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同棲編・8
前立腺とは、男性特有の生殖器の一種である。という情報は前から知識として持っていた。健康診断の時、オプションで付けられるガン検診の項目でもたまに目にする。
けれど、まさか前立腺が性感帯とは知らなかったし、触れられる場所にあるということも知らなかった。
昼間に教えられたことを頭の中で繰り返し思い出す。いよいよ、自分と七斗の関係をもう一歩前へ進めるのだ。彼が頑張ってくれているように、自分も、七斗とのセックスを良いものにするために、最大限の努力をしたい——。裕哉の心には使命感のようなものが生まれていた。
寝室の扉が開いた音に顔を上げる。
「お待たせ。体冷えてない?」
石鹸の香りを漂わせ、風呂上がりのさっぱりとした顔の七斗が入ってきた。
「大丈夫。寒くないし」
「良かった」
二人分の体重を受けてベッドが軋む。覆い被さった七斗からキスの雨が降ってきて、裕哉は瞼をそっと閉じ、それを受け入れる。
唇、額、頬、首筋……優しく押し倒されながら落とされる口付けに、体の力が抜けていく。胸焼けしそうなほどの甘い愛撫を、愛情表現として素直に受け取れるようになった。
「ん、ん……あっ……」
七斗の唇が、露わになった乳首に触れる。もともと敏感なわけでもないのに、軽く触れられただけで小さく声が漏れた。
体を芯から温めることで体全体の感度を上げることができる。そのために普段は簡単に済ませる入浴も、今日はしっかりと浴槽に浸かった。これも、猫宮から教えられたことだ。
「なんだか、今日はいつにも増して敏感だね。興奮してる?」
「……お前とセックスしてるときに……興奮してないときなんて、ねぇよ」
僅かに目を見張った七斗が一瞬動きを止める。
思ったことは素直に口にして、気持ちいいと感じたときは声で伝える。それがとても大切だということは、この二週間触れ合って身に染みて感じていた。
七斗に触れられることが嬉しい。愛されることが心地いい。自分も、少しでもこの愛情を返したい——。
強く思いながら見上げていると、ふ、と視線を逸らされる。まただ、と思うと同時に胸がズキ、と痛んだ。
セックスの最中に七斗が裕哉から目を逸らすときは、欲求を抑えているときだ。辛そうに眉をひそめて、唇から熱くて荒い吐息を漏らしながら、瞳は熱を孕み潤んでいる。恋人の自分が目の前にいるのに、我慢なんてしないでほしい。溢れるほどの性欲も愛情も受け止めたい。七斗になら、本能のままめちゃくちゃにされたって——。
彼のそんな態度に不満を抱きつつも口にすることができないのは、裕哉の中に、捨てきれない別の可能性が残っているからだった。
——抑えているのが性欲ならともかく、万が一、俺に対する嫌悪感だったらどうしよう。
この二週間、裕哉の男の体に触れてみて、やっぱり思っていたのと違うと……もしくは、七斗の指を後ろに受け入れることに抵抗がなくなってきた自分に、内心引いているとしたら。
七斗がそんな風に思うわけがない。しかし、元々物事を後ろ向きに考えてしまう傾向にある裕哉は、七斗のことは信じられても、自分を信じることはできなかった。
ほんの数秒の間に考えを巡らせていると、七斗が裕哉の肩に顔を埋めてきた。
「裕哉……そろそろ、後ろ触っていい?」
同時にするりと脚の間の秘部を撫でられて、腰が震える。毎晩こうして繋がる場所を求められるたびに、風に吹かれるように不安が散って、胸を温かい感情が包んでくれる。
今夜もやっと得られた安心感に、裕哉はこくこくと頷いた。
しなやかで、ちょっと骨張っていて、爪先まで念入りに手入れされた長い指が、滑りを伴って中へ押し入ってくる。二本の指は根元まで入り込み、奥で蠢く肉壁を撫でたかと思えば、ずるずると指先まで引き抜かれて、間髪入れずにまた埋められる。何度も繰り返されるその動きに、恥ずかしさと、愛されているという充足感はあれど、直接的な快楽があるかと問われればまだわからなかった。
いつものようにうつ伏せになって、裕哉は七斗に身を任せながら緩い呼吸を繰り返していた。
「は……、っ……」
指の動きに合わせて、反対の手が脇腹や背中をゆったりと撫で上げる。マッサージのような丁寧で程よく力の入った手つきは心地良く、尻を突き上げた恥ずかしい恰好をしているはずなのに、すっかりリラックスしてしまっていた。初めの頃の自分からはとても信じられない。
ぼんやりと、腕に抱いた七斗の枕に頬を擦り寄せる。蕩けた顔を惜しげもなく晒して緩やかな悦に浸る姿に、七斗は微笑んだ。
「ふふ、裕哉眠そうだね。うとうとしたらこのまま寝てもいいよ」
「ん、ちがう……。お前の手、気持ち良くて……」
動きが似ていたとしても、今施されているのはマッサージではない。七斗の手のひらはぴったりと裕哉の肌にはり付き、その感触や弾力、体温、何一つ逃すまいという意図の下で動いている。そして時々、その指先が足の付け根や腰骨の上でぐっと肌を押すように埋められる。柔らかな部分をぐりぐりと刺激されると、性感帯でもないはずなのに中心に熱が集まった。
七斗の手にかかれば体中どこだって気持ちいい。だから、今指で愛撫されているその場所も、もっと気持ち良くなれるはずなのだ。
両足に力を入れる。抽挿を繰り返す指が抜かれ、また埋められるとき、七斗の指が腹側の肉に当たるよう、僅かに腰を動かした。
手前から奥へ向かって、ずりずりと中を擦りながら挿入っていく。第二関節辺りまで埋められたとき、その指先がある一点を擦った瞬間、腰が大きく跳ねた。
「あっ……!?」
「え?」
のんびりとした、性交としては平和すぎる空気を漂わせていた裕哉が、突然艶のある声を上げた。そのことに七斗は驚いたようで、愛撫を続けていた両手の動きが止まる。裕哉はというと、混乱して視線を左右にせわしなく動かしていた。
――今のは、何だ?
