取り返しのつかないことを……

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「彼はそんな軽い気持ちで私と付き合ってるんじゃありません!例え彼が今日笹森さんに会いに来た理由が、笹森さんの仰る通りだったとしたても、それは絶対に私や大和のためなんです。絶対です。本気で私のことを大切に想ってくれてるから、私が何よりも大切に想ってる大和のことも一番に考えてくれたんです。自分の気持ちよりも優先してくれたんです。だから、覚悟が中途半端とか、その程度だったとか、今言ったことすべて訂正してください!」 笹森さんと付き合った数年間、私が年上の恋人に歯向かうことなんてあり得なかった。 いつも穏やかに大人の雰囲気で私を包み込んで守ってくれていた笹森さんに、反論したり口論したりなんてあるはずもなかったのだ。 だって彼が、私のためにならない選択をしたことは一度もなかったから。 私はそれを享受していればよかっただけで、唯一、二人の意見が違えたのは、最後の別れだけだった。 それすらも、笹森さんは私を責めたりせず、変に追及したりもせず、最終的にはやはり包み込むようにして受け入れてくれたのだ。 だけど今、目の前で蓮君が非難されて、私は頭で考える間もなく感情で烈火のごとく抗論していた。 こんな私をはじめて見たのだろう、笹森さんと和倉さんは唖然と表情を固めていた。 蓮君だって驚いたようではあったけど、その半分ほどは焦りや戸惑いにも見えた。 琴子さん、いったい何を話し出すんですか?――――今にもそんな声が聞こえてきそうだった。 「……ずいぶん、北浦君のことを信頼しているんだな」 ややあって、笹森さんがぼそりと呟いた。 それはひとり言なのか、それとも私への責め文句だったのだろうか。 笹森さんの顔からは、穏やかな気配が消失していた。 「当然です。恋人ですから」 笹森さん相手に議論したいわけではないのに、蓮君を守りたいという一心でセリフがどんどん尖っていってしまう。 すると笹森さんは、まるで私の態度を受けて立つとでもいうように鋭い眼差しを向けてきた。 「だけど北浦君の方はその関係が終わってもいいと思ってるようだよ?」 「それが私と大和のためになると思ってるからです」 「どうしてそう思うんだい?まさか自分とは別れて琴子が俺とよりを戻すのが、大和君のためになるとでも?」 「……実際にはそうじゃないんですけど、蓮君…彼はそう思っているのだと思います」 「それはどうして?」 「それは……」 「琴子さん!」 「きみは黙っててくれるかい。俺は琴子に訊いてるんだ。琴子、どうして北浦君は、俺と琴子がよりを戻すのが大和君のためになると考えたんだい?ダンサーという不規則な仕事と俺の仕事を比較してのことかい?それとも、経済的なこと?子供を育てるにはお金がかかるからね」 「違います。それは違います。そうじゃありません。私も大和も彼のダンスが大好きなんですから」 「だったら、なぜ?」 「おい笹森、もうそのへんにしておけよ。琴子ちゃんの顔色が真っ青じゃないか」 和倉さんにそう言われて、私は自分の頭から血の気が引いている感覚に気が付いた。 全てを打ち明けると決めたものの、いざその場面になってみれば、背中合わせに控えている大きな不安がじりじりと侵食してきたのだ。 大和を失ったらどうしよう…… でもそれだけじゃない。 あんなにも隠し通したがっていた理恵の気持ちを、踏みにじってしまうことになったらどうしよう…… いきなり自分の息子の存在を知らされた笹森さんの人生が、大きく変わってしまったらどうしよう…… 今さらながらに、私がこれから明らかにしようとしている真相は、自分や大和以外の人の未来にも影響を及ぼしてしまうのだと、怖くもなったのだ。 自然と息が、短くなってしまう。 ドッドッドッと鼓動が叫びはじめたかと思うや否や、私の肩がふいに揺さぶられた。 「琴子さん、……和倉さんの言うように、顔色が悪いです。今日はもう帰りましょう」 蓮君だった。 久しぶりに間近で見た彼の顔も、不安げに歪んでいた。 私は、蓮君にこんな顔をさせたくないのに。 ただ、蓮君と大和とずっと一緒にいたいだけなのに。 「………大丈夫。大丈夫だから」 蓮君を諭すように、私自身を言い聞かせるように繰り返しながら、肩の上の手をそっと外した。 今日はこのまま終えたとしても、この先、大和の父親について触れる必要が出てくるかもしれない。 そのとき、今と変わらずこうして笹森さんと直接話せる状況とは限らない。 それなら今のうちに話しておいた方がまだましだ。 変に隠したりせずしっかり話し合えば、笹森さんは驚いても、きっと誠実に対応してくれる。 そうしたら、蓮君だって、きっと私と別れるという選択肢を撤回してくれるだろう。 残る気がかりは……… ………理恵、ごめんね。 大和の父親のこと、あんなに隠したがっていたのに。 でも私、知ってしまったから。 理恵の出せなかったメールを見つけて、理恵の笹森さんへの気持ちを知ったから。 だから、もういいよね? いつか私がそっちに行ったら、そのときにいっぱい叱ってくれていいから。 今、私が大切な人と一緒に大和を守っていくために…………笹森さんに言うね。 「………笹森さん、先ほどの質問にお答えします。彼が自分ではなく笹森さんと一緒にいる方が大和のためになると考えたのは――――」 スゥーっと一呼吸してから、私はひと思いに告げた。 「あなたが大和の父親だからです」
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