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「綾乃。困ったことになった」
「ぼっちゃん。どうなさったんですか?」
綾乃は声をひそめるものの、その声は教室にいるすべての児童に丸聞こえだ。
「だれ? もしかしてお母さん? お母さんなのか?」
学人のうしろに座る益田太一(ますだたいち)がぼそっと疑問をもらす。その声にすかさず綾乃が反応する。
「こんなピチピチの乙女が、お母さんなわけねえだろ。メガネかけてこい!」
ギラリと太一をにらみつけると、すぐに学人のほうに向きなおる。
「ぼっちゃん。大丈夫ですか?」
綾乃の変わり様に、太一は目を丸くする。
「ああ綾乃。ぼくはもうダメかも」
「ぼっちゃん。お気をたしかに!」
黒い衣装の隙間から覗く綾乃の肌は陶器のように艶やかで、黒髪の隙間からちらちら見える横顔は人形のように整っている。
「ふぅん。お母さんにしては若いなあ」
太一はますます聞こえるような声でわざとらしく疑問を口にする。
「だからぁ、お母さんじゃないって、さっきも言ったろ。なんども言わすな。クソガキ!」
綾乃が声を荒げる。
「先生が話しているときは静かにしなさい。益田君。君のことだよ」
藤本が太一を注意する。
「え、なんでオレなんだよ」
太一は鼻息を荒くする。
「綾乃ぉ。眠たくなったぁ。ベッドを用意してくれ」
「なんですって! ああ、それは大変。だけど、ベッドを置くには教室は狭すぎます。マクラを準備してまいりますので机の上に頭をのせてお休みになりませんか」
綾乃はもじもじと訴える。
「うそだろ! 保育園じゃねえんだぞ」
太一が驚嘆の声をあげる。
「益田君。いい加減にしなさい」
またもや太一は藤本に叱られる。
「だから、なんでオレなんだよ」
「ぼっちゃん。マクラをお持ちしました」
ついさっき教室を出て行った綾乃が小型犬ほどある大きさのマクラを、学人が座る机にのせた。
「ご苦労であった」
「どうぞごゆっくり」
綾乃はそう言い残すと後ろ向きでさささっと教室のうしろ扉から逃げるように去って行った。
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