前立腺に触れたのだろうということはわかる。とても気持ちのいい場所ということも事前に聞いていた。けれど、まさかこんなにも強い快感を生む場所だったとは思わなかった。
あまりの衝撃に固まった裕哉だったが、止まった時と同じく唐突に自分の中の指が再び動き出したことで、強制的に意識を現実に引き戻された。
しかも、さすが要領が良く吸収の早い男である。七斗の指は一度掠めただけの前立腺の位置を正確に捉え、その形を確かめるように優しく撫で回した。
「ひっ……! あ、ななと、そこ、それだめ……!」
「ここが気持ちいいの? コリコリしてて、触るだけでこんなに震えて。噂の前立腺かな」
やはり七斗も、前立腺が男の性感帯に成りうるということは知識として知っていたらしい。もちろん触るのは初めてなのだろう。撫で擦り触れるだけでビクビクと体を震わせる裕哉を面白がるように、執拗に責めてくる。
堪らず尻を上げたまま上半身はへたり込み、逃れようとして腰が動く。しかしその程度で七斗の指から逃れられるはずもなく、結果的に自ら腰を振って喜んでいる姿にしか見えなかった。
「は、は、あぁ……っ、だめ、すごい、から……んぁぁ!」
口からこぼれる声が止まらない。肩越しに振り返るとこちらを見つめている七斗と目が合って、その瞳がうっとりと細められる。
「見て、裕哉の。今日はまだ触ってないのに」
「……、え……?」
何のことかと思っていると、七斗の視線が下におりる。つられてその視線の先をたどると、先ほどまで軽く頭をもたげていただけの屹立が、触れてもないのに完全に勃ち上がっていた。それどころか、今にも爆発しそうな様子で涎を垂らしている。顔が一気に熱くなった。
「あ……!? うそ、なんで、そんな……っ」
「お尻気持ちいいんだね。良かった……。今日はこのままイってみようか」
止める間もなく、中の指は動きを変えた。先ほどまでは半分窺いながら動いていたのに、急に上下に擦ったり押し潰すような動きで裕哉を追い込み始める。
自分の意思とは関係なく与えられる強烈な快感に、裕哉は体を震わせて喘ぐしかなかった。枕に顔を半分埋めたまま、少しでも体中を駆けまわる快楽の波を和らげようと、シーツを強く掴んで手繰り寄せる。文字通り溺れるように喘いで、いやいやと首を横に振った。
「あっ、ぁあ、ぁん! だめ、だめぇ、いく、しりでいっちゃう……っ!」
前が痛いほどに張り詰める。自分とは思えないような甘ったれて媚びた声が次々にあふれ出る。腹の奥からせり上がってくる何かに飲み込まれそうで、未知の感覚を前に快楽と恐怖が混ざり合っていた。
「うぁ、あっ、なんか、なんかおっきいのくるっ、ななと、ななと……っ」
「大丈夫だよ。僕が裕哉のいやらしいところ、全部見ててあげるから。君は思う存分気持ち良くなって」
中を弄るのとは反対の手が伸びてきて、上から手を握るように指を絡める。耳から吹き込まれる優しい声はこの快楽を甘受することを促していて、さながら、禁断の果実を齧らせる悪魔の囁きのようだった。
「あ、あ、あぁ……っ、いく、いくいく……!」
声色や視線の穏やかさとは裏腹に、容赦なく前立腺を捏ね回す指に追い立てられて、裕哉は絶頂した。
何度も腰を大きく跳ねさせて、全く触れていないはずの自身からは白濁が飛び散る。前の刺激で達するときとは異なり、全身が痺れるほどの気持ち良さに包まれて、目の前には星が飛んだ。
勢いよく吸い込んだ空気が気道を通る感覚にすら震える。こんな快感を知ってしまって、もう七斗に愛される悦びを知る前には戻れないのだと、本能的に思い知らされた気がした。
「は、は……は、ぁ……?」
体を包んだ快楽の波が衝撃的すぎて、裕哉は瞳を瞬かせる。自分の体に何が起こったのか、状況を把握しようとしていると後ろからずるりと指が引き抜かれて、膝が震えた。
「あ、う……」
「大丈夫? 裕哉が後ろで感じてくれるのが嬉しくて、ちょっとやりすぎちゃった」
ちっとも止める気配などなかったくせに、よく言う……と思いつつ、七斗が己の欲求に従って触れてくれたのなら、それは裕哉にとって喜ばしいことだった。
「んん、平気……」
「気付いてなかったかもしれないけど、今、指三本も挿入ってたんだよ」
