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不思議で幸運な赤色の糸
さて、ここからは少年の物語である。
マクレインは今日も今日とて、子どもたちの面倒を見ていた。
マクレインが経営する孤児院には、七年前に二人の兄妹が加わった。
オッドアイでトバーズのような綺麗な髪をした少年アレフと、黒髪で琥珀のような黄色い瞳をした少女エトナだ。
二人は一ケ月後には孤児院から近い中学校へ入学する予定だ。
そのため、必要な教材を揃えにトロントの街へ買い物に行っていた。
もちろん孤児院の古参であるランドルフ、ミルキィ、マルクもその手伝いに一緒に行っていた。
今年になって入学するのは二人だけではなかった。
マルクは兄妹と同じ学校に入学することになっており、ランドルフとミルキィも高校へ入学することになった。
つまり、この買い物は五人の入学祝いの買い物である。
せっかく全員で行くのだから、マクレインもついてくるのかと思っていたが、今日は孤児院にお客人が来るから、と言って孤児院から離れることが出来なかった。
代わりに五人は晩御飯の買い物も頼まれ、気づけば彼らの持ち金は、十二歳と十五歳の少年少女が手に汗握るほどの大金となっていた。
「さすがにこんだけ貰うと、少しはお菓子でも買っていいよな?」
街に着いた矢先、最年長のランドルフは垂れた前髪を払いながら、財布を見つめてそう言った。
「ダメに決まっているでしょう? これは先生が毎日やり繰りして貯めたお金なんだから」
そう怒鳴りつけるように反論するのは、長い金髪をポニーテールにしたミルキィだった。
基本的にはいつもこの二人が何かと揉めており、そしてそれをなだめるのは最年少のマルクだった。
マルクはもしゃもしゃ頭に少し膨らんだお腹をしており、気の優しい性格からか、学校ではマクレイン孤児院のお父さんとも呼ばれていた。
喧嘩する二人をマルクはなだめているが、それで収まるはずはなく、気づいたときには二人の口論はヒートアップしていた。
「いいじゃないか少しぐらい! これも入学祝いだよ!」
「マクレイン先生の気持ちも考えなさいよ!」
「まあまあ……」
「そうだ、多数決にしよう。ここには五人いるんだからな」
「また始まった……」
「ええそうね。アレフとエトナはどっちにつくの?」
二人の視線はマルクと同じように二人の後ろに立っている、アレフとエトナへと向けられた。
名前を呼ばれたエトナは「もちろん、ミルキィにつくわ」と言った。
同じように名前を呼ばれたアレフは「悪いけど、ランディに反対」と言った。
「はぁ、つまんないの。アレフ、そんなに女の顔色うかがって歩いているとモテないぜ」
「大丈夫だよ。バレンタインはちゃんとチョコ貰えたから」
「それって義理チョコだろ? はぁ~、悲しいねぇ」
ランドルフはやれやれといった感じで頭を横に振った。
「いいのよ。男の子はそのくらい紳士にならなきゃ。こんな甲斐性の無い男なんてモテやしないんだから」
ミルキィはランドルフを軽蔑の眼差しで睨みつけると、マルクとアレフ、エトナの三人はくすくすと笑う。
「はいはい、どうせモテやしませんよーだ。先月はチョコ三個だけだったし」
つまらなそうにランドルフは呟いた。
なぜなら、貰ったチョコの内訳はマクレインとミルキィ、学校で全校生徒に配ろうとしていた女の子の義理チョコだったからだ。
そうして談笑しながら街の中を歩いていると、ランドルフが足を止めた。
「ほら、もう着いたぞ。さっさと、この店で買い物済ませるんだ」
ランドルフが指を指した方向にはこの街の大型マーケットがあり、アレフたちの買うべき教材はここでしか買えない。
アレフたちは学校から届いた手紙を開き、今一度、買うべきものに目を通した。
「この度は本校へのご入学、誠におめでとうございます。つきましては以下の品物を買いそろえて頂き……」
アレフは手紙を見て、ランドルフに確認を取る。
