人魚と龍を生きる

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人魚と龍を生きる

 月李(ユエリ)陽光(ヤングァン)がゆっくりと語り合うときは、いつも決まって小さな岩場だった。月李の楽しい話も悲しい話もみなこの岩場で聞き、陽光は受け止めてきた。 その岩場であの日、月李の胸に在る自分への想いを告げられた陽光は、自分の胸にも月李への特別な想いが確かにある事に気付いた。 同じ岩場で今日も、じっと彼女の言葉を聞いている。 「時々ね、誰かの役に立ちたいと思う事があるわ。私も成長したのかしら? 誰かの心に、自分が生きていた記憶が残ったらいいなぁ。と思う事もある。 私たち人魚族が人間と子を成そうとするのも、鱗族の血脈と繁栄の為だけじゃなくて、本当は自分が生きていた証を形にして残したいと思うからなのかもしれない。最近、そんなふうに考えるの。  でも本当は、違う。人魚のままでも涙をこぼせば、その一粒一粒が真珠になり海に落ちて行くわ。その真珠を拾った人間は美しいと云い、愛しく側に置き身に付ける。その事だけでも本当は、人魚の私が生きた証を残せているのかもしれない。人間はその真珠の一粒一粒が、人魚の涙だなんて知らないけれど。陽光、あなた達龍族はどう?」 いつになく真剣に話す月李。 どうやら王女様に叱られてから、人間と恋をする事について考えたことが月李の更なる成長を呼んだらしい。 「あぁ、そうだね。僕たちだってきっと同じさ。一人の人魚を生涯守り抜くことで、その人魚の心に記憶を残す。そして僕らの涙も瑠璃玉となって海に落ち、それを人間が美しいと愛でる。そうする事で、自分たちが龍として生きた証は残る。  もちろんそれも、真珠と同じで人間は知らない。海の青を宿した瑠璃玉が、天空をゆく龍の涙だなんてね。  それでも時に、もっと他に・・・ 人魚の記憶と瑠璃玉以上の証を残せたら・・・ いや、残したいと思う事はあるよ。」 陽光も真剣に答える。 「そうなのね。私と同じね。ねぇ、陽光。生きているという事は、自分は欲張りだって気づいて認めて、それに抗わない事なのかもしれない。そうも思うの。」 「欲張りである事に抗わない事か・・・ なるほどね。そうかもしれないな。生き続けると次はこれを。もっと何かを。そう希望にも似た欲が湧く。それに抗い続けたら苦しくなって、何処かで壊れてしまいそうだ。」 「えぇ、私もそう感じるの。」 二人はじっと互いを見つめ合い微笑んだ。少し張りつめた気が緩んだ。 「生きて存在していれば、それだけで何処かで誰かに触れ、何かに触れる。そしてその事が、別の誰かや何かに響いてゆく。小さな波が藻を揺らし大きな波を呼ぶように。  だからきっと存在しているだけで、一瞬一瞬この世の何処かに生きた証はちゃんと残っているのかもしれないわ。」 月李の言葉に、陽光は少し首を傾げた。 「うーん。どうだろう? 確かに月李の言う通りかもしれない。だけど、そんなふうに目に見えない、すぐに感じる事の出来ない証で満足できるのかな? 君ならどう?」 「あぁ、そうね。そう言われれば確かに。私は満足できないかも。やっぱり目に見えて確かに感じられる証が欲しくなる。そう思うわ。」 「だろう。だから自分とは別の誰かを求めて繋がろうとするし、心に触れようとするんじゃないのかな・・・」 月李は、陽光の言葉に黙ってしまった。確かな答えがありそうで掴めない。その見えない答えを前に、もうこれ以上の言葉も思いも浮かばなかった。二人は互いに黙ったまま、寄り添って海を見つめる。  遠く沖の海面を船が渡って行く。その船が言葉を運んで来たかのように、陽光が二人の沈黙を破った。 「ねぇ、月李。僕は時々、思うんだ。人間のように愛し合えたらって。彼らの一生は短く二人が一緒にいられる時は、ほんのわずかだ。  だけど、同じ姿形で互いに触れ合い交わる事も出来る。子を成す事も出来る。その喜びは、どんなものなのだろう?   そんなふうに僕たち鱗族も愛し合えたなら・・・ どうなのかと。」 「まぁ、陽光。そんな事を考えていたの?」 「うん。最近になってね。月李、君たち人魚は、いつか人間の男を見初めて鱗族の為に子を成すだろう。そうしたら、その人間の男に心まで奪われてしまうかもしれない。  もし、君がそうなったら・・・ そんな日が来たら、僕はどうしよう。耐えられるだろうか? そう考える事もあるんだ。」 「そんな事を・・・ そうね。私たち人魚は、そうやって鱗族の子孫を得てきたわ。永い事そうして、お姉様方が繋いで来た。私たちもその中で生まれた。  お姉様方の中には、人間の男に心を奪われ死を選んだ方もいらしたわ。だから私も、そうならないとは言い切れない。今は陽光、あなたに恋をしているけれど。人間の男に会ってみないと分からないわ。」 月李は、陽光の問いに正直に答えた。 「そうだね。例え月李が心を移さなかったとしても、僕はその人間の男が羨ましいよ。だって、月李に触れ心も体も一つに溶け合う事が出来るなんて。  たった一度でも、そんな事が出来るのだから。どんなに幸せだろうと思うよ。」 そう言って陽光は、うつむいた。 「陽光は、一途でロマンチストなのね。もう今日は遅いから、私は帰るわ。また明日。」 月李は言い終わるとすぐ、海の中へ消えていった。岩場に残された陽光は、月李の余韻を抱きしめて天空へ昇って行った。  波間をぬい深く潜った月李は、大きな珊瑚の枝にもたれ泣いている。 「陽光。私だって本当は、あなたと同じ気持ちよ。あなたに深く恋をしてしまったもの。人間のように同じ姿であなたに触れ、抱きあえたならどんなにいいかって幾度も思ったわ。でも、それは叶わぬ事。仕方がないのよ。あなたは龍族なんだもの。  だけど、だからこそ私たちには永い一生がある。互いに想いを寄せながら、数百年の時を共に過ごせるわ。人間の生涯の数回分という永い時を。陽光、あなたは天海が定めた私の守り龍よ。誰も私たちの仲を裂くことは出来ないわ。今の私には、それだけが救いなのよ・・・」 呟きながら流れた涙が、真珠となって花のように珊瑚の枝に咲く。背中の珊瑚は、月李の体と涙を受け止めながら、 「ねぇ、月李。それ程の想いがあるのに、なぜ陽光に言わないの? 素直に打ち明ければよいのに。きっと陽光も喜ぶはずだわ。」 と優しく枝を揺らした。 「そうね。でも、怖いの。もし、私たち二人が同じ想いだと分かってしまったら、二人とも壊れてしまいそうで怖いのよ。二人とも命が尽きてしまいそうで。  本当の想いを秘めて今のままでいれば、永く永く程よい恋で一緒にいられるわ。」 月李は胸の内を珊瑚に打ち明けると、そのまま揺れる枝にもたれ眠ってしまった。
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