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 広場に設置された大きな看板が除幕され、生徒たちの喜びの悲鳴や落胆のどよめきが広がる。張り出された番号の中に、俺は自分の受験番号を見つけた。隣りにいた母が大声を上げて、周囲に煙たがられていた。  昇進してぐっと忙しくなっていたにもかかわらず、母はその日に休みを取ってくれていた。何食べたい、と聞かれたので、俺は鰻をリクエストした。母はちょっといい店で、ひつまぶしをご馳走してくれた。  卒業式の日も、炉火は顔を出さなかった。  後輩たちがささやかな送別会を開いてくれるというので、式の帰りに部室に寄った。古く汗くさい部屋には、和やかに談笑する瑞希と、ボタンを奪いつくされて憔悴しきった大治がいた。二人とも早い段階で私立大学への進学が決まっていたので、顔を合わせるのは久しぶりだった。後輩たちは三年全員に、赤い花を一輪ずつプレゼントしてくれた。  その花を見て思い出すのは炉火のことだけだった。  大学生活は出会いに満ち、冒険で溢れていた。長い通学時間も、毎日が旅のようで退屈はしなかった。好きな教科のことばかり考えることができたし、少しだが友人もできた。  彼らと夜を明かしたり、突発的に旅に出たりといった経験は、まさに大学生という生き方を体現しているようだった。自由を満喫している――沼津の民宿で一緒になった大学生もきっとこんな気持ちだったのだろう。  いわゆる合コンにも何度か足を運んだ。こういうコンパで天文サークルに入っているというと、みんな口を揃えて『ロマンチストだ』と笑う。十代の頃、あんなに胸を躍らせた星も月も、それこそが自分を自分たらしめると思っていたものはすべて、趣味、という小さな名前に縮こめられていく。俺はそれをどこか他人事のように思いながらやり過ごしていった。  生まれてはじめての恋人は、あの店の――ブルーフィルムの店員だった。何度か通ううちに好みだと言われた。彼とは二年ほどで終わったが、学ぶことは多かった。ただ、性愛という意味では、発展場でする見ず知らずの男とのセックスのほうが楽しかったし、実用的だった。俺は恋人を作るのをやめ、その時の気分で体だけを重ね続けた。  俺はおおよそ一般的な大学生が謳歌するものはあまねく体験した。毎日が刺激的だった。そしてすべてが虚しかった。  何をしても、誰と出会っても、炉火に抱いたような気持ちを抱くことはなかった。もうあの日々は二度と訪れない。丸田先生の言っていたことは本当だった。俺は子供時代が終わったことを唐突に思い知った。
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