「ランディ。俺は指定されてる服とか買わなくていいんだよね?」
「ああ、俺のお古があるからな。まだまだ現役で着れるぞ。それはエトナにも同じことは言えるが……」
ランドルフはミルキィを見る。
ミルキィはじっと見つめてくるランドルフに対して「な、なに?」と戸惑うと、ランドルフはすぐにエトナに向かって耳打ちをした。
「サイズが合わなかったら、新しいの買っていいんだからな」
「き、聞こえてるわよ!」
その後の喧嘩といったら、ミルキィの激昂は凄まじいものだった。
街中で激しい喧嘩を繰り広げるものだから、三人は恥ずかしくなって、仕方なくランドルフとミルキィを置いていくのだった。
マーケットの中は異常なまでに混んでいた。
新学期のため入学のためにと、大勢の客が列をなしており、最後尾が分からないほどにレジは並んでいた。
三人は多少人にもまれながらも、教科書やマルクの指定服の購入などをしていた。
三人はどれもなるべく安価な物を買わんと、筆記用具売り場では商品を物色していた。
そんな中、指定服を買って嬉しくなったのか、マルクは楽し気に話し始めた。
「二人とおんなじ学校で勉強出来てよかったよ」
「そうだね。僕も一緒でよかったよ。同じクラスにもなれるのかな」
「それはどうかしら。ああいうのって、学校側が意図的に引き離すんじゃないの」
「げっ! まじかよ……」
マルクが頭を抱え、ショックを受けた顔をする。
「マルクはいつも忘れ物してたからな。誰かついてないと、成績表がひどいことになるぞ」
アレフもニヤニヤしながらマルクの顔を見る。
「それだったら、忘れ物をしないよう、手に書く用の油性ペンを多く購入した方がいいわね」
「そうする」
マルクは目の前の棚に置いてあった油性ペンを三、四本鷲掴みすると三人共有の籠の中に放り投げた。
思わずその姿にエトナも苦笑する。
「二人は何か必要なものある? ノートとペンと教科書と……。あとは……」
「特にはないかな。エトナは?」
「特にないわ」
そう返事をするエトナであったが、アレフがエトナを見たとき、エトナは商品棚に飾られてあったピンク色のネコのキーホルダーを見つめていた。
「それ、欲しいの?」
アレフがそう声をかけると、マルクもエトナの方を向いた。
エトナは黙って首を横に振った。
「それよりも晩御飯買いに行こうよ」
そう言ってエトナは二人を置いて、そそくさと筆記用具売り場を後にした。
アレフとマルクはそれぞれ顔を見合うと、お互いにこくりと頷きあった。
レジの長蛇の列に十五分ほど待った後、会計を終わらせたアレフとマルクは、先にエトナが向かった食品売り場へと足を運んだ。
食品売り場は筆記用具売り場よりも人は少なく、エトナを見つけるのは簡単なことだった。
アレフとマルクは食品売り場の入り口にある籠を取ってからエトナを探し始めるが、すぐ傍の商品棚の陰にエトナは隠れるようにして商品を眺めていた。
エトナの手元には籠があり、晩御飯用のダイコンやキャベツなどが籠から見えていた。
それを見た二人は手に持っていたすっからかんな買い物籠に目をやると、元の場所に戻しに帰っていった。
ぐに戻ってきた二人であったが、マルクは何か思い出したように口を開く。
「あ、ランディとミルキィにお金渡すの忘れてた!」
「えっ、じゃあ一時間くらい、彼らは何してるのさ」
アレフは聞き返すように言った。
「知らないよ。でも、僕らを追っかけてこなかったってことは……」
「もしかして、まだあの二人は喧嘩してるの?」
エトナもあきれた様子でそう言った。
マルクも一つため息をついた。
「……あの二人を連れ戻してくるよ。世話が焼けるなぁ」
「僕も一緒に行くよ」
「いいよ、僕だけで。二人はその間に買い物を済ませちゃってよ」
マルクはアレフの申し出を断ると、ポケットに入れていた財布を取り出し、アレフが持っているビニール袋に入れた。
マルクはやれやれといった表情を二人に見せると、マーケットの入り口へと走っていった。
