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「……そうかい。京は、僕の言葉を覚えていたんだね」
一はゆっくりと顔を上げた。力なく微笑んでいるが、さっきまでの弱々しい様子とは違う。
「ああ、僕は言ったよ。悲しい事や辛い事があったら、父さんを呼べって」
「だったら」
「銀さんに会ったんだ」
「……は?」
突然の一の言動に、万吉は目を丸くした。
その人物の名を、一が知っている筈がない――。万吉の表情がそう物語っていた。一はそこを一気に畳みかけた。
「とぼけんなよ。万ちゃんだって、知ってたんだろ? あの人は――千春の再婚相手だ」
千春の身体を探そうと、彼女の家を訪ねた時だった。彼はそこで、自分の息子である京と一緒にいる見覚えのない人物――銀一郎を見た。
「別に僕は、千春や京に幸せになってもらいたくない訳じゃない。寧ろ、いつまでも僕の事を引きずって立ち止まってないで、新しい家庭を築こうとした事は、僕だって正しい選択だと思う。……思う……思う、けど……」
気が付くと、拳を握り締めていた。口がへの字に曲がっていた。今にも泣き出しそうになってしまうのを、ぐっと堪えていた。
「僕の墓前にその報告がないのは、やっぱり後ろめたいと思ったからなんだろ……」
そう思われる事は、一にとっては不本意だった。だがそれを報告された所で、自分が納得出来る自信もなかった。――このまま、何も知らないでいたかった。
「京は……違う人が父親になっても、悲しくも辛くもないんだなって。でも、千春がいなくなりそうな……そういう時は、僕を呼ぶのかい」
「何言ってんだ……京くんはまだ子供なんだぞ」
「ああ、」一が溜息混じりに言った。「それは言い訳だね、ごめん」
彼は、いつの間にかまた伏せてしまっていた顔を、ふっと上げた。
「勿論、このままずっと千春を此処に縛り付ける訳じゃない。だけど、もう少し……もう少しだけでいいから、一緒にいさせてくれないか」
「一……」
「改めて千春を目の前にして、怖くなったんだ。だってこれから、どれだけの時間を生きるんだよ? それも、僕が家族として過ごした時間の何倍もの日々を、知らない奴が上書きするんだぜ。……千春も京も、僕の事を忘れるんじゃないかって、怖くなったんだよ」
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