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その日は、たけもと様が「いいえ」と答える番だった。
だから俺は、たけもと様に「俺の母は死んでいますか?」と尋ねることにした。
しかし頭の片隅では、そんなことをしても無駄だと理解していた。
たけもと様はきっと俺の質問も、「俺の母は生きていますか?」へと反転させてしまうのだ。それなら「いいえ」で正解だ。
「たけもと様、たけもと様。私の無二の友、たけもと様。どうか私に教えてください」
皆の前で俺はこれまで何度もやってきたように唱え、たけもと様を呼び出した。
そして尋ねた。
「俺の母は死んでいますか?」
……えっ?
自分で尋ねておきながら、俺は己の口から出たその質問に驚愕した。ちゃんと思っていた通りの聞き方で尋ねることができた。
だが、これでは正しい答えは「はい」になってしまう。今日は「いいえ」の番のはずなのに。
たけもと様は常に「はい」と「いいえ」を交互に答えるというこれまでずっと守られてきた法則が、ここで崩れるというのか?
困惑する俺の目の前で、俺の指は、俺自身の意思とは無関係に勝手に動いた。
そして、目の前に置かれた紙に書かれている、その言葉を指差した。
「いいえ」
俺はますます混乱した。
たけもと様が間違えた。常に正しい答えを教えてくれるはずの、たけもと様が。
それを望んでこんな質問をしたはずだったのに、いざそうなると恐怖で身が竦んだ。
これまでこんなことは一度として無かったのに。
いったい、何が起こっているというのだ。
俺は周りの皆の顔を見まわした。
小さな村だ。皆、俺の母が死んだことは知っている。つまり、今の俺の質問に対するたけもと様の答えが間違っていることを理解している。
だが奇妙なことに、俺は誰の顔からも恐怖や驚愕を見出すことができなかった。
せいぜいが怪訝そうな顔をしていたり、眉をひそめていたりする者がいるくらいだ。
そして皆、まるでいつも通り平穏無事にたけもと様の呼び出しが終了したかのように帰り支度を始めた。
いったいどういうことだ。
たけもと様が常に正しい答えを教えてくれると思っていたのは、もしかして俺一人だったのか。他の者は皆、たけもと様も間違えることがあると知っていたと言うのか。
「……あのさ、明治君」
一つ年下の幼馴染みである月穂が、やや咎めるような口調で声をかけてきた。
月穂は呆然としている俺に向けて、続けてこう言った。
「いくら今日は『いいえ』の日だからって、自分の親が死んだとか、そんなこと言うのは良くないと思うよ。お母さんと喧嘩でもしたの?」
「え……いや、月穂、お前なに言ってんだよ。喧嘩もなにも、俺の母さんは先週死んだだろ。お前だって葬式に来たじゃないか」
月穂は眉をひそめた。
「明治君の方こそ、なに言ってるの? いくらなんでも、悪趣味だよ。私、明治君のお母さんには今日だって会ったし」
俺は、月穂の頭がおかしくなってしまったのではないかと思った。だが帰ろうとしている者達を呼び止めて尋ねると、皆揃って頭がおかしいのは俺の方ではないかという反応を示した。
いったいどうなっているのだ。皆、母の死を忘れてしまったというのか。
そうだ、父に確かめれば良い。いくらなんでも、父まで忘れてしまったということはないはずだ。
俺は全速力で家まで走ると、声もかけずに勢いよく玄関の戸を開けた。
そこで俺は、有り得ないものを見た。
「おかえり、明治。……どうしたの、変な顔して?」
帰宅した俺にそう声をかけたのは、死んだはずの母だった。
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