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マンションに着いた俺達は並んだままホール内を進んでいく。広いそこを視界に入れた八重樫さんは、凄いね…って呟いて苦笑いを浮かべていた。
全体がガラス張りになっているエレベーターに乗り込むとぐんぐんと上へと登っていく。夜にもかかわらず上から見る景色は街のネオンや明かりのせいで眩しいくらい輝いていた。
「すごい景色」
「気に入りました?」
「綺麗だけど、少し怖いかも」
「どうしてです?」
「落ちてしまいそう」
じっと夜景を瞳に焼き付けている彼の横顔を俺も見つめながら、確かに落ちてしまいそうだと思った。
いや…もう落ちてるのかな…。
彼の顔を観察しながら俺らしくないことを思う。
「八重樫さん…好きです」
「……星野君、僕は…」
八重樫さんがなにか返事をしようとした時、エレベーターの甲高い到着音が鳴って、俺たちはハッとしてエレベーターから降りた。
階に1つしかない扉の前に立って鍵を開ける。その時に、とあることを思い出して俺は手を止めた。
「どうしたの?」
「あ……いや……、」
花束の群衆をどうしよう…。
多すぎて避けることも出来ないし、置く場所はあるけれど今から移動させるのは、部屋が散らかってると思われてしまいそうだ。待たせるのも……。
そこまで考えて、俺は開き直ることにした。
格好つけていたって仕方ない。
ありのままの俺を見せてしまおう。
開き直ってしまえば、鍵を開けるのは簡単で、俺は八重樫さんを先に部屋に通すと自分もその後ろから中に入った。
リビングと玄関を隔てている扉の前で八重樫さんが足を止める。
「どうしました?」
「なんだか緊張しちゃって」
ヘラりと笑いながら眉を垂れさせる彼にきゅんとしてしまう。この可愛い人を目の前にして、手を出さないというのは拷問に近いのではないだろうか。
いや、拷問だ。
ときめきの止まらない心臓を落ち着かせながら、俺はドアノブに手をかけて扉を開けてあげた。
「お邪魔します……え?」
リビングに足を踏み入れた八重樫さんは、足を止めるとざっと辺りを見渡して目を見開いた。
まるで花屋か植物園かの如く、大輪の花々が咲き誇るリビングは物自体はほとんどなくグレーや白でナチュラルにまとめてあって、それが更に花の存在感を増しているように感じる。
「僕、この花全部見覚えがあるんだけど…」
「あー…、と…まあ、そうだろうと思います」
「捨ててなかったの?」
俺の顔をしっかりと見つめながら彼が真剣な顔と声音で聞いてきて、俺はそれに対して、捨てれるわけないって答えた。
「これは全部俺の貴方への気持ちだから」
「どうして諦めないの?」
「諦めないんじゃないですよ。諦められないんです。どうしても貴方が欲しいから」
彼の頬に手を添えて、俺は頬笑みを浮かべた。
八重樫さんに会う度に増していくこの思いは、きっと一生消えることは無い。花束のように捨てることが出来たとしても、捨てたいとは思わないし、花のようにこの思いが枯れてしまうのはきっと俺が死ぬ時だ。
「僕は君に不誠実なことをしてる」
「キスのこと?」
「……うん」
「あれは俺から仕掛けたんだから、気にしないで」
全部俺が始めたことだ。
俺から好きになったんだ。
だから、彼が俺の事を仮に欲の捌け口にしようと構わない。
そんなこときっと彼はしないけれど。
俺は彼の頬に添えていた手を降ろそうと腕を動かした。そうしたら、八重樫さんがその手を取って、そっとそこにキスを落としたんだ。
「八重樫さん?」
「……君には負けたよ」
「……え?」
ぐっと腕を引かれて彼の顔が目の前に飛び込んでくる。唇に感じる暖かくて柔らかな感触に、八重樫さんからキスをされていることが分かって、驚きに目を見開いた。
「八重樫さんっ…」
「これはズルいよね……」
「っ、なに…いって…んあっ」
壁に押付けられて顎を掴まれると容赦なくキスの雨が降ってくる。経験が無いとか絶対嘘だって思わせるそれは、荒々しくも優しく、彼の人柄が垣間見えて、それに心臓が壊れそうなくらい音を立ていた。
俺からもキスをしようと動くと、ダメだよって八重樫さんがやんわりと止めてくる。パッと見は細くて、力もなさそうなのに、服越しにでも分かるくらい鍛えられた身体と強い力に俺は為す術もなくやられるがままだ。
「君からは何もしないって約束でしょ」
「……それ、ずるいよ…」
「自分で言ったんでしょ?」
口角を上げて、ニヤリと笑った彼の表情を見て、そんな顔もするんだなってギャップ萌えを起こしてしまう。
「……星野君……君のこと好きになってもいいかな」
耳元で囁かれた言葉に俺はじわじわと喜びが湧いてくるのを感じていた。
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