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旧宮殿に着くと、すぐに第二庭園に案内された。
確かにどこにも人気がない。少し歩いた先の、特別レストランの奥の一角に、ヴォルフ様の姿があった。
「ヴォルフ様、似合いますかしら?」
「っ、……まぁ」
なぜなのか息を飲んだあと、少し間を空けてからヴォルフ様が頷いた。
いつもと同じ愛想の悪い顔で、ぷいと顔を背けられた。
私はすごく気に入ったのだが、贈ってくれたというのに、ヴォルフ様はそんなに好みではないのだろうか? 愛情という言葉をクライに聞いて、何故なのかヴォルフ様にも褒められると盲信していたため、少しだけ胸が切なくなった。
更に直後、飲み物が運ばれてきた後、ふとヴォルフ様を見たら、彼も私を見ていたのだが――その眼差しが、絶対零度の冷ややかさを醸し出していたので私は凍りついた。ゾクリとした。いつもは気だるげな緋色の瞳が、凍てつくような威圧感を放っている。硬直しながら、私は、自分は何か怒らせることをしただろうかと、必死に考えた。
「解消するの?」
「――っ、え?」
「婚約」
ヴォルフ様の言葉に、私はやっと緊張から解放されたが、今度は驚愕した。
「婚約を解消!? 何故ですか!? 私、何か致しましたか?」
私はこれまでに一度も、ヴォルフ様のお嫁さんになる以外の自分の未来を想像したことは無かった。
イケメンに優しくされたいというのは本音だが、できればヴォルフ様に優しくして欲しい。
私はいつも相思相愛の両親を見ているので、ヴォルフ様とも温かく優しい家庭を築きたいのである。ただ、この言葉で初めて、ヴォルフ様と結婚しないという未来も存在するのだと理解した。考えてみたこともなかった。
「ファルベ侯爵家から連絡があった。御子息が、ラヴェンデル侯爵家のご令嬢に結婚を申し込むから、と。想いが叶った場合の婚約解消の検討を打診されたよ。それとその一連の流れにおいて、シュルラハロート侯爵とファルベ侯爵家が不仲に陥らないようにという事前協定の提案があった」
「リヒト先輩のお家から……?」
「リヒト・ファルベが御子息の名前だったと、俺も記憶しているよ」
「何てお返事をなさったのですか?」
「――先に、イリスの答えを聞かせて欲しい。質問を先にしたのは俺だよ。解消するの?」
「えっ、考えたことがなくて……」
「結婚の申し込みはあったの?」
「告白は……その……」
「歳も近いそうだし、君も同年代の方が良い?」
「そんな! 私は、ヴォルフ様の隣にいて相応しいように、淑女になる努力をしてきたのです……どうしてそのようなことを……?」
「どうして? 俺がファルベ侯爵家に対して、『婚約を解消する気は一切ないし、仮にこの騒動で破談になったら、当然険悪な仲になるのは避けられない』と伝えたからかな」
「へ?」
「ずっと君が大人になるのを待ってた。そしてイリスはもう十分立派な淑女だ。逆に俺は、自分の年齢が気になるようになったよ。それだけ長い間、ずっと待っていた」
「ヴォルフ様……」
「俺は絶対に君を手放したくない。何をしても、何があっても、俺は婚約を解消する気はない。君は俺の許嫁だ」
いつもとは違い、饒舌にヴォルフ様が私に語った。呆然としながら、私はそれを静かに聞いていた。すると、立ち上がってヴォルフ様が私の隣に来て、屈んだ。そして私の両手の上に、自分の手を置いた。自分とは違う体温と、繊細な指先の感触に、私はドキリとした。正面から見つめられる。
「一気に君が大人っぽくなってから、俺は一緒にいると緊張するようになった。何を渡したら君が喜ぶのかずっと考えていて、けれど思いつかないまま次の茶会になる。そしてまた緊張して上手く喋れなくなる――この前イリスの家を出た時、君のお兄様が、君の喜ぶものではなくて、俺が贈りたい物を渡せば良いというから、一度君が着ている所を見てみたかった明るいドレスを贈った。大人びたいつものドレスも似合うけれど、俺はこちらも好きだ。気に入ってもらえたなら良いけど」
「気に入りました。オルゴールもすごく、私は感動いたしました」
「――嬉しいよ、正直。ただ、困ったことに、自分が贈ったドレスを着ている君を見ると、自分を抑えられなくなりそうだ。すぐにでも抱きしめたくなる」
そう口にして、ヴォルフ様が私の頬に手を添えた。
「キスがしたい」
動揺して、私は答えに詰まった。
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