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「行ってらっしゃいませ」
綾乃に見送られ、学人は校舎に足を踏み入れる。
「教室はこちらです。どうぞ」
担任の藤本が教室まで案内する。
木製の窓は建てつけが悪い。隙間から砂ぼこりが入るらしく、板張りの廊下はざらついていた。おまけに腰板は煤がついたように黒ずんでいる。なにげにさわってみると指先が黒く汚れた。
「ばあやを呼べ」
学人は声を張りあげた。
「あらあらそんな大きな声を出さなくても近くにおりますよ」
どこにいたのか、ばあやは学人の声に答えると姿をあらわした。
齢百歳と言ってもいいぐらいしわくちゃの婆さんである。杖をつき、腰を曲げているせいで学人とそれほど身長は変わらない。ばあやは穏やかな表情で学人の前に進み出る。
「ばあや、壁が汚れておる。すぐに掃除しておくれ」
「承知しました」ばあやはぐいっと腰を伸ばすと、声高らかに叫んだ。「掃除夫を呼べ」
「ははあ、ここにおります」
いったいどこに隠れていたのか、ばあやの声に雑巾とほうきを手にした、作業服姿の老若男女が集合した。
「いますぐこの汚い校舎を隅々まで掃除するのじゃ」
ばあやのひと声で一斉に掃除がはじまった。
学人はその様子に満足して教室に入った。
一時間目はホームルームだった。
木製の机やイスがきしむ中、古ぼけた教室に不釣り合いな大型ディスプレイが置かれている。こうしたハイテク機器はすべて学人の父が寄贈している。
「みなさんに最初に言っておきます。小学校ではお昼寝はありません。おうちでは、夜は九時までに寝て、朝ごはんをしっかり食べてきてください。いいですか?」
「はーい!」
藤本の呼びかけに児童たちは素直に返事をする。
「それじゃあ学校で、どんなことをするか、いまから説明します」
藤本は学校からの配布物や給食、時間割など、これからはじまる学校生活について、ディスプレイに映し出されるイラストを使い、ていねいに説明する。
児童たちは好奇心にあふれる顔で注目している。
「もし、あとからわからないことがあったり、困ったことがあったら、いつでも先生を呼んでください。先生はみんなの味方です」
藤本はちらちら学人を見ては微笑む。とにかくわかりやすく話そうと必死だ。学人も藤本の話に耳を傾ける。だけど、すぐにあきた。そもそも人の話を長々と聞くことに慣れていない。
「綾乃を呼べ」
熱心に説明する藤本の声にかぶせて、とつぜん声を張りあげる。
そそくさと綾乃が学人の席の横に忍び寄る。綾乃は黒子のように全身黒ずくめの上下をまとい、長めの黒髪は動きやすいように、うしろにひとつに結んでいた。
「どうかなさいましたか? ぼっちゃん」
学人は眉間にしわを寄せて綾乃を見つめた。
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