博品堂の責任者たち

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「責任者を呼べ!」 世界中のおもちゃが集まる博品堂に怒声が響き渡った。 声は博品堂に入ってすぐに設置されている案内カウンターから聞こえた。 その時、私は受け渡し係の責任者としてお客様に商品を渡していた。一瞬だけ声の方向が気になったが、私は何事もなかったかのような笑顔で、目の前にいる老婦人にピンク色のリボンでラッピングされたギフトボックスを渡した。隣にいるお礼係が「またのお越しをお待ちしています」と頭を下げた。 老婦人は「そうそう、ポイントカード作りたいのよ」と私たちに伝え、私はポイントカード係の従業員を呼ぶと、あとのことは任せた。 全ては普段通りのことように思えた。 しかし、5分と経たないうちにそうではないことに気づいた。 「よろしいでしょうか」 案内係の責任者が私の元へやってきた。端正な顔立ちだがそれ故に表情の変化が乏しく、アンドロイドのような見た目をした女性だった。 「今しがた、ひどくご立腹の様子のお客様がいらっしゃいました」 「あぁ、あの大声の?」 私の言葉に彼女は頷く。この時の私は、よもや怒鳴り声の原因が自分にあることなど微塵も考えていなかった。 「どうやら受け取った商品の中身が違っていたとのことで」 彼女が商品名を告げると、私は全身から血の気が引いていくのを感じた。レシートを受け取り、カウンターの隅に置かれているパソコンで該当の商品を調べる。 確かに間違っている。注文は少女向けの西洋人形だったのに、実際に渡したのは野球のグローブだった。そして、その間違いを犯したのは他ならぬ私だったのだ。 「お、お客様は今!?」 私は案内係に尋ねる。 「応接間でお待ちいただいています。どうやら今日が娘さんの誕生日らしく」 その言葉に私の焦りはさらに高まった。 「なんとしても本日中に交換をと」 「すぐに、すぐに用意します!」 私はバックヤードへと向かい、従業員用の階段を駆け降りた。同時に『子供にプレゼントを贈る時、真っ先に思い浮かぶ会社』という博品堂の理念を思い出す。 よりによって誕生日プレゼントを間違えてしまうなんて! 私のせいで伝統ある我が社の評判が落ちてしまったら……! いやとにかく今は、これ以上の傷口を広げないことが先決だ。 博品堂の地下は巨大な在庫置き場となっており、ヘルメットを被った作業員たちが忙しなく行ったり来たりしていた。その中に、ひときわ体の大きい男性がいた。彼が在庫管理の責任者である。 「上の人間が来るなんて」 私を見つけた彼は、開口一番そう言った。 「お客様にお渡しする商品を間違えてしまったんです。しかも娘さんへの誕生日プレゼントを」 「それは大変だ!」 「すぐに正しい商品をご用意いただきたく!」 「よしきた」 在庫管理責任者は私からレシートを受け取り、商品が陳列されている棚へ向かった。商品自体はそれほど珍しいものではない。きっと在庫はあるだろう。 「次は……」 バックヤードに戻った私に案内係の彼女が尋ねてくる。 「謝罪係は?」 「今から呼んでくる! あ、そうだ」 私は彼女を見た。 「例のお客様になんだけど」 「菓子折り係の責任者が選定した菓子折りを添え、お茶汲み係の責任者がお茶をお出ししております」 「あぁ!ありがとう」 さすがの判断だ。博品堂には無数の係が存在し、お客様の条件に合った従業員をあてがわなければならない。その判断を一手に担っているのが案内係である。 博品堂の案内係はすべからく機転が効く。いや、機転が効くからこその案内係なのだ。 社員用エレベーターに乗り込んだ私は20階を目指す。扉が開くと目の前には広々としたオフィス空間が広がった。その中央にポツンと一つの机が置いてある。奥には回転式の椅子が設置されており、背もたれがこちらに向けてあった。ここは、謝罪係の人間が働くフロアだ。 かつて博品堂が手探りで業務のあり方を探っていた黎明期、大小さまざま失敗をしていたウチの会社は、数百人もの謝罪係を抱えていた。