王子様の特別

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「ダメだよ、ちゃんと相手の目を見ないと。後、まだ笑顔が硬い。隣でぼそぼそと独り言を呟く危ない人になってる。もう一度」 「はい先生……」  的確な表現が心にくる。隼人は泣きそうになりながらも、無理やり口角を吊り上げた。 「清水さん、おはよう! ……どうだ白川! 今度はいい感じじゃないか!?」 「うん、これなら明日はバッチリだよ。お疲れ様」 「よっしゃあー!!」  嬉しさのあまり、大きくガッツポーズをする。晴れやかな気持ちに浸る隼人に、優は袋を差し出した。中にはチョコレートが個包装で入っている。 「はい、どうぞ。疲れた時には甘いものが一番だからね」 「おっ、サンキュー白川! んじゃ、遠慮なく」  袋に手を突っ込んで、チョコレートを取る。包装を開いて口内に放り込むと、すぐに甘い味が広がった。まだ形が残っているのを舌で転がしながら、隼人はケラケラと笑う。 「いや~、どんなもんかと思ったけど。ほんとに厳しくて驚いたぜ」 「『覚悟しててね』って言ったでしょ。嫌だった?」 「いや、寧ろやってみて良かった。たかが挨拶だろって思ってたけど、案外難しいんだな」  教師が「気持ちのいい挨拶をしましょう」と口を酸っぱくして言う訳だ。相手の目を見ながら笑顔で挨拶をする。当たり前ではあるが、完璧に習得するには努力が必要だ。今までのひどい挨拶を思い出し、隼人は本気で反省した。 「なら良かった。でも、びっくりしたな。黒田くん、僕とも目を合わせてくれないから。そこまで意識されるとは思わなかった」 「笑うなよ。恥も外聞もなく泣くぞ」 「ごめんごめん」  言葉とは裏腹に、優の顔はおかしくてたまらないといった感じだ。つられてひとしきり笑うと、無性に甘いものが欲しくなった。  机の上には、袋から取り出したチョコレートが何個か残っている。その中には、隼人が好きなアーモンドチョコレートもあった。上機嫌でそれに手を伸ばす。 「「あ」」  どうやら食べたかったのは優も同じだったらしい。重なった手に、2人して間抜けな声を漏らす。  隼人は弾かれるように手を離した。気まずさを隠そうとして、早口で言葉を重ねる。 「なんだ、白川もアーモンドチョコレート推しか! 分かるぜ、うまいよな。オレ、一時期毎日食べてたもん。まあ、1か月もしない内に飽きたけど。やっぱ何事も程々が一番」 「もしかして黒田くん、あの噂を聞いたりした?」  言い終わるのを待たずして、優は確信をつく。隼人は咄嗟に言葉を返せなかった。その反応を見て、優は「聞いたんだ」と目を細める。 「だから僕に触れるのを避けてたんだね。まさか、君にまで広がってるなんて」 「いや! オレは別に信じてた訳じゃないぞ! ただ、お前と適切な距離を取ろうと」 「たまたま手が重なっただけで飛びのくのが、適切な距離?」 「それは……」 「黒田くんも思ってるの? 僕が『狙った相手は男女問わず手を出すクズ』だって」  ハッキリと口に出した優に、隼人は言葉が出なかった。教室に緊張感が走る。  男子生徒の間で密かに囁かれている噂。それは、「白川が性別を問わず、気になった相手に手を出しては捨てている」というものだった。  普通だったら幼稚すぎて誰も信じないような内容だ。しかし、優の誰にでも優しい性格や中性的な容姿が、下らない噂に妙な信憑性を与えていた。実際に、女子生徒だけじゃなく、優に思いを寄せる男子生徒も一定数存在するらしい。彼女らが告白しては玉砕する度に、噂は尾ひれをつけて広がっていったのだろう。  これまでの隼人は、猛烈な嫉妬心から優にまつわる全ての情報をシャットダウンしていた。そのため、今朝学に教えてもらうまでは、噂の存在自体知らなかったのである。  基本的に学は噂話といった、不確定要素が多いものを嫌う人物だ。そんな彼も知っているのだから、噂は相当広まっているのだろう。張本人である優が知らない訳がなかった。  2人の間に沈黙が落ちた。優は静かに隼人の言葉を待っている。真剣な眼差しからは、何を言われても受け止める覚悟が窺えた。  その覚悟に応えるべく、隼人は口を開く。これだけは伝えなければならなかった。 「思わない」  優が息を呑んだ。