房をつけてくれた。いささか年季の入りすぎた円柱型の暖房で、これで部屋があたたまるとは思えなかったが、好意は受け取ることにした。準備室の机は古い職員机で、そのせいで部屋全体がなんとなく廃材置き場のようだ。その机を挟んで、俺と先生は向かい合った。 「春岡くん、突然ごめんなさい。四谷くんのことで少しお話があって、」 「炉火ですか」  炉火、という名前を、俺は久しぶりに口にした。あの日から、〈四谷〉も〈炉火〉も、少なくとも自分から――瑞希ですら、声に出したことはなかった。周りの生徒は、なにかしら噂をしているようだったが。  古い暖房はシュウシュウと音を立てていて、そこから発せられる熱気で頬が熱くなる。不意にあの炎を思い出した。 「知ってると思うけど、四谷くん、あの日を境に学校に来なくなってね、」  その時ようやく、俺はこの人が炉火のクラスの担任だったことを思い出した。今年で赴任二年目になる丸田先生は、若くて、明朗で、どちらかというと俺達に近い。こういう面倒事に自ら飛び込んでしまうのも納得だ。それは今の俺にとって、少々鬱陶しい事実だった。自分の懐に、無理やり飛び込まれる予感がした。 「あれから私ね、ちょくちょく四谷くんに会いに行ってるんだ。最初は何も話してくれなかったけど、最近は少しずつ、喋ってくれるようになったのよ。ねぇ、春岡くん。」  先生は机の上に手を起き、少しだけ身を乗り出した。俺はそのぶん身を引いた。 「四谷くんとは会ってる?」 「いえ、」 「そう。じゃあ、四谷くんの怪我の具合は知ってる?」  知らない。あの日、左腕を大きく焼かれたことは覚えている。その後どうなったのか、誰からも聞かされていなかった。炉火にメッセージを送っても、返信はない。
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