懐かしい声

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【誰か……警察を呼んで……】  どこかから、女性の声が聞こえる。 【私を助けて……お願い……】  頭の中に、直接訴えかけてくる。  ……なんだこの声?   ってかいま俺、自分の家なんですけど。昨日学校から帰ってバイト行って、疲れてるのに高校の友達と朝までオンラインゲームしてたからかな。そして2時間だけしか寝てないからかな。さっきから幻聴が聞こえる。 【なんて、誰にも届いてないか。何考えてんだろ、私。はぁ、早くお母さん、ここから出してくれないかなぁ】 「あーもう、なんなんだよさっきからこの声は! 」 【え?? 】  うるさいくらいに聞こえてくる幻聴に苛立って声を荒げてしまう俺の声に、幻聴が反応した。  これはどういうことだ? あり得ないとは思うが、もしかすると誰かとテレパシーで繋がっているのかも……いや、まさかな。 【あれ、今何か聞こえたような…… 】  幻聴は俺の存在をやはり認識しているらしい。 「も、もしかして、俺の声が聞こえているのか? 」 【え、あ、ええ?? 】 「お、落ち着こう! い、一旦冷静に! 俺もびっくりしてるから! 」  突然通じ合ったテレパシーに、パニックになる俺達。 「と、とりあえず、助けてってどういうことだ? 監禁されているのか? 」 【そうなんです。その、ほんとに誰かに届くなんて思ってなかったから今結構恥ずかしいんですけど……えっと、まだ顔も知らない相手ですがすみません。もし良かったら、私を助けて頂けませんか? 】  正直、何が起きているのかわからない。頭がぼーっとしていて、まるで夢を見ているみたいだ。けれど、見過ごせない。 「わかった。今から助けに行く」  彼女が泣きそうな声で助けを求めているのが、現実だと感じたから。  俺は直ぐに身支度を整え、家を飛び出した。  目的地は彼女の家。と言っても、彼女はすぐ真下の階の住人であった。  俺は一段飛ばしで階段を駆け降りる。 【……あのすみません。今更なんですが、お母さんはとても危ない人ですので、警察を呼んでいただいてもいいですか? 】    ……そうだった。  勢いでつい飛び出してしまったが、あくまでこの事件は警察の仕事。俺が行ったところで、余計に話がこじれるだけかもしれない。 「わかった、すぐに呼ぶよ」  俺は彼女に言われた通り携帯電話を取り出し、110番……    ……本当に良いのか?  よく考えてみろ俺。これは本当に彼女の声か?    俺の頭がおかしくなっただけで、本当はこの声全部ただの幻聴って可能性も……。  バクバクと心臓の音が聞こえる。携帯を持つ手が震えて、なかなか110番が押せない。  そうこうしているうちに、彼女の家の前まで来てしまった。  あ、そうだ。名前を聞けば、表札と照らし合わせて本当だって証明できるかも……。 「あの、えっと……」  時は一刻を争うかもしれない。なのに俺は、躊躇している。その事を彼女に知られるのが怖くて、名前を聞く事すらできない。  何やってるんだ、俺は。 【はい? どうされーー」  彼女が聞き返そうとした、その瞬間、 【きゃあっ!! 】  大きな悲鳴が聞こえた。頭の中と、扉の向こうから。  俺は何も考えられなくなって、咄嗟に家のチャイムを鳴らした。  ピンポーン。  ……。  反応がない。 【痛い、痛いよお母さん! 】  悲痛に叫ぶ彼女の声が、頭の中に鳴り響いた。しかし扉の向こうからは、彼女の声は聞こえない。  俺はもう一度、家のチャイムを鳴らす。  ピンポーン。  ……反応がない。 【痛い、痛い! 】  尚も聞こえてくる、頭が痛くなるような叫び声。  ピンポーン。 【痛い、痛いよお母さん! 】  ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。  俺は泣きそうになって、一心不乱に家のチャイムを鳴らした。すると、 「うるさいなぁ誰だよ! ……あぁ? 