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「後川?」
この声に、つい最近も同じように呼び止められた気がする。
聞こえなかったフリをして無視する選択肢もあったが、社内で人気の高い彼に嫌われてしまったら、きっと仕事がやりづらくなると思い、諦めた。
どうしてこんな場所にいるのだろう。社内ならともかく、こんな夜の繁華街で遭遇するなんてことあるのか?
色々なことを考えて、恐る恐る後ろを振り向く。人違いであってくれという裕哉の願いも虚しく、そこにはスーツ姿の七斗が立っていた。
「わぁ、やっぱり後川だ! 最近よく会うね」
待ち伏せされているか、後をつけられているのではないかと思ってしまう。けれど、営業部期待の若手として忙しい日々を送る七斗が、自分なんかをつけ回す理由がない。
仕事用のスーツを着てにこやかな笑顔を浮かべている七斗に、裕哉は力なく笑い返した。
「えっと、檜前は、何でこんなとこに……?」
動揺して思ったことがそのまま口から滑り出る。
「ついさっきまで接待しててさ。僕は一軒目だけで上がってきちゃった」
照れるように首を傾げる七斗の言葉を聞いて、裕哉は周りをサッと見渡した。その様子を見た七斗が緩く首を振る。
「大丈夫だよ、先輩たちとは何分も前に別れたから。たぶんもう別の店に入ってる」
ほっとして、それから、自分の思っていることが七斗に筒抜けで恥ずかしくなった。
服装も爽やかな笑顔も完璧で、繁華街のネオンに負けないくらいキラキラした七斗。対して、近所のスーパーに併設されている衣料品店で買った、安いジャージの上下を着た自分。
今こうして七斗に視線を向けられているだけで、逃げ出してしまいたい衝動に駆られていた。
「ところで、ここに入るつもりだったの?」
自分の惨めさに耐えることに必死だった裕哉は、勢いよく顔を上げる。
七斗の視線はもう裕哉に向けられていない。代わりに、今裕哉が入ろうとしていたゲームセンターの看板を見上げていた。
「あー、えっと、それは……」
「僕、ショッピングモールのゲーセンしか入ったことないんだ。良かったらご一緒してもいい?」
にこやかに笑う口元から発せられた言葉に、裕哉の思考は処理限界を超えてフリーズした。
ご一緒、とは、つまり裕哉と共にゲームセンターに入ろうということか? 一体なぜ?
定時でさっさと退社して、こんな場所で遊んでいることを話のネタにでもするつもりだろうか。
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