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「ばあや。この者に名乗るときの礼儀をおしえてやってくれ」
「ぼっちゃん。お友だちができたんですね」
「友だち?」
「そうですよ。自己紹介して、お話をするうちにお友だちになるんですよ」
「ふん、どうでもいい。とにかくこいつに名前をたずねるときの礼儀をおしえてやるのだ」
「はいはい。ぼうや。お名前は?」
ばあやはしわくちゃの顔をさらにしわくちゃにして太一に優しく声をかける。
「ま、益田太一……です」
太一はとつぜんあらわれたしわくちゃのばあさんに驚いたみたいで、目玉を丸くしながら、それでも素直に名を名乗った。
「ぼっちゃん。益田太一とおっしゃるようです」
「聞こえておる。ばあやと違って耳はいいんだ。益田。下がってよいぞ」
「おい、おまえの名前は? いまオレ言っただろ」
「名乗るほどの者じゃない」
学人は謙遜して言った。
「はあ? なんだとぉ。先にオレに名前を言わせといて。ふざけるな」
太一は学人のマクラをつかむと思いきり学人の頭めがけ、ふりおろした。
つぎの瞬間、「まちなさい」綾乃の声がしたかと思うとマクラは太一の手から離れ、綾乃の手に渡っていた。
「ぼっちゃん。おケガはございませんか?」
「ぼくは大丈夫だ。それよりこの無礼者を取り押さえろ」
「ぼっちゃん。益田殿はこれから一緒に学ばれるお友だちでございます。ぼっちゃんに手をあげる無礼を働きましたが、このようにいまはとても反省しております。どうか、どうかゆるしてあげてください」
「いや、オレはべつにゆるしてほしいわけじゃないけど」
太一の口をふさぐように綾乃は太一の頭をぐいっと押さえつける。
「このおろか者の無礼は私にめんじて、どうかおゆるしください」
「やめろって。オレにさわるなよ。てか、おろか者ってなに? 意味わからんのやけど」
綾乃に頭を押さえられたまま太一は必死に抵抗する。
「これこれ。綾乃はちと強引すぎる。益田殿が嫌がっておるではないか」
綾乃の様子をじっと見ていたばあやがうしろの席から立ちあがる。杖をついて腰を曲げているので頭の位置はさほど変わらない。
「ばあや。私はこの少年が深く反省しているようなので手助けしたまでです」
綾乃が不満げな表情を見せる。
「だからオレは反省なんかしてないって」
「お黙りなさい。このお方は松野家の長男、学人ぼっちゃんですよ」
学人がなにも言わないので、ついに綾乃が学人の身分を明かす。
「知るか。オレだって益田家の長男だ」
太一も負けていない。
「ぼっちゃん、どうしましょう?」
押さえつけていた力がゆるみ、太一は綾乃の手を払いのけた。
「なんなんだよ、おまえら。さっきからうぜえよ。なんで学校に来てイビキかいてるやつにそこまで気を使ってんだよ」
教室の児童たちは4人のやり取りに固唾を呑む。
「ぼっちゃん。この教室にいる者たちはこれから一年間、嫌でも顔を合わせることになります。益田太一は無礼なガキではございますが、どうか仲良くしてあげてください」
教室の空気を読んで綾乃は学人をなだめる。
「綾乃がそこまで言うのなら仲良くしてやってもよいぞ」
学人は面倒くさくなって折れた。それを聞いた太一は即座に吐き捨てる。
「いやだ。オレはこんなやつと仲良くなんかできない」
「まあまあ、益田殿。ここは落ち着いて。これから同じ教室で学び合う仲なのじゃから」ばあやが顔中のしわを口元に寄せ、太一をじーっと見つめる。「めんこい顔をしてらっしゃる」
吸いつかんばかりにどんどん太一に寄っていく。
「キモいんだよ、ばばあ! だれか! だれか先生を呼んで。こいつらマジでおかしいって!」
児童の輪の中心で太一は叫ぶ。けれど、だれもが固まったようにその場から動かない。たまりかねた太一は弾丸にように教室から飛び出した。
「先生! こいつらおかしいって!」
「これこれ、なにを騒いでおる。待たれい。益田殿」
太一のあとを、ばあやがよろよろと追いかける。そのあとに綾乃がつづく。
「待ちなさい! クソガキ!」
学人はというと、知らぬ顔をしてマクラに肘をのせ、鼻クソをほじっている。が、なにを思ったか、ハッと顔をあげた。その目が輝いている。
「ばあや! ばあやはおらぬか! だれか、ばあやを呼べ。もう帰るぞ!」
やっぱり家が一番いい。学人は早くも学校生活に嫌気がさした。
明日のことは明日考えよう。
学人も教室を飛び出した。
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