しかしあくまでそれは過去の話。確固たるブランドを確立した今、トラブルを起こすことはほとんどなく、大半の謝罪係は別の係へ移っている。 とはいえ、完全に誰もいなくなったわけではない。いざという時のため、謝罪係は存在するのだ。 「珍しいですね」 椅子の奥から声が聞こえた。 「実はトラブルが」 私がそう言うと、椅子がくるっとこちらに向く。スーツを着た小柄の黒縁メガネの男性が座っていた。彼こそが現時点で唯一の謝罪係であり、そして謝罪責任者だった。 「……それは大変だ!」 私の説明を聞くやいなや、彼は勢いよく席を立った。 「お願いできますか?」 「もちろんです」 彼はそう言うと、ポケットから取り出したハンカチでメガネを拭く 「任せなさい。私が誠心誠意謝りましょう!」 1階まで戻った私を在庫管理責任者と案内責任者が待っていた。 「これだ」 在庫管理責任者の手にはオレンジ色のギフトボックスがある。中には注文された西洋人形が入ってた。 「ありがとうございます」 私は丁寧に箱を閉じ、応接間へ向かおうと歩みを進める。しかし。 「お待ちください」 案内係の女性が私を呼び止めた。 「それはあなたの仕事ではありません」 「え?」 目をぱちくりとさせる私に向けて彼女はこう続けた。 「中身に間違いがあったとは言え、博品堂としては一度注文された品物を再びお客様にお届けすることになります。つまり、定義上は再配達です」 「再配達?」 「あなたの仕事は受け渡し。業務マニュアルにおいて、受け渡し係の仕事内容は『初回のお渡しを担当する』と明確に定義されております」 「じゃ、この品物は……」 「再配達係からお客様に渡すべきです」 「そんな」 私は言葉を失った。 再配達係の仕事は、何かしらの理由で受け渡しが叶わなかったものをお客様の家まで再送すること。そのため、始業時間に倉庫からその日分の荷物を受け取った後は夜まで戻ってこない。 「なら近くにいる再配達係に電話して!」 そう言いながら私は「あ」と思った。他の部署の人間に電話をする際は連絡係を経由しなければならないのだ。 「連絡係か」 在庫管理責任者も渋い顔をする。連絡係の人間は癖が強い。「なぜその連絡をするのか」「なぜ自分たちが動く必要があるのか」その理由をほとんど言いがかりのように聞いてくるのだ。 「つまり、お客様に商品を渡すためには再配達係が必要で、再配達係を呼ぶためには連絡係を説得しないといけないってこと?」 「そうなります」 案内係りが能面の表情で答えた。 バックヤードから繋がる従業員専用の廊下から、窓越しに応接間の中の様子を伺うことができた。 「誠に申し訳ありませんでした!」 謝罪責任者が力の限りを尽くして謝り通している。壁は薄く、その声ははっきりと聞こえた。 「謝罪は良いから、とにかくもってこいよ!」 私が商品を渡し間違えたのは中年の男性で、相当イライラしているようだった。彼がここにきてから優に30分は過ぎている。 「どうでしょう……?」 私は声をひそめ、隣に立っている背の高い男を見た。爬虫類のような顔をした彼こそが連絡係の責任者であり、再配達係を呼ぶために協力してもらわないといけない人材である。 「うーん」 彼は首を捻った。 「別に今日である必要はないでしょう。明日、再配達係に届けさせれば良い」 「それじゃダメなんです」 私が再三した説明を再び彼にする。 「今日が娘さんの誕生日なんです。プレゼントは今日中に渡さないと」 「しかしその証拠がない」 「証拠って」 私が絶句する。商品を渡し間違えたお客様に対し、「本当に娘さんの誕生日は今日なんでしょうか。あ、ちなみに証拠ってあります?」などと聞けるわけがない。 そうこうしている間に、中年男性は謝罪責任者へとさらに詰め寄っていた。 「教えてくれ。プレゼントはここにあるんだよな?」 「もちろんでございます」 「じゃあそれを渡せ!」 「しかし手続きがありまして」 「なんのだよ!」 「申し訳ございません!」 謝罪責任者は、額がテーブルにつきそうなほど深く頭を下げた。 「だから……」 男性がため息をつく。 