僕を呼ぶ声

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「除霊師を呼んでください! あの部屋やっぱりおかしいですよ大家さん!」  午前二時。  大家さんの部屋の扉を叩いて僕は半狂乱で叫んだ。 「やかましいぞい小僧! 今何時だと思っておる!」  面倒くさそうに出てきた大家さんは胡乱な目で僕を見上げた。  僕はもう一度叫ぶ。 「だから、あの部屋おかしいんですって! 明日はドイツ語のテストなんです。まさるくんまさるくんって部屋のどこからか僕の名前を呼ぶ声がして……おちおち勉強もできませんよ!」 「ふーん。気のせいじゃろ」  大家さんはあくびをする。  こ、このおばば、他人事だからって……。 「ふーんじゃないですよ! なにか隠してませんか? 例えば昔あの部屋で自殺とか……」  大家さんはまったく取り入ってくれない感じで、ため息をついた。 「じゃから、気のせいじゃって。あの部屋で事故や事件なんぞ起こっておらん。失礼じゃぞ小僧」 「で、でも確かに聞こえたんですってば!」 「うるさいのう……。さては小僧 ケチをつけて家賃をまけてもらおうなどと考えてはおらんじゃろうな? 一月前の家賃じゃって待ってやったのに恩知らずな」 「そ、それを言われたら何も言い返せないじゃないですか!」 「ならもう寝るがいい。年寄りを夜中に起こすんじゃないわい。まったく最近の若いのは……」  大家さんはぶつぶつ言いながら扉を閉めた。 「くそぅ、ドイツ語の単位落としたら恨んでやるぅうう」  僕は泣きながら部屋に戻った。 「終わった……」  講義が終わった昼休憩の時間。  食堂の一角で僕はテーブルにほほをくっつけて呟いた。 「ど、どうしたの遠藤君? 顔色悪いけど」  対面には僕の唯一の友達――正確には入学直後のゼミ分けの時に道に迷い、偶然出会って一緒の先生だったから協力してゼミ室を探した戦友――の佐々木文歌さんだ。 「うん、ドイツ語の単位落としたからさ……」  うつろな目で半笑いをすると佐々木さんはあせあせと告げる。 「だ、大丈夫だよ! きっと受かってるよ! 英語も歴史学も経済学に刑法の単位も落としている遠藤君だけど……ドイツ語はきっと!」 「はは、佐々木さんは優しいなぁ。でもね優しさは時に人を傷つけるんだ」  あれ、目から汗が……。  しばらく僕は泣いた。  佐々木さんはおどおどわたわたして、何か言おうとしたりしなかったり。  ようやく僕が泣き止むと、ほっとした顔を浮かべた。 「ごめん、単位落とすと両親からの仕送りが減るからさ……生活費とか家賃の為にバイト増やさなきゃと思うと泣けてきてさ」  僕は学ぶために大学に来たのに……。 「遠藤君苦学生みたいだね……可哀想」 「哀れみ? その目は哀れみなの佐々木さん?」 「ところで、目の下のクマがすごいけど……どうしたの遠藤君?」 「ところでで済まされちゃったよ……。うん、まあいいんだけどさ」  そうだな、どう話したらいいものか……部屋の中から僕を呼ぶ誰かの声がするって。  悩んでいると佐々木さんは僕の手をぎゅっと握ってきた。 「だ、大丈夫! 私遠藤君の悩みならどんなのでも引いたりしないから! だからは、話してみて!」  すごい大声だった。食堂中の視線が僕たちに注がれる。  あれ? 確か、佐々木さんって視線恐怖症だった気が……。 「佐々木さん、佐々木さん? 大丈夫かな、いま僕たちすっごく注目されてるよ?」 「え? あ、えっ……あ、ああ」 「……佐々木さん? ちょっと? え? こ、これって」  佐々木さんは白目をむいて気絶していた。   「あれ、私……」 「あ、目が覚めた。大丈夫? もう夜だけど」  医務室の窓の外はもう真っ暗だった。 「遠藤君? え、あ……もしかして私に付き添ってくれていたの?」 「うん、まあ、僕佐々木さんが死んじゃったらこれからの大学生活がボッチになっちゃうからね」  微笑むと佐々木さんは若干口をぱくぱくさせて、挙動不審になった。 「うあ、なにか、何かお礼をしなきゃ」 「いいって、それじゃあ、僕はそろそろ帰るね」 「……あ、ま、待って!」  佐々木さんは僕の腕をつかんだ。 「そういえば、お昼の! 悩み聞いてない! わ、私遠藤君の悩み聞きたい! だからもう少しだけ……」  佐々木さんは徐々に言葉尻がすぼむ。それと同時に手を離す。  僕は壁掛け時計に目を向ける。  最終バスまでまだ少し時間がある。  それにここまで言っている佐々木さんが、僕の話を聞いてドン引きすることはないだろう。  多分。 「それじゃあ聞いてもらおうかな……。とりあえずバス乗り場に向かわない?」  部屋の中から誰かが僕を呼ぶ声がすると話すと、佐々木さんは真剣な表情を浮かべた。 