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工藤さんにとって俺は直属の上司になったわけだが、はじめから親しく会話する仲でもなかったんだ。ただしばらくして、彼女がちょっとしたミスをして、その対処に俺が当たったことがきっかけで、仕事以外の話もするようになっていった。それから……次第に彼女が俺に懐いてくれるようになったのは、俺も気付いていた。だがはっきり好意を告げられたわけでもない以上、俺が彼女への接し方を変えるのもおかしな話で、俺は部下としてそれまでと同じように可愛がっていた。そんな曖昧な時間がわりと長く続くと、社内で俺と工藤さんの噂が流れはじめた。俺はもともと社内恋愛はするつもりないと公言していたこともあって、噂はおかしな速度で広まっていったらしい。そんなとき、彼女から気持ちを告げられたんだ」
笹森さんの話し方は、理恵に対しての配慮が滲み出ているように感じられた。
市原君から聞いていた話では、理恵は入社以来相当笹森さんを想っていたようなので、笹森さんはそのあたりを上手にぼやかして説明してくれているのだろう。
この場にいない理恵の名誉を傷付けないように。
「だが社内恋愛は避けたかった俺は、彼女の気持ちを受け入れることはできなかった。工藤さんは俺の事情もわかっていたようで、俺からの返事も想像ついていたそうだ。だけど噂を否定するためにも、一度は気持ちを伝えておこうと思ったらしい。だがその数日後、彼女から思ってもなかった提案を受けた。噂をそのままにしておけば、俺にとって都合がいいんじゃないかと言われたんだ」
「都合?」
和倉さんが訝しげな声をあげた。
「ああ、そうだ。工藤さんの噂が流れはじめてから、俺を積極的に誘ってくる女性社員が減っていたのは誰もが知るところだったからな」
「なるほどな…」
「自分との噂が消えたら、また俺が困るんじゃないか…と言っていたよ。だが俺は妙に引っ掛かった。工藤さんのことは仕事を通じてその人となりは何となく把握していたつもりだ。俺の中で工藤さんはキッパリしてる性格で、いわゆる告白を断られた後でも、そんな、繋がりを残すようなことを言い出すとは思えなかったんだ。それを尋ねたところ、実は同期からそうアドバイスをもらったと答えた。その同期というのは、さっき名前が出てきた市原だよ」
笹森さんは市原君の名前だけは私に向けて発した。
「……市原君は、理恵が笹森さんに憧れているのをずっと知っていて、相談も受けていたそうですから……。私は、去年市原君に教えてもらうまで、理恵が笹森さんを好きだったなんて全然知りませんでしたけど……」
思わず笹森さんから目を伏せると、隣の蓮君がそっと私の手の甲に触れてきた。
それはさり気なくて、さっと離れていってしまう。
けれど、例えあっという間の触れ合いでも、私はじゅうぶん癒された。
笹森さんがそれを見ていたのかわからないけれど、聞こえてきたのは温和な声だった。
「俺も工藤さんからは口止めされていたからね。自分のことは絶対琴子に話さないでほしいと、何度も何度も念を押されたよ。工藤さんはよほど琴子のことが大切だったんだろう。もし俺に告白していたことを琴子が知ったら、琴子は俺と付き合っていられなくなるかもしれないからと言われて、俺も同意した」
理恵なら言いそうなことだ。
そして私も、笹森さんから聞かずとも、理恵がなぜ私に隠したのかは想像できた。
でも、話してほしかった。
一人で悩ませていたのだろうかと思うと、胸が苦しくなるのだ。
「話を戻して、工藤さんから噂の放置を提案された俺は、さすがにそれは工藤さんに申し訳ないと遠慮したんだ。だが仕事が立て込んできて女性社員からの誘いに丁寧に応対する時間が惜しくなってきた。当時の俺はまだ未熟だったんだな。そんな頃たまたま会食で一緒になった市原からは ”恋人のふり” を強く薦められた。何も恋人宣言なんかしなくてもいい、ただちょっと二人でいる姿を見せておけば、あとはお互いが否定しなければ勝手に噂に尾ひれが付いていくだろう……と。そして現実にそうなっていった」
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