1

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

1

「マネージャーを呼んで!早く!」 女性のその言葉を合図に慌てて車を走らせ出した男性。 買ったばかりの新車の助手席に誰かを乗せるのは当然初めてだ。 しかし、いくらなんでも急すぎる。 いったいなぜこんなことに・・・。  事の始まりは、数週間前に見たテレビのCMだ。 「人生を変えてみませんか?」 そんな謳い文句を言いながら女性が車に乗りこみ、窓からまぶしい笑顔を見せる。 たしか最近、人気が出てきているとかいう新進気鋭の女優だ。 ドラマやCMなどでちょくちょく見かける。  正直、車よりもその女優の笑顔に惹かれた。そして唐突にその車を買おうと決めてしまったのだ。 その次の日に販売店に行き、即決で購入してしまった。車種はもちろん前日にCMで見た車だ。  我ながらとんでもない衝動買いだと思うが、日々の生活に鬱屈としていて、何か気分転換を求めていたのも事実だ。  自分にそう言い聞かせながら、納車の日を迎え、さっそく乗り込んで走り始めた。 新車だけあって乗り心地は良い。しばらく走らせてから海辺に停車し、内臓されているナビシステムをいじっていた。音声認識もされる優れモノで、ナビというよりは、スマートスピーカーに近い。 ここは一つおすすめのレストランでも検索してみようか。  そんな矢先のことだった。彼女がいきなり俺の車に乗り込んできたのは。 「マ、マネージャー?いったいなんのこと・・・」 いきなりのことに混乱しつつどうにか返事をすると、彼女が早口で話しかけてきた。 「どこ行ってたのよ、約束の場所と違うじゃない!」 「え?いや・・・そ、そう言われても・・・」 「あ~もう!いいから早く車出して。次の現場に向かって!マネージャーとは現場で落ち合うから!」 現場?いったい何のことだ?しかし、それよりも彼女の顔を見て、俺は座っているのに腰を抜かしそうになった。 あのCMに出ていた人だ。あの女優だ。間違いない。  しかし・・・本当に同一人物だろうか。今、助手席に座り、怒鳴りまくっているこの女性は、CMで見た透明感のあるまぶしい笑顔を見せていたあの人とは似ても似つかない。 いや、そもそも彼女はなんで俺の車に乗り込んできたんだ。 間違いなく初対面だというのに。誰かと間違えているのだろうか。 しかし、当たり前のように乗り込んできて、現場に向かえとか行ってくるし・・・。 次から次に浮かんでくる疑問に混乱していると 「ちょっと!何してるのよ、遅れちゃうじゃない!」 と、彼女が叫んだ。 「は、はい」 俺は間の抜けた返事をしながら、車を走らせ出した。 「あんた、もしかして現場までの道、知らないんじゃないでしょうね!?」 鬼気迫る表情で話しかけてくる。今にも噛みつかれそうだ。 「えーっと・・・実は・・・その・・・」 返答にまごついていると 「呆れた!何考えてるのよ!ただでさえ時間ギリギリで前の現場から飛び出しで来てるのに!」 彼女が今にも俺に飛びかかりそうになったその時、車内に着信音が響いた。 俺のではない。とすると 「はい」 彼女がポケットからスマホを取り出し、通話を始めた。 「はい、はい!そうなんです。今、次の現場に向かってるんですが、運転手が道を知らないって・・・ え?はい、そうですけど・・・。え!?そんなはずは・・・!現に今、車に乗って・・・ いえ、はい・・はい・・分かりました。それでは」 電話を切ると、彼女はジッと俺の顔を見ながら言った。 「あなた誰?」 誰と言われても困る。ありのまま言うしかなかった。 「いや、誰って言われても・・・俺は・・・」 と言いかけたところで 「車を止めて」 と彼女が言った。 「へ?」 俺がキョトンとしていると 「聞こえたでしょ!すぐに車を止めて!今すぐ!」 今度は叫ぶように彼女が言った。 「は、はい!」 俺は言われるがまま、路肩に停車させた。 「ちょっと、あなた誰なの!?事務所の人じゃないわね!私を誘拐する気!?」 彼女は車が止まるや否や、一気にまくし立てた。 「誘拐!?