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星野君の住んでいるマンションに着いた僕達はタクシーから降りて玄関ホールへと入った。
まるでホテルの様な造りのそこに思わず凄いね…って呟いてしまった。
星野君はそんな僕をエスコートするように僕の隣を慣れた様子で歩きながら、ガラス張りのエレベーターへと乗り込んだ。
下を見ると1面美しい夜景が広がっていて思わず食い入るように見てしまう。
手を伸ばせば届きそうな感じがするのにそれが無理な事だと知っている僕は、まるでその景色越しに星野君のことを見ている気分になった。
彼は僕を好きだと言ってくれるけれど、彼の手を取ったらいつか離さなければ行けない日が来る気がする。
それは臆病な自分の心が勝手に思い込ませているだけなのかもしれないけれど…
「すごい景色」
「気に入りました?」
「綺麗だけど、少し怖いかも」
「どうしてです?」
「落ちてしまいそう」
君という存在に何処までも落ちて、最後は粉々になって砕けてしまいそうで怖くなる。
一般人の僕と大企業の常務だと住む世界が全然違っていて、勿論見える景色も違う。その違いを今、まざまざと見せつけられているから少し弱気になっているのかな。
「八重樫さん…好きです」
「……星野君、僕は…」
星野君が僕の事をしっかりと見て言ってくれる。僕はそれにどう答えるか未だに迷っている。
自分の気持ちに気づいてしまった今、その迷いは更に大きなものへと変わってしまった。
僕の答えが口から飛び出る前に、エレベーターの到着音が鳴り響いて僕達は慌ててエレベーターから降りた。
1つしかない玄関扉の前で星野君が立ち止まって、鍵を取り出すけれど一向に開ける気配がなくて首を傾げる。
「どうしたの?」
「あ……いや……、」
何処か答えを濁すように歯切れの悪い言葉を連ねる彼の様子を眺めながら、家に見られたくないものでもあるのかな?って思った。
男の一人暮らしだ。
そんな物の一つや二つある筈だし、もしかしたら部屋が散らかっていたりしたのかもしれない。
それならそれで、一緒に片付けてあげよう。
家ではいつも瑞貴の部屋の片付けを手伝ってあげているからそれくらい全然気にならないし。
そんなことを考えていると、星野君が突然吹っ切れたような顔をして鍵を開けた。
「お先にどうぞ」
「あ…うん。お邪魔します」
扉を抑えてくれている星野君に促されて先に中へと入った僕は玄関と何処かの部屋を繋ぐ扉の前で立ち止まってしまう。
「どうしました?」
「なんだか緊張しちゃって」
なんでだか、この先に行ったら引き返せなくなる気がしたんだ。
その感覚がなんなのかハッキリとは分からない。けれど、僕はこの扉を自分から開けることが出来なかった。
そんな僕の心情を知ってから知らずか、星野君が微笑みを浮かべながらその扉を開けてくれた。
入りたくないって言う訳にも行かず、意を決して中に足を踏み入れると、広いリビングに広がる景色を視界に入れて、思わず声を漏らした。
リビング中に飾られた大輪の花々が入ってきた僕の事を迎え入れてくれて、その花を一つ一つ記憶と擦り合わせていく度に、たまらない気持ちになった。
「僕、この花全部見覚えがあるんだけど…」
「あー…、と…まあ、そうだろうと思います」
「捨ててなかったの?」
星野君の顔をしっかりと見ながら尋ねると、彼も僕を真っ直ぐに見返して頷いた。
「これは全部俺の貴方への気持ちだから」
「どうして諦めないの?」
「諦めないんじゃないですよ。諦められないんです。どうしても貴方が欲しいから」
どうして……。
捨てられていると思っていた。
彼が捨てると言ったから。
星野君の気持ちの表れだと言いながら、その花束を捨てるという彼に何処かいつも安堵していた。
捨てれる程度の気持ちならって……。
僕は彼の何も分かってはいなかったんだ。
それを今、この咲き誇る花に囲まれながらようやく理解した。
「僕は君に不誠実なことをしてる」
「キスのこと?」
それもだけど…そうじゃないよ…。
僕はきっと何処か心の隙間で君の気持ちを軽んじていたんだ。
まだ大丈夫…まだ、答えは出さなくても大丈夫だって。君の想いの大きさも知らずに、君の優しさに甘え過ぎていたんだ。
「あれは俺から仕掛けたんだから、気にしないで」
そう言って僕の頬に手を添えて来た星野君に僕は心の中で違うって否定をする。
違う…違うよ……。
きっと……君の存在を知ったあの日から、僕は君に囚われていた。
それなのに、まともに恋愛すらした事の無い自分の臆病さが君への想いに蓋をして見ないふりをしていたんだ。
僕の方が君のことを先に好きになった筈なんだ…。
もっと早く勇気を出せていれば、僕から君にこの想いを伝えれたはずなのに…。
僕は星野君が下げようとした手を取ると、その手の甲にキスを1つ落とした。
「八重樫さん?」
「……君には負けたよ」
「……え?」
グッと彼の腕を引いて、彼の柔らかな唇を自分ので奪う。
もっと早くこうすればよかった。
あの花束達の存在が臆病だった僕の背中を強く強く押してくれる。
だって、あんなの見せられたら臆病だとかそんなこと言ってられないよ。早く君を僕のものにしたくて我慢なんて出来やしない。
「八重樫さんっ…」
「これはズルいよね……」
「っ、なに…いって…んあっ」
本当にずるいよ君は。
君にはきっと一生勝てそうにない。
僕の口付けを受け入れてくれる星野君は自分からも僕にキスをしようとしてきて、僕はそれを敢えてダメだと言って止めさせた。
「君からは何もしないって約束でしょ」
わざと、ニヤリと笑って言えば星野君が微かに目尻を赤くしてずるいなんて言ってくる。
だけど、ずるいのは君の方だよ。
捨てるって言ったくせに嘘だったなんて…。
僕の想いも一緒に捨てて貰うはずだったのに、これじゃ、捨てるなんて無理じゃないか。
だから…だからさ…
「……星野君……君のこと好きになってもいいかな」
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