「今日は娘の誕生日なんだ!」 「存じております」 「7時から誕生会があるんだ。あと2時間で戻らないといけないんだよ」 「重々承知しております」 「していないだろ!」 男性の声が一際大きくなった。 「重々承知してたらさっさと持ってこいよ!」 「申し訳ございません!」 「だから申し訳ございませんじゃなくて!」 中年男性は髪の毛をかきむしり、そして情けない声を出した。 「他の父親たちになんて言えば良いんだ……」 その会話を聞いていた私は「あ」と思う。彼は最近話題の分業型父親の一人なのだ。送迎用父親、料理用父親、お風呂入れ用父親をはじめとする、複数の父親によって子供を育てる家権制度である。 「俺1人が嫌われるくらいなら良い」 中年男性は話を続けていた。 「だが、もしプレゼントが間に合わなければ、娘は父親という存在そのものに対して失望することになる」 「大袈裟な」 私の隣で連絡責任者が笑う。しかし私はそうは思わなかった。だって現に、私一人の失敗のせいで、あの中年男性は博品堂に対して信用を失い始めている。 気づくと私は地下倉庫に向かって走っていた。 「プレゼントを渡してください!」 私の提案に、在庫管理責任者は首を横に振った。 「渡すのは再配達係だ」 「わかってます」 私はそう言うと、奪い取るように西洋人形の入ったギフトボックスを手に取った。 「どちらに?」 バックヤードに戻ってきた私に連絡係が尋ねる。 「お客様の自宅の近くに配達係が一人います。その配達係を捕まえてプレゼントを届けてもらうんです」 「それはいけない」 連絡責任者が眉を八の字にする。 「再配達係に口頭で依頼をするわけでしょう?それは立派な『連絡』だ。連絡ができるのは連絡係だけです」 「お願いします。協力してください!」 「無駄なことはやめなさい」 連絡責任者がふわっと欠伸をする。 「あなたができることは終わったんです」 その時だった。 「そうとは限りません」 私の背後から案内責任者の声が聞こえた。相変わらずの無表情のまま、彼女は言葉を続ける。 「連絡係が担う連絡とは、電話及びメッセージを基本とするオンラインでのやり取りだと業務マニュアルで定義されています。受け渡し責任者が再配達係と直接会うのであれば問題はありません」 連絡責任者が小さく舌打ちをした。 「そうなんですか?」 私が尋ねると案内責任者は頷く。 「はい。こちらの方は知らなかったようですね。もしくは、わざと知らないふりをしたのか」 「ははは、まさか」 連絡責任者は悪びれた様子もなく肩をすくめる。そんな彼を横目に、案内係は私を見た。 「応接間のお客様にはご自宅に帰られるように伝えておきます。あなたは再配達係をお捕まえください」 とある一軒家の玄関先に私は立っていた。目の前には中年男性がいる。そして私の隣には再配達係の男性がいた。彼の手にはオレンジ色のギフトボックスがある。 「お待たせしました」 再配達係からギフトボックスを受け取った中年男性は、スマホを取り出して電話をかけた。すぐに玄関の扉が開き、彼とは別の中年の男性が現れる。 「間に合ったのか」 「ああ」 最低限の会話だけで、彼らはギフトボックスの受け渡しをする。玄関の扉が閉まった途端、中年男性は大きく息を吐く。どうやら彼の父親としての仕事は終わったようだ。 「あれ?」 気づけば再配達係の姿はなかった。自分の仕事を終えたと判断し、すぐに立ち去ったらしい。それは再配達係として正しいあり方だ。私も会社に戻らなければ。そう思って踵を返した瞬間 「助かったよ」 背中越しに中年男性の声が聞こえた。それは彼から私に向けて発せられた言葉だった。私は彼に向き直り、「えっと……」と言葉をつまらせる。 礼を述べるのはお礼係の仕事であり、謝罪をするのは謝罪係の仕事である。受け渡し係の私がお客様と交わせる言葉はあまりに少ない。 悩んだ挙句、私は頭をさげた。 しばらくして頭を上げると、彼の姿はもうなかった。
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