生者の行進

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 それから、万吉が一のもとを訪れる事はなくなった。  一だって、病院を訪れようと、京の様子を見に行こうと、何度も思った。だがそんな事をすれば、かえって千春を元に戻す気が失せそうで、悲しむ京を見れば、正気でいられなくなりそうで、一は知らないふりを決め込んでいた。あと少し、もう少しだけ、千春と二人だけの時間をと、そうして一週間が過ぎようとしている。 「千春……」  今日も自分と同じ空間に、愛する妻がいる。ソファに横になって毛布に包まる千春に、一は声を掛けた。 「具合はどう?」 「今日はだいぶ楽な気がします」 「そう」一が微笑むと、彼女も薄っすら笑みを浮かべた。右頬に出来る笑窪は健在のようだ。 「もし良かったら、今日は散歩に行かない? 行きたい場所があるんだ」  一の提案に、千春は快く頷いた。起き上がった彼女の手を取って、一は部屋の外へと歩みを進める。  心なしか、彼女を引く自分の手に、力が入っていた。  辿り着いたのは、町はずれの小さな神社。人のいない寂れた境内だが、僅かに厳かな雰囲気が残っている。 「思い出した?」 「え?」  唐突に、一は千春の方を振り返った。丸くなる目を見て、一は口角を上げたまま続ける。 「此処は十二年前――僕が君と一緒に、毎日毎日通った思い出の場所なんだ」  遠い記憶が、一の脳内に蘇る。まだ自分が父親になっていなかった頃、千春のお腹が大きかった頃――お腹の子が、元気に生まれますようにと、健やかに育ちますようにと、毎日毎日此処へお参りに来ていた。 「今日まで京が元気に育ったのも、君のお陰だ」  一の言葉に、千春は首を傾げた。 「……キンダイチ先生?」  ――ああ、そんな顔で、そんな呼び方をしないでくれ。
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