震える唇が言葉を紡ぐよりも先に、隼人は言い連ねる。 「全く全然これっぽっちも思わない。オレがお前と話すようになったのはつい最近だけど、それでも分かる。白川はそんな奴じゃない」  優は誰に対しても優しい人だ。今だって、隼人の自分勝手な頼みを引き受けて、本気で恋愛相談に乗ってくれている。  確かに、優の友達に対する距離感はおかしい。スキンシップ過多だし、誤解を招きかねない発言も目立つ。  だが、いい加減な気持ちで誰かを弄ぶような奴では絶対にない。極々短い付き合いでありながら、隼人はハッキリと断言できる。  優の目に光が戻った。心無い噂にずっと傷付けられてきたのだろう。込み上げる感情を抑えようとし、唇をきゅっと引き結ぶ。机の上に揃えられた手は、未だに震えていた。  見ていられなくて、隼人はその手を両手で包み込んだ。拒絶されたらどうしようかと思ったが、優は抵抗しない。震えが徐々に収まっていくのが、重ねた手から伝わってきた。  じわじわと顔が赤くなっていくのを感じながら、隼人は付け加える。伝えなければならないことが、もう1つあった。 「後、触れるのを避けてたのは、別に嫌だったからじゃない。なんつーか、意識しちまうと言うか……。恥ずかしいんだよ。すげー情けないけど、オレはモテた試しが一度もないんだ。手を掴むのもそうだし、その、恋人つなぎだってやったことない。お前が初めてだ」 「はじめて」 「そこだけリピートすんな!」  どうやら調子が戻ってきたらしい。青ざめていた優の顔が、ほんのりと赤く染まっている。  恥ずかしさのあまり、隼人は奇声を発しそうになった。今すぐ逃げ出したい気持ちをこらえ、率直な思いを伝える。 「お前にとっては単なるスキンシップでも、オレにとっては未知との遭遇なんだよ。それで、お前との適切な距離を図ろうとしたんだ。だって、変に意識して距離できたら寂しいだろ」  実を言うと、隼人は優の噂を部分的に信じていた。「狙った相手は男女問わず手を出す」とは、見方を変えれば「好きになった相手を男女問わず虜にする」とも言える。  短い付き合いでありながら、隼人は面白いほど優を意識していた。ひょっとしたら、自分は彼にとって特別な存在なのかもしれない。そんなうぬぼれを抱くほどに。  女装をした優と目を合わせられなかったのも、静香を重ねていたからじゃない。彼の見慣れない姿に緊張したのである。どれだけクオリティが高くても、手や喉仏は隠し切れない。可愛らしい姿から不意に覗かせる男の部分を、隼人は直視できなかったのだ。当初の目的から大きく外れた感情は、今も隼人を戸惑わせる。 「──意識してよ」  ぞくっとする声で囁かれて、ごくりと唾を飲んだ。優はウィッグを脱ぐと、やや乱暴に床へ放り投げる。目の前の人間に、辛うじて残っていた静香の要素はない。紛れもなく白川優本人だ。それなのに、心臓の鼓動が速くなる。  強張った手にするりと指が絡まった。「2回目だね」と笑う顔は、やっぱり見れない。学校中の女子を虜にしてきた、お得意の笑み。その笑みに理由を求める自分を、意識してしまうから。 「どうか意識して。僕、ずっと隼人くんの一番になりたかったんだ」  肯定も否定もできず、隼人は視線を彷徨わせる。自分の気持ちが分からなかった。絡められた指を拒絶できない理由も。声が掠れる。 「……なんでそんなにこだわるんだよ。オレだぞ? 好きな子に挨拶もできないヘタレ。お前が執着するような奴じゃない」 「知ってる」 「おい」 「君が自分の想いをまっすぐ伝えてくれる人だって、知ってる。だから、隼人くんは僕にとって憧れで、特別な人なんだ」  特別。それは、否定しながらもずっと焦がれていた響きだった。ぶわりと上がった体温が言葉よりも雄弁に心の内を物語る。 「…………そっか。それならまあ、好きにしてくれ」 「うん」  ぶっきらぼうな言い方だったにも関わらず、優は今日一番の笑顔をみせた。指に込められる力は増したけど、やっぱり拒絶する気にはならなかった。何となく悔しくて、負け惜しみみたいな言葉が漏れる。 「とりあえず、女装は今日限りで頼む。色々と落ち着かないから」 「つまり、いつもの僕の方がいいってこと?」 「ポジティブがすぎる」
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