そんな!なんでそうなるんだ。そもそも俺の車にいきなり乗り込んできたのは君の方だろ!」 悲鳴のような声で何とか反論した。 「じゃあ何なのよ、あなた!」 彼女はなおも疑り深そうに俺を見てる。 「だから俺は、ただあの辺りをドライブしていただけなんだ」 俺はもう半ば泣き出しそうな声で答えた。 「ドライブ?じゃあ、あなた・・」 彼女も少し落ち着いてきたようで、ようやくそこから会話が始まった。  しばらくお互いの状況を話し合って、ようやく合点がいった。 彼女の正体は、やはりCMで見た売り出し中の新人女優だった。  彼女は今日この海辺で撮影をしており、その終了後、次の仕事現場へすぐに移動するために自分の所属事務所の車と間違えて俺の車に乗ってきたのだった。 とにかくギリギリのスケジュールで、確認する暇もなかったとのことらしい。 「それにしたっていきなり乗り込んでくるから、驚いて呆気に取られちゃったよ」 「ごめん。悪かったわよ。いつも付いてくれてるマネージャーが急用で前の現場に来れなくなってね。それで事務所から代わりの人が来る手筈だったんだけど、車で迎えに行くって言われてただけだから間違えちゃったのよ」 なるほど、そういうことだったのか。彼女がいきなり乗り込んできた理由がようやく分かった。 「本当、息つく暇もないタイトなスケジュールなんだから。売り出し中の女優って大変なのよ」 彼女は口をとがらせた。 「それにしても仕事はいいの?急いで次の現場に向かっていたんでしょ?」 俺が尋ねると 「さっきの電話、マネージャーからでね。次の仕事がいきなりキャンセルになったから今日はもうそのまま直帰してくれていいって言われちゃった。本当に新人って大変よね」 彼女は小さくため息をついた。  二人でそんな話をしていると、突然車のナビが喋り出した。 「目的地周辺です。お疲れさまでした」 ハッとしてナビの画面を見ると、たしかに起動している。 目的地?何のことだ? 彼女も何のことか分からずキョトンとしている。 俺は顔を上げ、おずおずと周囲を見回すと、道を隔てた向かいににフランス料理店があった。 店名を見ると、覚えがある。テレビで特集されていた最近話題になっている人気店だ。 「この辺でおいしいレストラン教えて」 先程ナビに尋ねた質問を思い出した。 なんという偶然か、それとも・・・ 俺は勇気を振り絞って彼女に声をかけた。 「あ、あの!」 「?」 彼女が不思議そうな顔で俺を見つめている。 「良かったら食事でも一緒にどうですか?」 彼女は黙っている。 「いや、あの・・・下心とかそういうのじゃないんです。ただこんな偶然ってなかなか無いだろうし、これも何かの縁かなと思って」 言い終わった後、しばらく沈黙が流れた。気が気ではなかった。手に汗がにじむ。 俺の言葉を聞き、彼女は店と車と俺の顔を順番に見て、クスッと笑った。 「そうね、たしかに。あなたの車に間違えて乗り込んで、仕事が急にキャンセルになって、この店まで車で走って来るなんて、すごい偶然」 と言った。続けて 「いいよ。この後予定もないし、行きましょう」 彼女の返事を聞き、俺はガッツポーズしそうになった。 車から降りて、二人で店に向かって歩いていく。 「あ、ちょっと待ってて、車からバッグ取ってくるよ」 俺は車内に戻り、バッグを手に取り、車外に出ようとした時、もう一度先程の考えが頭をよぎった。    これは全て偶然なのだろうか、それとも・・・もしかしたら、車が・・・。 俺はナビの画面を見つめながら、少しの間考えたが、頭を振ると 「まさかね」 と言った。とにもかくにも彼女とこうして出会えたのは紛れもない事実だ。 バッグを持ち、開きっぱなしのドアから車外に出ながら、振り返り 「ありがとう、助かったよ」 と言ってドアを閉めた。待っている彼女の元へ向かう俺の後ろで、車内のナビの画面が反応した。 俺は気付いていない。車内で音声が流れた。 「どういたしまして」 ナビはそう言うと、再び画面は暗くなった。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!