こてん、とベッドの上で横向きに寝転がった目の前に、七斗の右手が差し出される。確かに人差し指から薬指までの三本がローションを纏ってとろとろに濡れていた。この指が今の今まで自分の中をかき回していたのだと生々しく感じられて、裕哉の顔が赤くなる。
「そん、なん、見せるなよ」
思わず腕で顔を隠すと、七斗は笑って、濡れたままの手で裕哉の尻をつつ、と撫でた。片方の丸みを手で包むように柔く握り、ほうっと息をつく。
「……早くここに挿入れたいな。もうとろっとろ」
親指が入り口に触れる。指先が離れていくとき、名残惜し気にちゅ、と音が鳴ってしまった気がして、背中を小さな震えが走る。
今だ、と思ったときには七斗の腕を掴んでいた。
「待って」
「裕哉……?」
突然のことに、七斗は不思議そうな顔でこちらを見ている。自分からこんなことを言うなんて淫乱な男だと思われてしまいそうで、声が震えた。
「本当に……一ヵ月、待たなきゃダメか?」
掴んだ腕を引き、その手のひらをもう一度なだらかな双丘に触れさせる。ぐっと力を込めて秘部を広げるようにすると、先ほどまで愛でられていた蕾が寂しさを訴えてひくついている様が丸見えだった。
「俺、もう……っ」
我慢できない。こんな恥ずかしいことをしてしまえるほど、限界だった。
自ら痴態を晒して震えている裕哉に、七斗の目は釘付けになっていた。視線を受ければ受けるほど後ろの孔は切なく疼いて、もどかしい苦しさに「うぅ」と唸り声がこぼれる。
その声に肩を揺らした七斗は、しかし裕哉に触れていた手を引っ込めてしまった。
「っ……。だめだよ、約束したでしょ? 怪我したら大変だから。あと二週間頑張らないと」
「そんな……」
胸の辺りがぎゅっと苦しくなる。七斗をその気にさせるのに、あと一歩、自分に何か足りないのだろうか。
後孔は十分に拡張された。中で快感を得られることも証明できた。準備はもう万端過ぎるくらいできたはずだ。これ以上どうしろと言うのか。
誘いを断られたことにショックを受けた裕哉が固まる。体が温まっている今でなければ、今繋がらなければ、次はないかもしれない。混乱のあまり根拠のない不安で頭がいっぱいになる。立ち上がろうとした七斗に追い縋って、言葉が勝手に口から飛び出していた。
「せっかく、前立腺教えてもらったのに……!」
ピタ、と止まった七斗が振り返る。
「……え?」
その顔を見て、しまった、と思った。
今まで穏やかだった表情にサッと訝しむ色が差して、覗き込んできた顔に思わず目を逸らした。
「……教えてもらった? 誰に?」
甘い声色は消え、低く鋭い声が詰め寄ってくる。付き合う前、本社ビルの裏口で初めて七斗が声を荒らげた時のことを思い出した。あの時とはまた違う、裕哉越しの誰かに向けられる冷ややかな目に、背中を嫌な汗が流れる。
「ね、猫宮、に……。お前が、なかなか本番してくれないって相談して。そしたら、前立腺の場所教えてくれて……」
本当のことを正直に言うのではなく、ネットで調べたとか、適当な嘘がつければ彼を傷付けずに済んだかもしれない。こういうときに上手く誤魔化す器用さのない自分がほとほと嫌になる。
猫宮の名前が出た途端露骨に嫌な顔をした七斗が、眉間の皺をほぐすように額に指を当てた。
「言われてみれば確かに、自分で腰動かしてたね……。どうやって教えてもらったの? まさか、触らせてないよね?」
勢いよく首を横に振る。猫宮はあくまでただの後輩だ。何より、七斗以外の人間に体を触られるなんて、想像するのも嫌だった。
長いため息をついた七斗が、小さな呟きを落とす。
「そう」
ベッドから立ち上がる彼を、もう止めることはできなかった。
「七斗……」
「大丈夫。裕哉に悪気がないことも、僕が君を不安にさせちゃったのもわかってる。けど、今日は頭冷やしたいからソファで寝るよ。……今君を抱いたら、絶対酷くしちゃうから。ごめんね」
そう言うと、目を合わせることなく寝室を出て行ってしまう。残された裕哉は息をするのも忘れてリビングへ続く扉を見つめていた。
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