王子様の特別

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 放課後、昨日と同じ時間に空き教室に来て。それがコーチである優の指示だった。この教室は優が先生から許可を得て利用しているらしい。何でも、「人付き合いに悩んでいた時期に、生徒指導の先生が逃げ場として提供してくれた」とか。  いつになく沈んだ面持ちの優に、それ以上の事情を聞くのは躊躇われた。とにかく、ここなら部活終わりに居座っていても見逃される。口早に要点をまとめた優に、隼人は頷くほかなかった。  そして今、テニス部の活動を終えた彼は、空き教室の前に立っていた。教室に灯っている明かりが、優が中にいるのを教えてくれている。  ふと今朝聞いた噂が頭を過った。もし噂が本当だったら。そんな不安にかられ、ドアにかけていた手が止まる。  しかし、同時に過った今朝の情けない自分の姿が、隼人の背を押した。大きく深呼吸すると、思いっきりドアを開ける。  優は昨日と同じように、窓際の席に座っていた。隼人が入ってきたのに気付くと、読書の手を止めて労いの言葉をかけてくる。 「やあ。部活おつかれさま、黒田くん。待ってたよ」 「……おう」  ストレートな言葉が面映ゆい。ぶっきらぼうに返事を返して、隼人は優の正面の席に腰かけた。どうやら長い時間待たせていたらしい。栞が挟まれている位置が、昨日に比べて随分と後ろになっている。 「なあ。確か、白川って帰宅部だったよな」 「うん」 「てことは、放課後始まってからずっとオレを待っててくれた?」 「そうなるね」 「うわ、マジですまん! これからはすぐに着替えて向かうから!!」  自分が教室に入るか迷っている間にも、優は待ってくれていたのだ。罪悪感から慌てて謝罪をすると、優は微笑した。 「気にしなくていいよ。読書でも、勉強でも、時間を潰せるものはたくさんあるし。それに僕、待つの得意だから」 「待つのに得意とかあるのか?」 「まあね」  それきり優は何も言わなかった。気にしなくていいのは助かるが、イマイチ釈然としない。  これ以上説明する気はないらしい。優はくすりと笑うと、「さて」と仕切り直した。 「早速だけど、やっていこっか」 「お、おう! 頼んだ!! それで、何から始めるんだ?」 「そうだね。まずは現状把握からかな」  そう言うと、優は傍らの鞄を漁った。取り出したのは、小さめのリングノートと筆記用具だ。優はリングノートの1ページ目を開くと、筆箱からボールペンを用意する。 「これで良しと。それじゃあ、今の黒田くんと清水さんの仲を教えてもらってもいいかな?」 「え」  ほとんど「げ」に近い感じの声が漏れた。そんな隼人の様子に気付かないで、優はにこやかに続ける。 「最終ゴールは2人が付き合うことだよね。だったら、そこに至るまでの作戦を練らないと。恥ずかしいかもしれないけど、協力してくれないかな?」 「……協力するのはいいんだけど。ただ、」 「ただ?」 「オレの現状を聞いたら、お前がショックを受けるかもしれない」  真剣に語る隼人を見て、大袈裟だと思ったらしい。優の笑顔は揺らがなかった。 「何が来ても驚かないから大丈夫だよ。それで、2人はどんな感じなの? 隣の席だし、ひょっとしていい感じだったりして」 「いや、ごくまれに朝の挨拶を交わす程度の仲」  優の甘酸っぱい想像を、隼人は一言で打ち砕いた。鉄壁の笑顔が初めて崩れる。なるほど、確かに優は驚かなかった。絶句しただけである。彼の優れた語彙力をもってしても、隼人の現状は全くフォローできなかった。 「た、たまに雑談をしたりもするぞ! 『今日はいい天気だね』的な!!」  誰もフォローしてくれないなら自分でするしかない。隼人の決死のフォローは墓穴を掘る形で終わった。優は何も言わない。重い沈黙が教室を支配する。 「──なるほど」  立ち直るのが早かったのは優の方だった。口の端を引きつらせながらも、不敵な笑みを浮かべている。 「つまり、2人の関係は伸びしろしかないってことだね」 「……大分好意的に解釈すれば」 「それなら、お付き合いに向けて一歩ずつ前進する方向に舵をとろう。僕も手伝うから」 「白川~!! お前マジでいい奴だな~!!」  頼もしい言葉に隼人の目頭が熱くなる。嫉妬ばかり抱いていた自分が恥ずかしい。一流のモテ男は誰に対しても平等に優しいのである。優に黄色い声を上げる女子の気持ちが、今ならよく分かった。  テンション任せに優の手を取ろうとし、隼人は動きを止める。自分まで距離感を間違えてはいけない。それに、噂の真偽も分からないのだ。迂闊に距離を縮めるのは得策じゃなかった。  隼人は手を引っ込めると、わざとらしく咳払いをした。