取り返しのつかないことを……

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笹森さんの驚きに固まっていた顔つきは、ゆるりと溶けていって、今はかすかな苦笑さえ浮かんでいるように見えてしまう。 それは、あり得ない………? 笹森さんの返答は、確実な否定だった。 思いもよらない展開に、私は次のセリフが用意できない。 なのに笹森さんは苦笑を濃くして続けたのだ。 「琴子がなぜそんなこと言い出したのかわからないけど、大和君が俺の子供のわけないよ。おかしなことを言うね」 「それは本当か?」 和倉さんが厳しく詰める。 けれど笹森さんは狼狽えることなく「ああ。もちろん」と即答したのだ。 それは実にクリアで、一点の曇りもない返事に聞こえた。 私は訳がわからなかった。 笹森さん、和倉さんの被っていた呆然の仮面が、今度は私に張り付いてしまったのだ。 「本当に、心当たりがないんですか……?」 言葉を発せなくなってしまった私に代わり、蓮君が問い質してくれた。 けれど、笹森さんからは涼やかな否定が返ってくるばかりだった。 「心当たりも何も、そんなのあり得ないんだよ、北浦君」 「そう……なんですか………?」 笹森さんのあまりの自信に、蓮君は気圧されるようにして私に視線を漂わせてきた。 琴子さん、どういうことですか?……そんな無言の戸惑いが浮き出ている。 その蓮君の戸惑いはしっかりキャッチはできたけれど、私こそ混乱が酷くて、まさか笹森さんが全否定してくるなんて信じられなくて。 横目で一度、二度と首を振るのがやっとだった。 「琴子?」 笹森さんは私の様子に異変を感じたのか、ふっと苦笑を消した。 私は、重たく名前を呼ばれて見つめ返したものの、目と目が合った笹森さんに嘘の気配はなくて、だったらどういうことなのかと、さらに渾沌が爆ぜるばかりで。 「今の言い方じゃ、まるで俺が大和君の父親だと信じ込んでいるようだったけど、どうしてそんな風に思ったんだい?もしかして北浦君もそう思っていたのかい?」 「それは………」 蓮君は返事を濁した。 けれどそんな蓮君をフォローするようにすかさず和倉さんが介入してきた。 「だとしても、琴子ちゃんがいい加減な理由で思い込みをするわけない。きっとそう思うに値する理由があるはずだ。だからもしお前に少しでも思い当たるふしがあるなら、今のうちに認めろよ。もう一度訊くぞ。本当に、お前は大和君の父親である可能性はないんだな?」 だが困惑のボールが行き交う中でも、笹森さんの返答だけは凛としていた。 「ああ。可能性は0だ」 可能性は0――――その言い方に、得も言われぬショックが駆け抜けた。 笹森さんは、理恵との関係をなかったことにするつもりなのだろうか。 いや、でも笹森さんがそんな不誠実なことをするとは思えない。 思いたくないけど……… 「でもお前、今えらく驚いていたじゃないか」 「当り前だろう?数年ぶりに再会した元婚約者に ”私が今預かってる子供はあなたと私の親友の子供です” なんて言われたら、誰だって驚くに決まってる。疑問形ではなく断言されたうえ、その子供の母親は俺達共通の知り合いで、俺の元部下なんだからな」 「でもまったく見ず知らずの他人だったわけでもないんだ、お前が父親である可能性が0とは言い切れな―――」 「笹森さんは理恵と付き合ってたんですよね?」 和倉さんの追及を手緩く感じ痺れを切らした私は、その役を奪い取っていた。 私以外の3人がハッとして私に視線を向ける。 蓮君と和倉さんはハラハラしてるような挙動だったが、笹森さんだけはやはり落ち着いていた。 まるで何か察したような、観念したような。 そして静かに尋ねた。 「誰かから聞いたのかい?」 「市原君です」 「市原………そうか、琴子は彼とも親しかったね」 「おい笹森、理恵って大和君の母親のことだよな?つまりお前は大和君の母親と付き合ってたのか?」 和倉さんが胸倉を掴み上げそうな勢いで笹森さんに問い詰める。 すると笹森さんはそれには答えず、私だけをまっすぐに見据えて告げたのだった。 「市原から何をどう聞いたのかは知らないけれど、俺は、工藤さんと、子供ができるようなことは一度もしていないよ」
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