「その部屋には、悪霊が住み着いているのかもしれません……」 「え? まじ?」  ほら見ろ大家さんめ! やっぱあの部屋事故物件じゃん! 家賃安くしてもらお。  頭の片隅にちょっとよぎった考えを振り払って尋ねる。 「悪霊って……佐々木さんなんでそんなことがわかるの?」  佐々木さんは躊躇った。 「あの……笑わないで聞いてくれますか?」 「もちろん。僕の話を聞いても佐々木さんドン引きしなかったじゃないか。だから僕も笑わないよ」  すると佐々木さんは目を見開いて、一人でぶつぶつ言いだした。 「そ、そうですよね……遠藤君はそういう人ですよね。私ったら。ふふ」 「佐々木さん?」 「な、なんでもないです!」  佐々木さんは咳ばらいをして改めて僕をまっすぐ見据えた。  覚悟を決めた瞳だった。 「遠藤君。私、実は実家が神社なんです。昔から修行させられていたので……実は少々除霊やお呪いなどに精通してるんです」  僕は目を見開き、佐々木さんの手をがっしり握った。 「佐々木さん! お願いだ! 僕の家に来てくれないかな!?」  バスはそろそろ駅につく。  電車に揺られて到着した駅から、歩いて五分。  僕たちはボロボロのアパートにたどり着いた。  ここが今現在僕の住むアパートだ。 「小僧、女の子を連れ込むのはいいが、節度は守るのじゃぞ」  掃き掃除をしていた大家さんがいらぬ言葉をかけてくる。  くそ、このおばば、霊がいるってわかったら家賃値引きさせてやるからな!  大家さんの言葉は聞かなかったことにして、そのまま二階に上がる。 「さっきのは気にしないでね。ど、どうぞ……」  でも、考えてみれば女の子を部屋に上げるなんて今まで生きてきて一度もなかった。しかも夜に。  意識すると緊張してしまう。うおお、静まれ、静まれ僕の心臓の鼓動よ!  「お、お邪魔します……」  佐々木さんはおずおずと僕の部屋に入ってくる。  僕はなんだか気まずくてそそくさと四畳半部屋の角っこへと向かう。 「ここが僕の名前を呼ぶ声がよくする勉強机で……佐々木さん?」  振り返ると佐々木さんが玄関のカギをかけていた。 「あ、こ、これは霊が逃げないようにと」  なるほど……。 「確かに、逃げられたら他の人に迷惑がかかるよね。ナイス判断だよ佐々木さん」 「そ、そうですよね!」  佐々木さんはぎこちなく微笑んで、僕の近くへと部屋に上がって来た。 「……ああ、確かにいます。机の傍に……黒い人影みたいなのが視えます」 「え? ちょ、やっぱりいるの? そこに?」  僕には何も見えない。  佐々木さんは頷く。 「はい、います。遠藤君は少し離れていてください」  僕は言われた通り、佐々木さんから少し離れる。  佐々木さんは自分のカバンの中から何やら白い和紙のついた棒のようなものを取り出した。 「これは大幣といいます。よく神社とかで神主さんが降っているのを見たことがありますよね? これを振る音と風が場を清め、邪気を祓います」  凛として告げる佐々木さんはいつもとは別人みたいだった。 「今日ははきはきしてるね佐々木さん。かっこいいよ」 「え、遠藤君! 集中を乱さないでください!」  佐々木さんはほほを染めながら目を閉じる。  呼吸を整えた後に、彼女はしゃんしゃんと大幣を振りだした。  静かに大きく動く彼女のそれは一言でいうと舞のようだった。  見とれていると、僕の耳が誰かの声を拾った。  ――まさるくん……まさるくん……遠藤、将くん……。 「この声は……」  おかしいな、今更だけどなんかこの声聞き覚えがあるぞ?  同時に、机の傍らの空間が蜃気楼のように揺れているのに気づく。  よく目を凝らすと、そこには人影……あ、黒い影が佐々木さんの大幣の動きに合わせてはがれてく。 「ん!? えっと、まって? そこに居るのは……佐々木さん? え? 半透明の佐々木さんがいる!?」  そこで、佐々木さんの舞が止まった。  彼女は今わかったとばかりに人影に視線を向けて「え?」と驚いていた。  そして、何かに気付いた彼女は両手を口元に持っていき、ふらふらと後退する。  転びそうになった彼女を僕は支えた。 「うそ……こんなのって……まさか」 「なんで悪霊が佐々木さんの姿をしてるの? 教えてよ佐々木さん!」  まさか佐々木さんは悪霊に攻撃されている? 僕のせいだ。  僕が彼女をここに呼ばなければ……。  佐々木さんは耳まで真っ赤になって両手で顔を隠した。  何かを呟く。 「え? なに? どこか痛いの? 大丈夫?」  佐々木さんは蚊の鳴くような声で告げた。 「すみません。これ、私の生霊です……」
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