離さないから

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〜志貴視点〜 貴臣と別れた僕はタクシーを捕まえるために近くの駅付近まで歩いて向かっていた。 居酒屋の立ち並ぶ繁華街は賑やかで、本来静かな場所でのんびり過ごすのが好きな僕にはそれが少しだけ鬱陶しく感じてしまう。 朝でも開いている居酒屋の前を通ると、ふわりといい匂いが鼻腔を掠めてキュルリとお腹がなった。 近くでご飯を食べて帰ろうと、居酒屋の前を通り過ぎようとした時、うっうって低く咽び泣くような声が足元から聞こえてきて僕はちらりとそちらに視線を向けた。 「……貴臣?」 見覚えのあるブラウンの髪に思わずそう声をかけた僕は、建物の間に設置してある電柱に背を預けて体育座りをしていたその人が顔を上げた事で人違いだったと気がついた。 よく考えてみれば貴臣は仕事に向かったし、こんな場所で体育座りをしているわけが無い。 「……君、貴臣の知り合い?」 ぐすりと鼻を鳴らして、涙目で僕を見上げてくるその人はやけに整った顔をした50代半ばくらいの男性で、タレ目がちの瞳が貴臣に似ていて少しだけ放っておけないと思ってしまった。 「……貴臣は友達です……それより、そんな所で何をされてるんですか?」 「うっ……」 僕の問いかけに男性がまた涙を流し始めて、僕は戸惑ってしまう。 とりあえず彼に手を差し出して移動するように促すと、意外にもあっさりと着いてきてくれて僕達は先程いい匂いのした居酒屋へと入った。 「すまないが……私は今1文無しでね」 「かまいませんよ。奢りますからとりあえず座ってください」 高そうなスーツをしわくちゃの泥だらけにしたその人は僕に促されるまま通された座敷の席の端っこに正座をして座った。 「変な所を見せてしまって申し訳ないね……」 「失礼ですが、どうしてあんな所に?」 メニュー表を手渡しながら尋ねると、また彼の瞳が潤んでまた泣くのではないかと慌ててしまう。 「妻に……妻に追い出されてしまってっ」 「……それは……大変でしたね」 もしかしたら面倒なことに首を突っ込んでしまったのではないかと不安になる。貴臣に似ていたからつい話しかけてしまったけれど放って置けばよかったかもしれない。 「失礼ですが、追い出されてしまった経緯をお伺いしても?財布もスマホも持っていないんですか?」 「……仕事の延長でキャバクラに行ったのがバレてしまってね……。私は断ったのだけれど、大手の取引先だったものだから……それでこの通り無一文で追い出されて君に助けられたというわけだよ」 ははって笑いを零す彼に笑い事では無いでしょうって言ってあげたいけれど、泣いている所から見ても相当参っている様でやはり心配になってしまう。 人には基本的に深く関わらない様にしているけれど、貴臣に似ていることが尾を引いてどうしても突き放せない。 「僕は八重樫志貴と言います。お名前をお伺いしても?」 「私のことは(おみ)くんと呼んでほしい」 「……臣くんですか?」 「そう、臣くん」 茶目っ気を含ませながら彼が目尻に皺を寄せて笑うから、僕は渋々それに頷いた。 名前を言いたくない理由でもあるのかもしれないと無理矢理納得する。 「しかし、貴臣にこんな綺麗なお友達がいたなんてなあ」 「……貴臣には良くしてもらっています」 無難な返事を返すと、臣くんはそうかいそうかいって嬉しそうに笑う。 きっと貴臣の身内なんだろうけれど、こんな所で彼の身内に出会うなんて縁を感じてしまう。 「ささ、食べて食べてっ!今日は私の奢り……と言いたいところだけれど、絶対今度返すからねっ!」 「いえ……大丈夫ですよ」 「うっ、なんて優しいんだっ」 よよよって効果音が聞こえてきそうな泣き方をする彼に苦笑いを浮かべる。 黙っていればとてもかっこよくて、大人な男性の雰囲気が伝わってくるのに1度喋り出すと大きな子供のように無邪気で、少しだけ可愛らしい人だと思った。
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