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帰り際、私は校門の前に、クライと共に立っていた。
迎えの馬車を待ちながら、私はクライを見上げた。
「ねぇクライ」
「ん?」
「ミネロム先生は、私の護衛なの?」
「否定しなかったから、確実にそうだと思うぞ」
「それって、どういう事ですの? 私を守っていてくださっていたという事?」
「そうなるな」
そう言われてもピンと来なかった。
「一体、何から私をお守りくださっていたのです?」
「――虫だ」
「虫?」
「要するに、お前に群がろうとする男の事だな」
「!? 私、群がられた事が無いのですが? どこにそんな群れが? それは、イケメンですか?」
私の言葉にクライが吹き出した。それから長い腕を組むと、私を見る。
「イケメンかどうかは知らん。だが、群がられた事がないというのは、ミネロムが働いていたからだろうな。ミネロム本人と執事本人は除外とすると――まぁ雇ったヴォルフは過保護だな」
「ヴォルフ様が雇ったというのは、正確なのですか?」
そうだったら嬉しいと思って、私は頬を緩めた。するとゆっくりとクライが頷いた。
「自分の家の娘を特別視しろとは、お前の親は言いそうにない。だが、侯爵家といった地位が無ければ、実力派の教師に副業依頼は出来ないだろう。人間の制度に俺は詳しくないが、ここに来てからの状況からでも推測可能だ」
私は思わず飛び上がった。
「そんなに、そんなに、そんなにヴォルフ様は、私の事を好いて下さっていたのね!」
「……おいおいおい、俺はお前とヴォルフの中を取り持ちたいわけじゃないんだぞ?」
「ですが、クライの解説のおかげで愛が深まりました」
満面の笑みで私が言うと、クライが吹き出した。それから私の頭を軽くポンポンと叩く。
「俺は俺とお前の仲を深めたい――という前提で言うが、表情を変えないヴォルフは悪いが、気づかないお前も悪いな。優しいイケメンは、きちんとそばにいたじゃないか。それも許婚という明確な形で」
「そうだったみたいです」
「ただ俺は若干ヴォルフが不憫になってきた。俺という強敵は兎も角、執事と教師はなぁ。先輩の存在も予想外だっただろうしな」
クライがそう言った時、馬車が到着した。今回も、シュルラハロート侯爵家の馬車だ。降りてきたヴォルフ様を見て、私は驚いた。
「ヴォルフ様? お仕事中では?」
てっきり帰りは別の人が迎えにだけ来てくれるのだと思っていたのだ。
「昼休憩の時間を少し変えただけだよ。朝の件もあったし、心配でね」
そう言うと、ヴォルフ様はチラリとクライを見た。クライは顎を少し持ち上げて、余裕そうに笑っている。こうして私達は、馬車へと乗り込んだ。席順が朝と同じだ。私は隣に座っているヴォルフ様を見た。顔がにやけてしまった。するとヴォルフ様がいつもと同じ、感情が見えない顔で私へと視線を向けた。
「何か良い事でもあったの?」
「クライが、ヴォルフ様の愛の深さを解説してくれたのですわ!」
「……え?」
「敵に塩を送った気分だが、まぁヴォルフ。俺に存分に感謝しろ」
クライが大きく頷くと、ヴォルフ様が怪訝そうな顔をした。
「イリス、召喚獣の戯言は信じないようにと話したはずだけど? ち……ちなみに、なんて?」
「ヴォルフ様が、邸ではロビンに、学園ではミネロム先生にお願いして、私をイケメンから――じゃなかった、虫から守ってくださっていたと伺いましたの」
私が告げると、ヴォルフ様が半眼になった。
「君の家の執事とは護衛について話す事はあるけれど、あちらは自発的なものだよ。当然許婚として状況は尋ねるけどね。ミネロム先生に関しては、虫除けとして評価出来るのか俺は疑問だけど、腕は確かだと思う」
そう口にした後、ヴォルフ様が呆れたように私を見た。
「イケメンって何?」
「く、っ……そ、その……」
私が言葉に窮していると、クライが喉で笑った。
「イリスは優しいイケメンが大好きだから、俺を召喚したんだもんな。ヴォルフと違って俺は、非常に優しい。お前は不要だ。俺の方がイケメンで優しい」
それを聞くと、ヴォルフ様が硬直した。短く息を呑んでいる。私は慌てて首を振った。
「た、確かにクライは優しいイケメンですが、私にはヴォルフ様が必要です!」
「イリス、召喚獣の上辺の優しさなんて――」
「上辺すら優しさの欠片もないただの許婚様に言われてもなぁ? イリス?」
「え、あ、あの」
「っ……」
ヴォルフ様が沈黙して、俯いてしまった。膝の間で両手を組んでおき、唇を噛んでいる。対するクライはニヤリと笑っていた。口角を持ち上げているクライは、とても楽しそうだ。私は必死に言葉を探す。
「ヴォルフ様をイジメるクライは優しくありません!」
「わー、若い女の婚約者に庇われる情けない男。俺の腹筋が鍛えられるな」
「クライ! ヴォルフ様は情けなくないです! 格好良いです!」
「良いよ、イリス。庇われると惨めな気持ちになるから、もう良い」
その時、ヴォルフ様がそう言って、ようやく顔を上げた。そして私を一瞥すると、嘆息した。
「確かに俺は、どうすれば優しく出来るのか、これまでの間分からないでいたからね。君の安全を確保して、大人になるまで慈しむ事が、俺にとって出来る事だと信じていたんだ。というよりも、それ以外出来ないと考えていた。ただそれは、自分に自信が無かっただけなのかもしれないな。イリスが望むイケメンにはなれないかもしれないけど、俺は全力でこれから優しさを発揮させてもらう」
それを聞いて私は目を見開いた。
「ヴォルフ様はイケメンです!」
「イリス……あ、有難う。ただ、その部分よりも聞いて欲しかったのは、俺としては、優しさについてだったんだけど……」
「私は今のままのヴォルフ様も大好きです!」
「!」
「でも優しいヴォルフ様はもっともっと大好きになってしまいそうですわ」
私が大きく頷いた時――ヴォルフ様がカッと赤面した。
「……大好き、か。そんな風に想ってもらえていたなんて」
「ヴォルフ様? 私がヴォルフ様を好きでない日なんて一日たりともありませんわ」
何を当然の事を言うのだろうかと首を捻ると、ヴォルフ様がさらに真っ赤になった。
するとクライが咳払いした。視線を向けると、クライは私達を、生温かい目で見ていた。
「俺に見せつけて嫉妬を煽る計画でないのなら、よそでやれと言いたい。とても言いたい。入る余地が感じられなくなってきたぞ」
その言葉に、唇を掌で覆いながら、ヴォルフ様が顔を上げた。
「入らなくて良い」
「お前はお前で、照れすぎだろう」
「……」
それを聞くと、今度はヴォルフ様が両手で顔を覆ってしまった。
その内に、馬車は無事にラヴェンデル侯爵邸に到着したのだった。
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