優の何か言いたげな視線を無視して、何事もなかったかのように話を再開する。 「で、『一歩ずつ前進する』って、具体的にどうすればいいんだ? 名前を呼ぶ練習とか?」 「それは自主練でお願いしたいかな。まずは、毎朝清水さんに挨拶することから始めようよ。ほら、人間関係の基本は挨拶からって言うし」 「あ、あ、あ、挨拶!?!? 俺が!? 清水さんに?!」 「うん。ダメかな?」 「ダメだろ!!!!」  隼人は千切れんばかりに首を横に振った。予想外に激しい反応に優がおののく。 「僕、そんな無理難題を言ったつもりはなかったんだけど」 「ンな訳ねえだろ! 緊張で心臓止まるわ! ヘタレをなめるな!! 死ぬぞ!!!!」 「そ、そっか」  やや引きながらも、優は納得してくれた。作戦を練り直しているのか、無意識にボールペンの先を下唇に当てている。薄い唇が柔く形を変える様は、どこか艶めいたものがあった。  なぜだか見ていられなくて、隼人は優から目を逸らした。白紙のページを意味もなく見つめながら、優の言葉を待つ。やがて、優はポンと手を叩いた。 「確かに、いきなり挨拶はハードルが高いよね。僕もあまり得意じゃないし」 「え、白川って挨拶苦手なのか? そうは見えんが……」  優が言葉に詰まりながら挨拶をする場面など見たことがない。思わず口を挟むと、優は苦笑する。 「今は平気だけど、昔は本気で苦手だったよ。だけど、このままじゃダメだと思ってさ。鏡の前で毎日挨拶の練習をするようにしたんだ。そうしたら、いつの間にかできるようになってた」  照れくさそうに笑う姿に、隼人は感心すると共に胸を痛めた。  優の言う「昔」とは、例の「人付き合いに悩んでいた時期」を指すのだろう。何でもそつなくこなす今の彼に、鏡の前で挨拶の練習をしていた頃の面影は見えない。  幾ら言動や立ち振る舞いがスマートだからといって、優は普通の男子高校生だ。「王子様」なんて異名の影には、第三者からすれば気が遠くなるような努力があるのだろう。  しかし、優の周囲にその努力を知っている者はいない気がした。彼が放課後に1人でいるのも、本当は肩の力を抜ける場所を求めているからではないか。そんな考えが浮かんでは消える。窓際の席に座り、静かに読書する優。その姿は映画のワンシーンみたいに美しく、遠い。 「黒田くん、どうかした? 何か考え事?」 「うわっ!」  ずいっと顔を覗き込まれて、隼人は素早く飛びのいた。頬に帯びた熱を逃がそうと、忙しなく手を動かす。 「大丈夫? 疲れちゃったとか?」 「いや、ちょっとぼーっとしてただけだから大丈夫だ! ……にしても、苦手が克服できるまで努力するなんて、すげえよ白川は。オレもお前を見習わないとな」  せめて自分くらいは優の努力を知っていると伝えたかった。ストレートな賛辞に優が笑みを深める。少し照れているのか、白い頬がほんのりと朱に染まった。 「そんな風に褒めてくれるのなんて、黒田くんぐらいだよ。ありがとう」 「んな大袈裟な」 「本当に嬉しいんだ。黒田くんに言ってもらえたなら尚更」 「そ、ソウナンダー」  隼人は思わず片言になった。黒田くんに言ってもらえたなら尚更。その一言が彼の頭の中で繰り返し再生される。  騒ぎ立てる心臓を落ち着けようと、隼人は自分に言い聞かせた。優の距離の詰め方が独特なのは、昨日のやり取りからも察しがつく。言葉選びがアレなのも、普段の王子様キャラによるものだろう。一流のモテ男は誰に対しても平等に優しいのである。  だから、別に隼人が優の中で特別な人間という訳ではない──。 「でね、それで思いついたんだけど。黒田くんも挨拶の練習をしてみるのはどうかな? ここなら僕達以外誰もいないし、存分に声を出せるよ」 「え!? あ、ああ。そうだな」  先程までのむず痒い感じはどこへやら。悶々とする隼人を横目に、優はあっさりとコーチモードに戻った。  その切り替えの早さに圧倒されつつも、隼人も同意する。こちらとしても、いきなり本番に挑むよりも気が楽だった。しかし、重大な問題が1つある。 「でも、練習ってどうするんだ? 清水さん相手にする訳にもいかないし。かと言って、虚空に向かってやるのも怖くないか?」 「それなら僕に任せてよ」 「……任せて、とは?」  面倒事が起こりそうな気配を感じて、隼人が恐る恐る尋ねた。優は質問に答える代わりに、悪戯っぽく微笑む。  隼人は面倒事が起こると確信した。こちらの不安を知ってか知らずか、優は上機嫌にウインクをする。 「『引き受けるからには全力を尽くす』って、昨日言ったしね」
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