」  不機嫌そうな顔にはてなを浮かべ、俺を見下ろしてくる四十代半ば程の女性。髪はボサボサで香水の匂いが強いが、背が高いので威圧感が半端ない。 「何のようだ、ガキ」 「家で、何をしていたんですか? 」  俺は震える足を指でつねりながら、おばさんを睨みつけた。  おばさんは俺の髪の毛を鷲掴みにし、 「ガキが、しゃしゃってんじゃねえよ」  物凄い腕力で俺を持ち上げ、顔を近づけてきた。  俺は怖くて身動きが取れずにいた。ヤクザの方だったらどうしようとか、この後どうなるんだろうとか、そんな考えが頭の中をグルグルと回る。 「やめてお母さん! その人は私が呼んだの! 」  俺より少し年下くらいの幼い少女がおばさんに駆け寄り、泣きながらしがみついた。  その少女の声は、まさに俺がさっきテレパシーで聞いていた音を発していた。 【巻き込んでごめんなさい。怖い思いをさせてしまって、ごめんなさい】  少女の声が、頭の中に優しく入ってきた。  ……あぁ、なんて優しい心の持ち主なのだろう。 「やっぱりあんたが……このっ! 」  パシッ  俺はおばさんが振り上げた手を掴み、そのまま背中に回して肘の関節を捻じ曲げた。  その際におばさんが俺の髪の毛を引っ張り続けていたので、何本か毛が抜けてしまって痛い思いをしたのだが、なんとか頭を掴まれた状態から抜け出す事に成功。 「くそっ、このガキっ! 」  おばさんが背中越しに睨んでくるのを軽く一瞥し、俺はそのままおばさんの腕がへし折れるんじゃないかと疑ってしまうまでに関節を捻じ曲げた。 「いたいいたい! あぁぁ! 」  そしてそのまま家の中に蹴り飛ばし、 「行こう! 」  俺は彼女の手を引いて、家から出ていった。  その後はただ、ひたすらに走り続けた。  後ろを見ても追いかけてくる様子はないのに、ただ恐怖心から逃げるために走った。  それからのことはあまり記憶にない。  とにかく警察を呼び、色々事情聴取された事は覚えている。  それは夜まで続いて、今日のところは解散となった。  それから数日後。  彼女の身体のあちこちにあった痣やクローゼットに鍵がかけられていた跡が残っっていた事から、おばさんは児童虐待で警察の人に連れて行かれた。  彼女はそれから、児童保護施設に預けられたらしい。  暫く経って俺は彼女に会いに行ったのだが、今は精神的なケアが必要な状態だから、暫くはそっとしておいてあげてほしいと言われてしまった。  あの日以降、テレパシーは聞こえてこない。  どうやら俺はもう、役目を終えたらしい。 「あーあ。あの子の名前くらい教えてもらうんだったなぁ」  あの日は彼女と話す時間なんてほとんどなかったから、名前を聞くのを忘れていたのだ。  警察の人が「佐川さん」って言ってたから、苗字は佐川なのだろう。  実のところ、俺は彼女に会いたい気持ちが日に日に強くなってしまっていた。  もちろんその日にお礼を何度も言われたから全然お詫びとかが欲しいわけじゃないんだけれど、なんというかその、つまり、  ……お恥ずかしい話、彼女が、あまりに美しかったのだ。  しかしもう会えないとなると、仕方ない。  諦めるか。  ……。  そして年月は経ち、10年後。  俺は26歳になった。  今日は新入社員が一人入ってくるらしいので、いつもよりネクタイを綺麗に着けて会社に出かけた。  始業時間15分前。会社のあるビルの下で、困った顔をした美人さんが一人。 「どうかされましたか? 」 「あの、すみません。ここのビルの7階に行きたいのですが……」 「あれ、もしかして新入社員さん? はじめまして、西口です」  俺が軽く自己紹介すると、彼女は緊張した様子で俺と目を合わせ、 「は、はい! はじめまして、佐川香織です! 今日から、お世話になります! 」  どこか懐かしい声で名前を名乗り、深々とお辞儀をするのであった。    
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