【9】ファルベ侯爵家の馬車

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【9】ファルベ侯爵家の馬車

 週が明けて朝の準備をしていた時、ロビンがお茶を片手に入ってきて、淡々と口を開いた。完璧に執事の顔である。冷たい執事の顔以外、あれから見た記憶がない。 「ファルベ侯爵家の馬車がお待ちです」 「――え? リヒト先輩の家の? どうしてですの?」 「昨日の襲撃事件の話で、王立学院からファルベ侯爵家にも警戒を促す連絡があったそうで――危機回避のために、お嬢様を送らせて欲しいとの伝言を賜っております。リヒト様は光魔術もご堪能であるからとの事でした」 「なんだか悪いわね……――分かりましたわ」  頷いて、私はお茶を飲む速度を速めた。  本日のドレスは、濃い目のラベンダーが大胆に刺繍された白いレースの代物である。  私のお気に入りだ。クライと共にエントランスに向かうと、使用人達が扉を開けてくれた。召喚獣である、ぬいぐるみのようなクマの手が、少しだけ震えていた。まだクライが怖いらしい。 「おはよう、イリス」 「おはようございます、先輩。お気遣いありがとうございます」 「ううん。僕が迎えに来たかっただけだから。こちらに座って」  馬車の中には、長椅子が二つあったのだが、私は先輩の隣に促された。  正面には、なぜなのか楽しそうな顔になったクライが一人で座り、すぐに寝そべった。 「――僕と一緒は、嫌だった?」 「いえ? 先輩の隣には学校でも座っておりますし、むしろ普通である気がします」  勿論、本来であれば、召喚獣の隣に私は座るべきである。  だがこの席に促したのは、先輩だ。それに……私は微苦笑してしまった。 「先輩の隣に座っているなんて聞いたら、多くのご令嬢が羨みますわ。先輩は、いつもご自分の魅力を勘違いしていらっしゃるんですもの。何度も言いますが、先輩を遠巻きに見ているのは、先輩が美しすぎるからです。恐れ多いからですの」  私が力説すると、先輩が俯いたままで呟いた。 「魅力……」 「断言して誰も先輩を嫌ったりしておりませんわ。羨望の眼差しです、私今日馬車から降りて先輩と並ぶのが怖いほどです」  これは事実である。襲撃事件は、たった今私の中で、恐怖の記憶から、先輩と一緒に登校した理由に変化した。意外と私は図太いのかもしれない。そんなことを考えていた私は、不意に先輩に聞かれて、息を飲む事になった。 「イリスも僕に魅力を感じてくれる?」 「え?」 「僕のことが嫌いじゃない?」  何気なく見たら、先輩の端正な瞳が、じっと私に向けられていた。 「……っ」  自分が真っ赤になっていくのが分かる。だが、先輩の顔に惹きつけられて、視線が離せない。端正な顔が真正面にあるのだ。その時、不意に思い出した――断らないと。先輩に対して、真摯であるためには、私は告白を断らなければならない。  ――だが魅力的で嫌いではないという部分は、事実なので、そこは否定できない。  どうしよう。先輩が魅力的で、私は先輩のことが嫌いでないと伝えながら、どのように言えば、断り文句になるのだろうか? 私は一人で混乱した。ぐるぐると考えていると、先輩が、少しだけはにかんだ。私はその表情に、息の仕方を思い出す。 「答えは急がない。少しずつ、僕のことを考えてもらえたらそれで嬉しい。今までは男としても見られていなかっただろうから、恋愛対象になれただけで、そうやって赤くなってもらえるだけで嬉しいんだ。だから、まだ、頼むから考えていることにして」 「先輩……」 「僕はずっと、君と一緒に登校したかった。門の中からじゃなく、こうやって二人で――だけど今はそれだけじゃない。イリスを守りたい。僕にイリスを守らせて」  こうして私達は学校へと到着した。先に降りた先輩が、手を伸ばして私をエスコートしてくれた。周囲の視線もあり、羞恥もあり、居心地が悪かったが、おずおずと手を乗せる。すると――ギュッとその手を握られた。驚いた時には、恋人つなぎをされていた。
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