アレフたちはマルクを見送った後、食品売り場を歩き始めた。
アレフはエトナの持っていた買い物かごを見ると、疑問に思ったことを口にした。
「もしかして、晩飯の中身、全部入れてある?」
「ううん、でもあと少し」
「凄いね、あとは何買えてないの?」
「高い棚の商品、全部」
エトナが指をさす方向には、エトナの身長では届かない位置にコショウなどの調味料が敷き詰められていた。
アレフも別段身長の高い方ではないがつま先立ちをして、指先で引っ掛けるように調味料を弾くと、素早く落ちる場所に手を広げキャッチする。
そうして必要なものを買い物かごの中に入れると二人はレジへと並んだ。
レジに並んでいる途中、奥の方で何やら騒がしい声が聞こえた。
周りがざわざわとしている中、アレフたちは前に並んでいる人の背後からひょっこりと顔を出し様子を見た。
全身は見れなかったが、天井に頭が届きそうなほどの大男が、レジの周りでうろうろしていた。
近くにいた少年が「巨人だ!」と言ったのは、アレフたちにも聞こえていた。
「いやはや失礼失礼、奥様方。こちらにエトナ・クロウリーという女の子はいないだろうか? いやー、失礼失礼」
アレフは耳を疑った。
大男は確かにエトナ・クロウリーと口にしていた。
アレフはすぐさまエトナの方を向く。エトナも驚いた様子でこちらを見ると、首を横に振った。
「誰あれ、知り合い?」
「なわけないでしょ!」
エトナの名を呼ぶ大男は、茶色いコートに身を包んでおり、所々に擦り切れた跡があった。
身の丈は成人男性の倍近くあり、顔は彫りが深く、それでいて、青色の瞳は細目からでもしっかりとわかるほど明るい色をしていた。
天井の光をつるつるな頭で反射させながら、大男は着実とこちらに近寄って来ていた。
アレフたちはすぐさま前の人の陰に隠れた。
「私の名前、呼んでた……」
エトナの声は震えていた。
アレフは一目で、エトナが怖がっていることを分かった。
「あんな怖そうな人に……。知られてた……」
「大丈夫、何とかしよう」
エトナは体を縮こまらせ怯えた。
そんなエトナを横目にアレフは声を掛けながら、何かないかと辺りを見渡した。
その時だった。
アレフは自身の左目が痒くなり、思わず目を擦ってしまう。
そして目を擦るのを止めると、そこには一本の赤い糸がアレフの目の前に漂っていた。
アレフはこの赤い糸を知っていた。
学校でいじめっ子から逃げる時、よく現れては逃げ道を教えてくれる、アレフにとって幸運の赤い糸だったからだ。
赤い糸は商品棚の裏まで伸びており、商品棚の隙間からも赤い糸がちらちらと見えていた。
アレフはいつも助けてくれる赤い糸を信じ、エトナの肩を揺すった。
「落ち着いて。とにかくこの場所から離れよう。買った荷物と財布は忘れずに、食品の籠はここに置いて……。いいかい、音をたてずに素早く出口まで走ろう。さあ、着いて来て」
アレフがエトナの手を取ると、エトナはその言葉に二回ほど頷いた。
手持ちの籠を置いて、二人は中腰になりながらそそくさとその場を後にする。
傍から見れば、おかしなことをしている子供として見えるに違いないが、エトナの名前を知っている大男からは、小さくて目に映らない位置にいた。
アレフはエトナの手を引っ張りながら、赤い糸をたどり、大男の視界に入らないよう出口へと進んでいった。
アレフは途中何度か大男の方へ振り返って見たが、未だにレジに並んでいる人たちに声をかけていた。
マーケットの外へ出ると、アレフたちは立ち止まり緊張のあまり一息ついた。
だがこのままではいずれ追い付かれてしまうだろう、と考えたアレフはエトナに提案する。
「このまま孤児院まで帰ろう」
「マルクたちはどうするの?」
「大丈夫。あの三人なら、あとで怒られるくらいだ。急いで帰ろう」
アレフたちはビニール袋を抱えながら、孤児院へと走りながら帰るのだった。
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