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「春岡、今日なんか調子悪くない?」  長距離の大治(おおはる)はタオルで顔を抑えながら、俺の方を不思議そうに見ていた。彼は校庭外周の走り込みを今しがた終えたところのようだ。ほとんど夜と言っていい夕闇の中ですら、その美貌は輝くようにはっきりと浮かび上がった。 「……別に。」  俺は倒れたハードルを直しながら、次の走者にコースを譲った。へぇ、と言いながら大治が笑う。彼は同じ陸上部の二年生の中で、群を抜いて美しい男だった。汗の一筋さえ、その額にかかれば貴石に見える。  足に冷却スプレーを振りかける俺の横で、大治はまだそこを離れない。 「……何?」 「別に。春岡がそんなに一生懸命練習するの、珍しーって思っただけ、」  やけくそみたいだね、それだけ言って大治は去った。去り際に、さっき俺が直したハードルを倒していった。わざとではない。前をよく見ていないのだ。彼はああいう男だった。ふわふわとして掴みどころがない。そのくせ、ときに俺よりもよく、俺を見ている。  グラウンドの反対側、サッカー部の向こうではまだ、瑞希が走幅跳の練習をしていた。瑞希は走幅跳のエースだ。普段から練習熱心な方ではあったが、今はほとんど影になった彼女のその姿もまた、俺にはなんだかやけくそに見えた。  部活を終えたあと、冷たい北風に汗を冷やされながら駐輪場に向かった。自転車のキーが暗くてよく見えない。携帯で明かりをつけようとしたところで、炉火からのメッセージに気づいた。 『ライター持ってるか』  俺は『ある』とだけ返すと、黙って自転車を出した。  それがあの裏山へ行く合図だった。  校門を出て、暗い坂道を一気に駆け下りる。そのままチェーン店の並ぶ国道沿いを自転車で駆け抜けた。日は完全に地平の下に落ち、残った明かりが山の端を白く縁どっている。夜の闇は透き通っていて、昼よりもずっと遠く感じる。あの山とどちらのほうが遠いのだろう。山へ闇へ、俺は自転車を漕いだ。  二十分その国道を走り、横道にそれて坂を登る。俺の住むアパートのすぐそばに、その裏山はあった。  山、と言っても、広さも高さも大したことはない。毎日小学生がそこを通って学校に行くくらいだ。もともとあった山の斜面を切ったり盛ったりして住宅街や学校にした、その残りがあの小さな裏山だった。
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